File No.37 【最終回】

松井 千士選手 石田 吉平選手

東京五輪 男子7人制ラグビー(セブンズ)日本代表 横浜キヤノンイーグルス/明治大3年

夢の大舞台で躍動した2人の常翔ラガーマン

FLOW No.97

松井 千士選手 石田 吉平選手
Profile
◆まつい・ちひと 1994年11月生まれ。小学1年から大工大ラグビースクールでラグビーを始め、常翔学園高に進学。同3年の2012年度全国高校ラグビー大会で優勝。2、3年時に高校日本代表。同志社大在学時の2015年、韓国戦で日本代表初キャップ。2016年リオデジャネイロオリンピックの日本代表バックアップメンバー。2016年大学卒業後にサントリーサンゴリアスに加入。同9月トップリーグ公式戦初出場。2018年ワールドカップセブンズの7人制日本代表。2020年キヤノンイーグルス(現横浜キヤノンイーグルス)に移籍。2021年東京オリンピックの7人制日本代表(主将)。ポジションはウィング(WTB)。身長183cm、体重88kg。50mを5.7秒で走る。大阪府出身。
◆いしだ・きっぺい 2000年4月生まれ。4歳からラグビースクールでラグビーを始める。2歳から水泳も。尼崎市の中学時代はサッカー部でフォワードやキーパーも務め市大会で準優勝も。常翔学園高に進学。同1、3年の2016年度、2018年度全国高校ラグビー大会でベスト8。3年時に高校日本代表。2018年7人制ユースオリンピック日本代表に選ばれ銅メダル。2019年明治大(文学部)に進学。2021年東京オリンピックの7人制日本代表。ポジションはウィング(WTB)。身長167cm、体重73kg。小柄ながら鋭く巧みなランとコンタクトへの積極性には定評がある。兵庫県出身。

2013年から始まった長期連載企画<2020東京五輪×「Team 常翔」>の最後を飾るのは、晴れて東京オリンピックの舞台に立った2人の常翔学園高出身ラガーマンです。男子7人制ラグビー日本代表、松井千士選手(横浜キヤノンイーグルス)と石田吉平選手(明治大3年)で、松井選手はキャプテンとしてチームを引っ張り、石田選手はチーム最年少として注目を集めました。1次リーグ3戦全敗、決勝リーグ1勝1敗で12チーム中11位の不本意な結果となりましたが、2人はこの経験を生かそうと既に前を向いて走り出しています。2人にオリンピックについて語ってもらいました。

                                                  *松井選手はリモート取材

【7人制ラグビー】セブンズの試合は通常2分間の休憩を挟んだ前後半各7分(決勝は前後半各10分の場合も)。15人制よりも頻繁に得点プレーが発生する。試合時間が短いため、同チームが1日で複数回試合を行うことが可能。フィールドは15人制と同じ。チームは3人のフォワードと4人のバックスからなり、スクラムは各チーム3人。15人制とほぼ同等のルールのため、選手は広大なフィールドを走り回る必要があり、1日に複数試合を行うこともあるため、何度も全力疾走できる体力とスピード、1対1でのランニングスキルなどが要求される。トップレベルでは機動力や万能性を備えた選手が多くを占める。

チームはファミリー

最終的に東京オリンピックの代表が決まった時の気持ちを教えてください。

松井:私はオリンピックの2年前に7人制日本代表のキャプテンになりましたが、オリンピック代表はそれとは関係なく公平に選考されました。キャプテンだから特別扱いというのは自分でも望みませんでした。

石田:13人の代表メンバーを絞り込む合宿を繰り返す中で、レベルの高い他の選手を見ていたので自分が選ばれる自信はなかったです。だからうれしかったのは事実ですが、自分で大丈夫かという不安と重い責任も感じました。もともと東京大会より次のパリ大会出場を目標にしていましたが、コロナ禍による大会1年延期でチャンスが生まれました。

どんなチームでしたか?

