File No.32

持永 政人教授

摂南大学 経済学部 経済学科

転機を迎える観光業界
インバウンド一辺倒から脱却し観光の質的転換を

FLOW No.90

持永 政人
Profile
もちなが・まさひと 1981年同志社大学文学部社会学科卒。同年藤田観光に入社し箱根小涌園で約15年間勤務。同社で人事部長、東京ベイ有明ワシントンホテル総支配人、フォーシーズンズホテル椿山荘東京総支配人、執行役員、非常勤顧問などを歴任。2010年より現職。2020年学生部長兼務。大阪府出身。

新型コロナで壊滅的な打撃を受けている観光業ですが、なかでもインバウンド(訪日外国人旅行者数)がほぼゼロとなったホテル・宿泊業界は厳しい状況が続きます。2013年に1000万人台になったインバウンドは、2016年に2000万人台、2018年に3000万人を突破。東京五輪が開かれるはずだった今年は4000万人になると期待されていました。しかし、コロナ禍と五輪延期で事態は一転。インバウンドを商機として新規参入したホテルの中には破綻するケースも出始めています。政府によるGoToキャンペーンなどの対策で国内旅行者は回復しつつありますが、世界的なコロナ終息は見えず、延期された東京五輪の開催もまだ不透明です。こうした状況で宿泊業界の生き残りの道はどこにあるのか。東京ベイ有明ワシントンホテルやフォーシーズンズホテル椿山荘東京などで総支配人を歴任し宿泊業界を知り尽くす摂南大の持永政人教授に、生き残り策、行政や国のできること、コロナ後の観光のあり方などについて聞きました。

海外旅行者2000万人の需要が国内に

インバウンドが限りなくゼロになった宿泊業界の衝撃をどう見ますか?

持永:観光庁の統計では2015年から2019年までの5年間で国内延べ総宿泊者数は約1億2000万人泊増えましたが、その内約7100万人泊、約6割近くが外国人旅行客の増加によるものです。それが消えたのはまさに危機的と言えます。また同時期新たに約8900軒もの宿泊施設が増えましたが、その大部分(約83%)が従業者数10人未満の小規模事業所で、従業者数100人以上の施設増は49軒しかありません。更に外国人の宿泊施設をタイプ別に見ると比較的廉価なビジネスホテルは3.5倍に増えましたが、少し高級なシティホテルは1.8倍程度にとどまっています。これは2020年の東京オリンピックを目指し、急激に増加するインバウンド需要を見込み、新規参入も含め宿泊業界が主に小規模で安価な宿泊施設をひたすら量的に整備してきた結果と考えられます。

国内旅行消費額を見ると総額27.9兆円(2019年度)のうち外国人が4.8兆円で日本人が22兆円。まだまだ国内需要の方が大きな比重を占めますね。

持永:今年4000万人の訪日外国人旅行者が期待できなくなったダメージにばかり注目が集まりますが、2019年に海外旅行に出た日本人も約2000万人いて、その人たちも今年は海外に出られなくなりました。その旅行需要がそっくり今後は国内旅行に振り向けられるとも期待できるのです。海外で1人20万円、30万円も使っていた需要が国内に向けられるのです。そうなるとその需要を満たす質の高い観光が必要にもなってきます。海外旅行並みの1、2週間の宿泊需要に応えられる国内旅行市場を形成しないといけないということです。最近のインバウンド一辺倒からの脱却の契機になります。

足元の魅力を掘り起こすチャンス

マイクロツーリズムが注目されていますね。

持永:近隣地域への観光をマイクロツーリズムと言いますが、コロナ禍での観光産業の生き残り策の1つとして提唱されています。昔の日本の観光はほとんどがマイクロツーリズムでしたが、新幹線、高速道路、格安航空(LCC)などの出現で遠隔地への観光が容易になり、マイクロツーリズムへの関心は概して低調でした。それが今、比較的安全な旅行として改めて見直されようとしています。過疎化で元気のない地方にとっても足元の魅力に気付き発信するチャンスにできます。

それを後押しするために国レベルでは国民の働き方改革を進め、有給休暇の消化をはじめとする休暇に対する意識改革が重要です。テレワークが広まり、月~金曜日に全員1カ所に出勤して仕事をするという文化が変わり始めています。平日に休みが取りやすくなると観光地の混雑が緩和し、宿泊費が安い平日なら長期滞在もしやすくなります。一方、自治体レベルでは、長期滞在に耐えうる観光コンテンツの整備が求められます。時間消費につながるテーマ性のある体験型のニューツーリズムです。

観光は波及する領域が広く、特にニューツーリズムにおいてその傾向は顕著です。国の観光振興策であるGoToキャンペーンで、早速観光客が戻り始めたことが示すように、コロナ禍でも根強い観光需要があるのも事実です。ただ、これはあくまでも一時的なカンフル剤です。長期的にはニューツーリズムのように付加価値の高い旅行を提案できる構造的な改革を進める必要があり、今がそのチャンスです。



「ディズニーランドを貸し切りに」

―もし延期された東京五輪が開催できるなら、単純にホテル需要は一気に回復しますか? 

