File No.33

中原 和秀講師

摂南大学 薬学部 薬学科

市販薬、サプリ、栄養ドリンク
いたるところにあるドーピングの落とし穴

FLOW No.92

中原 和秀
Profile
なかはら・かずひで 2003年福岡大学薬学部製薬化学科卒。2007年熊本大学大学院薬学教育部分子機能薬学専攻博士後期課程中退。病院薬剤師、調剤薬局薬剤師を経て2007年崇城大学薬学部助手。2011年高崎健康福祉大学薬学部助教。2018年から現職。認定薬剤師。公認スポーツファーマシスト。統計士。枚方市立招堤小・中学校学校薬剤師。博士(薬学)熊本大学。高校から始めた弓道は4段で日本スポーツ協会公認スポーツ指導者。元群馬県国体強化選手。長崎県出身。

ロシアの組織的なドーピング問題でスポーツ仲裁裁判所(CAS)が昨年12月、ロシア代表チームを2年間、主要国際大会から除外する裁定を発表しました。検査データ改ざんや隠蔽などを受けたもので、この結果、ロシアは東京オリンピック・パラリンピックに国家として参加できなくなりました(個人参加は可)。ドーピングが世界のスポーツを深くむしばんでいる実態が改めて明らかとなった形です。日本アンチ・ドーピング機構(JADA)公認「スポーツファーマシスト」の資格を持つ中原和秀講師は、アスリートやスポーツ愛好家に薬の正しい使い方の指導などを行う専門家として意図的で悪質なドーピングだけでなく、意図せずに禁止物質を摂取してしまう「うっかりドーピング」にも警鐘を鳴らします。最近のドーピングの傾向や禁止薬物の怖さ、うっかりドーピングの落とし穴、などについて聞きました。

公認スポーツファーマシストの資格を取ろうとした理由とその役割を教えてください。

中原:私は地域の学校薬剤師として、薬物乱用防止、薬の適正使用などの教育啓発活動を行ってきました。スポーツファーマシストの資格を取ろうと思ったのは、先輩学校薬剤師の薦めと日本スポーツ協会公認スポーツ指導者(弓道)の資格を持っているので、ドーピングはスポーツにおける薬物乱用と考えたからです。スポーツファーマシストの役割は、主にドーピング禁止物質を含む製品かどうかの問い合わせ対応や競技者の使用薬管理、医薬品の適正使用に関する知識の普及です。スポーツファーマシスト検索サイトに名前が載っているので、メールなどで相談を受けることがあります。また、摂南大ラグビー部員に対してアンチ・ドーピング教室を開きました。

ドーピングには長い歴史がありますが、最近の目立つ傾向を教えてください。

中原:ドーピングとは、最初は競走馬への薬物投与の意味でした。その後、人を対象として競技力向上のための薬物投与へと意味が変わり、現在では、競技スポーツにおける禁止物質による不正な競技力向上と位置づけられています。スポーツ界におけるドーピングの始まりは、1865年アムステルダム運河での水泳競技ですが、その後自転車競技、サッカー、ボクシング、スピードスケートなどさまざまな競技に広がっていきました=年表。近年のドーピングの傾向として、手法が巧妙になり、従来の尿検査による個別のドーピング検査だけでは対応が難しい場合やロシアのような組織的なドーピング問題に直面しています。

最も多い蛋白同化男性化ステロイド薬による筋力強化

競技によってドーピングにどんな違いがあり、どんな危険がありますか?

中原:どんな作用が有利になるかによって、使用される薬物が異なります。例えば、筋力や筋肉量が競技に有利に働く場合、持続的な筋肉が競技に有利に働く場合、また手の震えを抑えることが競技に有利に働く場合もあります。表は2020年の世界アンチ・ドーピング機構(WADA)禁止表です。

「蛋白同化薬」の蛋白同化男性化ステロイド薬(AAS)と「ペプチドホルモン、成長因子、関連物質および模倣物質」の成長ホルモンは、筋力強化及び筋肉量の増加により運動能力向上の目的に使用されるもので、ドーピング違反事例で最も多い薬物です。次に「ペプチドホルモン、成長因子、関連物質および模倣物質」の中で、有名なのはエリスロポエチン受容体作動薬と赤血球造血に影響を与える薬です。エリスロポエチン受容体作動薬は、血液中の酸素を体内で運搬する赤血球をより多く作り出す作用があり、持久力が必要な競技に使用されます。「ベータ遮断薬」は、1点集中が必要か、あるいは恐怖心を生じる特定競技で禁止される物質です。心拍数や血圧を下げ、心身の動揺を少なくする作用や手の震えを抑える作用などがあります。1点集中の競技とは、アーチェリー、ゴルフ、射撃などで、恐怖心を生じる競技とは、スキーのジャンプ、スノーボードなどです。