石田:合宿を繰り返していたのでファミリーのような雰囲気でした。チーム最年少で、2番目に若い選手でも私より6歳上で、周りはみんなお兄ちゃんという感じでとてもやりやすかったです。キャプテンの松井さんは常翔学園高の先輩ということもあり特に気に掛けてくれて、食事の時などよく話し掛けてくれました。

松井:「家族になろう」とキャプテンとして呼び掛けていましたが、まさにそのようなチームになりました。外国出身の選手もいたのでコミュニケ―ションがチーム内でスムーズに取れるように、食事の時はいつもくじで席を決めて同じメンバーで固まらないように工夫もしました。13人に絞られていく過程では、選考から外れていったメンバーが、その後はサポート役に回ってくれました。選考から漏れてメンタル的にきついだろうに頭が下がる思いで、「家族になれた」と実感しました。

石田選手にとって松井キャプテンや他のチームメートはどんな選手たちですか?

石田:松井さんは目標が明確で、それに挑戦を続ける姿勢を尊敬しています。とんでもなく足が速く、走り出して1、2歩で「追いつけない!」と他の選手に思わせるほどのスピードです。他のメンバーも全員がトップリーグの一流選手たちですが、“プロの姿勢” を学ぶことが多いです。特に練習外での体調管理やメンタルケアは見習うところが多く、大学のレベルとは全く違います。

松井キャプテンは石田選手をどんな選手と評価していますか?

松井:野上先生から「すごい選手」と聞いていた通りで、体が小さくてもどんな相手にも物おじしない素晴らしい選手です。私はリオデジャネイロオリンピックの時に大学生でバックアップメンバーに選ばれましたが、彼には大学時代にぜひオリンピックに出てほしいと思っていました。ステップなど優れた技術を武器に、戦術を熟知しゲームを引っ張れる選手になるのではと楽しみです。

15人制と比べた7人制ラグビーの魅力は何ですか?

石田:15人制と違ってスピーディーで得点の場面が多く番狂わせも起きやすい面白さがあります。人数が少ないため体のコンタクトも少なく、体格に関係なく自分の得意なラグビーで勝負できるのが魅力です。ただ自分の中では7人制も15人制も変わりなく、両方ともやっていきたいです。

松井:「7人制は15人制とは別のスポーツ」という面もありますが、私にとってはランニングスキルを生かせる自分に合ったものとして取り組んできました。3年近く15人制を離れて7人制をやっていたので、オリンピック後に15人制のラグビーに戻った時の方が戸惑いを感じたくらいです。

コロナという見えない敵との戦い 上位チームと比べて課題山積を痛感

東京五輪では開会式から出られたそうですが、どうでしたか?

松井:コロナ禍の影響で無観客でしたが、一生忘れられない経験になりました。「オリンピックが始まる」という気持ちを高めてくれる開会式でした。

石田:やっぱり夢の舞台でした。コロナ禍で外国人選手とは交流できず、無観客でしたがそれでも十分に楽しかったです。

メダルの目標には届きませんでしたが、松井キャプテンは5試合で4トライとチームをけん引しました。試合を振り返ってどんな思いですか?

松井:金メダルを取ったフィジーとの初戦は100%以上の力が出せて善戦しましたが、あと一歩で勝ちきれませんでした。それで流れが悪くなったと言うより、「強豪相手でも十分にやれる」と手応えを感じ、気持ちに少し油断が出てしまったと思います。それが2試合目の英国戦に悪い形で出てしまい、ずるずると立て直せないままになりました。ポイントは2試合目の英国戦で、チームの勢いを保てなかったとキャプテンとして反省しています。コロナ禍で国際試合がずっとできず、自分たちの力のレベルをなかなか判断しにくかったのも残念でした。やはりオリンピック直前に海外の強豪チームと試合ができるのとできないのとでは大きな違いがあります。アルゼンチンはコロナ禍でも国際試合を続けたことが銅メダルにつながったのかもしれません。

石田:私は第2戦から計3試合に出場しましたが、それまでワールドシリーズなどの国際試合で戦っていた相手ばかりで、知っている選手も多く、試合には緊張せずに臨めました。コンディションは悪くはなかったですが、試合後半の途中からの出場で出番が少なく思い通りのパフォーマンスはできませんでした。一番の反省はスタメンから使ってもらえなかった実力不足です。チームとしては、初戦のフィジー戦にあと一歩で惜敗し、あれに勝っていれば流れに乗れたのではと思います。

他の国のチームの試合や大会全体を振り返って感じたことはありましたか?