持永:五輪が開催されても需要の回復はゆっくりでしょう。インバウンドの4000万人という当初見込みは期待できず、経済効果も下方修正が必要です。そもそも規模が大きくなり過ぎたオリンピック自体が曲がり角にきていました。規模が大きくなればそれにまつわるリスクも大きくなり、1つの開催都市ではそのリスクを背負いきれません。平和の祭典という本来の理念に立ち返り、スポーツの本質を楽しむ大会に変わっていくのではないでしょうか。そして日本人がスポーツを共に楽しめる大会になれば、スポーツツーリズムの頂点としてのオリンピックの意味があります。スポーツツーリズムは各地で増えている市民マラソン大会が良い例で、スポーツに参加しながら地域でその大会を支える人たちと交流したり周辺の観光を楽しんだりするものです。

ホテルの実際に利用された客室1室あたりの平均単価である客室単価は、近年高くなり過ぎ、サラリーマンの出張旅費では賄えないレベルとなったりしていました。一種のオーバーツーリズムともいえる現象です。コロナ後、そこに単純に戻るとは考えにくいです。今後は低価格から超高価格までの宿泊バリエーションが増え、多極化が進むと思います。

以前、東京でホテルの総支配人をしていた時には、時々アラブの産油国の王族が泊まられることがありました。付き人も10人ほどいて、1フロア貸し切りで1泊500万円といった世界です。お金はいくらでも出すかわりに要望もけた外れで、「24時間レストランを開けていつでもすべてのメニューを提供できるように」というものから始まって、「東京ディズニーランドを明日貸し切りにしてくれ」というものまでありました。さすがにディズニーランド貸し切りは無理でしたが、「パリではできたよ」と言われました。世界にはこうした超富裕層が確実に存在し、そのどんな要望にも応えるホテルがあります。

日本は1万円払う人にも10万円払う人にも平等のサービスを提供する文化ですが、ホテルの生き残り策として今後は多様なニーズに柔軟に応えるサービスも増やしていく必要があるでしょう。もちろんその一方で、日本人が負担なく長期滞在を楽しめるサービスも用意し、多彩な宿泊環境を整備しなければいけません。

―人口減少が続く中で、インバウンド頼みは変わりませんか?

持永:一時的な不安定要素はありますが長期的には国境をまたぐ旅行者は増加し、インバウンド増加という大きな流れは変わらないでしょう。しかし、インバウンドの量を追うのではなく、外国人旅行者にお金をもっと使ってもらう仕組みを整えることがそれ以上に大事です。IR(カジノやホテルなどを組み合わせた統合型リゾート)などの議論もこれに沿ったものでしょう。訪日外国人旅行者数が44年ぶりに出国日本人数を上回ったのは2015年で、ずっと赤字だった国際収支の中の旅行収支(日本人旅行者の海外での消費を「支出」、訪日外国人の日本での消費を「収入」とし、収入から支出を引いたもの)が黒字になったのもほんの5年前の2015年でした。観光立国はまだ緒に就いたばかりで、これからはインバウンドも量から質への転換が求められています。

地域の魅力の掘り起しで観光立国を

―最近、地域の観光振興を戦略的に推進するDMO(Destination Management Organization)という組織が注目されています。

持永:大きな役割が期待できます。個性を打ち出せなければ老舗のホテルでも生き残れない時代です。創意工夫で独自性を出すためには、地域との連携が必要です。外国人は日本に来るだけでエキゾチシズムを感じられますが、日本人旅行者には通用せず、ローカリティ(地域性)の魅力をセールスポイントにする必要があります。そこでDMOが重要になるのです。既に全国に160以上のDMOができていますが、問題はその中身です。その名の通り、地域の魅力を掘り起し、積極的に売り込んで観光客を誘致する攻めの組織でなければいけません。海外では米国カリフォルニア州のナパ・バレーのDMOが特産品のワインを生かして、ワイナリー巡りや食をテーマにしたツーリズムで内外の富裕層観光客を呼び込むことに成功した例が有名ですが、そこは観光地経営の専門家の活躍の場でもあります。日本でも徐々にそのような動きが出てきていますが、観光のエキスパート人材を育成し、彼らが活躍するDMOを活用し、地方が主体的に動き始めれば観光立国の可能性がもっと広がります。

30代でスイスのEcole Hoteliere de Lausanneに留学。クラスメートらと(中央)

東京五輪 x 「Team常翔」