スポーツ界で「ステロイド」と言われているAAS(医療現場で使用される「ステロイド」は糖質コルチコイドで別物)は、肝臓がんなどの肝障害、脂質異常症、HDLコレステロール低下、血圧上昇などの心血管系の障害の危険があります。また男性では女性化乳房、無精子症、インポテンツ、女性では、多毛、声かすれがあります。他には、うつ病、自殺企図などの精神障害もあります。エリスロポエチン受容体作動薬は、健常者に投与すると、多血症による血栓塞栓症、血圧上昇が生じやすく、過敏症や肝機能障害なども引き起こします。不適切使用で競技者の死亡例も報告されています。

血液ドーピングや遺伝子ドーピングにも対応できる体制はできているのでしょうか?

中原:血液ドーピング、遺伝子ドーピングもWADA禁止表にあります。2018年より遺伝子編集が追加されました。血液ドーピングに関しては、輸血による血液ドーピング対策のため、尿検査だけではなく、血液検査も行っています。遺伝子ドーピングの直接的な検出方法は確立していないので、現段階では遺伝子ドーピングの痕跡を発見するのは困難です。しかし、すべての検体(尿や血液)は最大10年間保管されます。科学技術の発展で、検出できていなかった禁止物質が将来検出できた場合、さかのぼって記録の失効、アンチ・ドーピング規則違反による制裁が課されます。近年のドーピング手法の巧妙さに対して、アスリート・バイオロジカル・パスポート(ABP)という従来と異なる検査も始まりました。ABPとは、競技者の血液を定期的に採取し、長期的な記録・モニタリングをして、不自然な変動がないか確認する方法です。

漢方薬やのど飴も要注意 薬の服用記録を残す必要も

うっかりドーピングはどんなケースが多いのか具体的に教えてください。

中原:うっかりドーピングのケースとしては、かかりつけの医師や医療従事者の意識の欠如によるものもあります。競技者が国体や国際大会に出場するような選手と知らず、治療のためにドーピング対象物質を処方する場合です。高血圧や気管支ぜんそくの治療薬に多いです。高血圧治療薬には、体内の余分な水分などを尿として排泄を促し(利尿作用)、血圧を改善する薬があります。最近では数種類の成分を合わせた配合剤もあり、注意が必要です。利尿作用がある薬は、直接運動能力が向上する作用はないものの、蛋白同化薬などを素早く体外へ排泄するといった「利尿薬および隠蔽薬」に該当します。気管支ぜんそくの薬には、飲み薬だけではなく、吸入剤や貼付剤があります。特に胸部、背部または上腕部に貼る「気管支を拡張させる薬」は気を付けなければいけません。練習時も使用が認められておらず、練習中の抜き打ち検査のときに検出される場合があります。

自分で購入できる総合感冒薬や海外製のサプリメントがうっかりドーピングとなるケースが多くあります。総合感冒薬に含まれるエフェドリン類が「興奮薬 b: 特定物質である興奮薬」になります。服用する際は、必ず「アンチ・ドーピング使用可能薬リスト」で確認または専門家に相談することが必要です。その他、エフェドリン類は、漢方薬、のど飴にも含まれていることがあります。サプリメントに関しては、禁止物質の表示が漏れている商品があります。海外製やインターネット上で購入できるサプリメントは要注意です。

市販薬やサプリメントでドーピングに引っかからないために選手へのアドバイスを。

中原:まずは、かかりつけ医師に相談して禁止物質以外の医薬品を使用する治療方針を提案してもらうことです。どうしても治療のため、禁止物質を使用する必要がある場合は、治療使用特例(TUE)申請に協力してもらいましょう。自分が使用している薬の管理・記録をしっかり行うことも大切です。現在服用している薬に関して、専門家に相談して使用可能かどうか確認してください。次に、いつから、どれくらい服用したか、記録を残すことも必要です。製薬会社のミスで別の薬が混入している場合もありますので、念のため薬の製造番号の記録もお勧めです。家族などの支援者の協力、理解も必要です。禁止物質の入った栄養ドリンクの差し入れや薬・サプリメントの購入などのケースもあり得ます。毎年、「禁止表国際基準」は更新されます。指導者らも何が変更となったかスポーツ協会が主催する研修会などに参加し、勉強する必要があります。

ドーピング防止のためのカードゲーム

東京五輪 x 「Team常翔」