石田:決勝トーナメントの上位チームの試合がやはりハイレベルだったことです。「まだまだだ」と思わされました。強いチームは松井さんレベルの選手がチーム内に何人もいます。パリオリンピックに向けて7人制ラグビー特有のスキルを磨いたチーム力をもっと伸ばさないといけないことや、個人としてもスピードや体力、技術全ての面で課題が山積していることを痛感しました。

松井:フィジーなどは7人制に特化して国技となっている国もあります。でも15人制も7人制もやるというのが普通で、どちらにも対応できる力が必要です。東京オリンピックは海外の強豪だけでなく、コロナという見えない敵との戦いでもありました。毎日のPCR検査だけでなく、外食や練習の合間のコーヒータイムなどもダメというさまざまな行動制限もありました。何より自分が感染すればチーム全体に迷惑が掛かるという思いもあって大変な緊張感を強いられ、全員がメンタル的にきつい大会でした。

オリンピックが終わって、年末の大学選手権では明治大は準優勝で、ウィングの石田さんも活躍されました。松井キャプテンは昨年トップリーグに代わってスタートしたリーグワンの横浜キヤノンイーグルスで活躍されています。オリンピックで得たものが生きましたか?

石田:オリンピックの代表が決まるまでの半年間は、周りの期待をプレッシャーに感じメンタル的にとてもきつく、眠れない夜もありました。その経験がプレッシャーへの強さになったのか、大学選手権の大舞台でも緊張せずに自分のプレーに集中できるようになり、周囲からいろいろ言われてもあまり動揺しなくなりました。大学選手権は決勝で帝京大に敗れましたが、春から4年になっての目標はもちろん大学選手権優勝です。明治大ラグビーの伝統である「前へ」を胸にチームをけん引していきたいです。

松井:日本代表のキャプテンを2年もやったので、自分のプレーだけを考えるのではなくゲーム全体、チーム全体を見る姿勢が身につきました。トライやミスに一喜一憂しなくなりました。すぐに切り替えられるようになり、メンタル面で成長できたかなと思います。

お客を呼べる選手に パリではメダルを

高校ラグビーで母校の常翔学園高が通算100勝を達成しました。その後輩たちへメッセージをお願いします。

石田:スクラムでも当たり負けしない常翔らしいラグビーを見せてくれました。何より野上先生に記念すべき100勝をプレゼントしてくれたことがうれしいです。私は野上先生に選手としての可能性を引き出してもらいました。後輩たちには野上先生の教えを守れば、高校で良い結果が出なくても将来必ず生きてくると言いたいです。だから先生の教えに真面目に取り組んで頑張ってください。

松井:学園100周年の年に100勝を達成してくれたことがうれしいです。その100勝のうちのいくつかは自分も貢献できたかなと誇りに思います。あえて試合になかなか出られない選手たちに言いたいのは、チャンスは誰にでもやって来るということです。私は高1の時は体も小さく、2年の最後でリザーブになれたくらいで、野上先生にはいつも「お前は使えない」と言われていました。そんな私がオリンピック日本代表のキャプテンになるなんて誰も思っていませんでした。私が高校時代に実践していたのは大きな目標を掲げるのではなく目の前の小さな目標を1歩ずつ達成することでした。今試合に出られなくても、そんな努力を積み上げればいいのです。

これからどんなラガーマンを目指しますか?

松井:大学卒業後に入ったトップリーグのサントリーサンゴリアスは常に優勝に絡む強豪チームでしたが、2年前に移籍した横浜キヤノンイーグルスは成長途中の若いチームです。今の一番の目標はその横浜キヤノンイーグルスをリーグワンの優勝を争えるチームにすることで、そこで活躍し、来年のラグビーワールドカップ・フランス大会の代表として出たいです。更に大きな目標は大リーグの大谷選手のようにお客を呼べる選手になることですね。海外リーグで活躍するのもいいですが、今はリーグワンを盛り上げたいです。

石田:大学卒業後はリーグワンのチームに入り活躍したいです。7人制では次のパリオリンピックにも代表に選ばれてメダルを取ることが一番大きな目標です。特に目標とする選手はいません。フィールドのどこにでも顔を出すようなポジションにあまり固定されない今までいなかったスタイルの選手になりたいです。

 ランニングセンス抜群の松井選手 桁違いの俊敏さの石田選手 

高校に入学した頃は体も小さく目立たなかった松井選手が輝き出したのは、2年の夏のニュージーランド遠征でした。外国人をどんどん抜いていくスピードで周囲を驚かせたのです。3年ではみんなに頼られる中心選手になっていました。スピードもすごいのですが、それ以上に相手をかわすコース選択などのランニングセンスが抜群です。全国優勝した3年の時の決勝戦で逆転の決勝トライを挙げたのが松井選手でしたが、チームのみんなが「松井に回せば最後に絶対勝てる」と慌てなかったほどの頼れる存在でした。オリンピックのフィジー戦のトライを見て「エースやな」と感じました。日本代表のキャプテンを経験して更に成長し、リーグワンでも自信を持ってプレーしているのがうれしいです。

石田選手は高校1年の時から物おじせずマイペースで、桁違いの俊敏さが目立っていました。10秒間の10m のシャトルラン練習では、他の選手より1往復は上回っていました。時代が違っていたら忍者になっていたのではと思うほどの身体能力です。大学生でオリンピアンになりましたが、「やっぱりな」と納得できます。彼には体のサイズも年齢も関係ないですね。ポジションに関係なくフィールドを動き回れるこれまでいないタイプの選手で、このまま順調に成長してほしいです。

2人がこれからもけがせずに活躍してくれることを願っています。

 常翔高校ラグビー部 花園通算100勝達成 


第101回全国高校ラグビーフットボール大会(東大阪市花園ラグビー場で2021年12月27日~2022年1月8日)に大阪第1代表として出場した常翔学園高は、1月1日の3回戦で石見智翠館高(島根)を降し、花園通算100勝を達成しました。秋田工業高(134勝)、天理高(105勝)に続く史上3校目の金字塔です。次の準々決勝で優勝した東海大大阪仰星高に惜しくも敗れましたが、創立100周年を迎える年の初めに学園への大きな「100」のプレゼントとなりました。





組み合わせで6校中5校が8強以上の実績を持つ「死のブロック」に入った常翔学園高は、Bシードで初戦となった中部大春日丘高(愛知)との2回戦では、先制トライを許すもフォワードとバックスの連係の取れた攻撃で得点を積み重ねて反撃を振り切り、52-26のダブルスコアで制しました。前半2分に先制されるも、その後5分、9分、12分、18分と4連続トライを挙げて流れをつかみました。26-5で折り返した後半も勢いは止まらずリードを広げました。風の影響が強い第3グラウンドで、風上の前半はキックを多用し、風下の後半はキックを1度も使わず、花園を知り尽くした巧みな試合運びでした。


元日の3回戦は、難敵・石見智翠館高(島根)とのシード校対決となりました。この日も先制を許し、前半を5-12でリードされて折り返す苦しい展開に。しかし、山本大悟主将(3年)が「こういう状況は想定内だった」と言うように動揺を見せず、後半6分、カウンターからWTBの神田陸斗選手(同)がトライを決め2点差に。同15分、ゴール前5m のスクラムで相手にプレッシャーをかけてターンオーバーすると、NO.8のファイアラガ義信ダビテ選手(2年)が逆転トライを決めました。SO仲間航太選手(3年)のコンバージョンも成功。27分には石見智翠館高に反則が出ると、仲間選手がPGを決めて8点差とし、勝利を引き寄せました。


平均体重が100キロに迫る大型FW。高校生は安全のためスクラムで1.5m しか押せません。他のプレーに重点を置くチームが多い中、常翔学園高はスクラムにこだわり続けてきました。この日、選手たちは「一気に押そう」と声を掛け合っていました。「1.5 m」の制限下でもボールを奪いトライにつなげる常翔学園高らしい戦いになりました。試合後、野上友一監督は「フォワードがよく頑張り、うちの一番の強みを生かせた。100勝は先輩方が積み上げてきたもので、誇りに思います」と話しました。大阪第2代表の東海大大阪仰星高との準々決勝は7-45で敗れ、2大会ぶりの4強を逃しました。


東京五輪 x 「Team常翔」