File No.31

服部 宏治教授

広島国際大学 健康スポーツ学部 健康スポーツ学科

スポーツ自粛の今こそ人生を楽しむ文化として
スポーツを見直す契機に

FLOW No.89

服部 宏治
Profile
はっとり・こうじ 1983年日本体育大学体育学部体育学科卒。1986年広島大学大学院学校教育研究科保健体育専攻修士課程修了。広島大学附属小学校兼任講師、同文部教官などを経て、1998年広島国際大学保健医療学部臨床工学科講師。2006年同助教授。2007年同准教授。2010年広島大学大学院総合科学研究科総合科学専攻博士課程修了。2013年広島国際大学保健医療学部医療技術学科准教授。2019年同教授。2020年から現職。博士(学術)。広島国際大学バドミントン部監督。広島県出身。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によるパンデミックでは東京五輪・パラリンピックが延期されただけでなく、地球上のあらゆるスポーツが停止しました。世界大戦の時にしかなかったような事態にアスリートたちは直面したのです。社会が危機を迎えることで、その文化の一つであるスポーツも危機を迎えています。近代スポーツの歴史は19世紀の英国に始まりますが、21世紀になりその近代合理主義の所産の近代スポーツに危機的なほころびも目立つようになっています。そこに感染症という危機も加わりました。スポーツが止まってしまった今だからこそ、これらの危機とスポーツ本来の価値について立ち止まって考えることは意味があることかもしれません。スポーツ社会学やスポーツ史の研究者で、今春広島国際大に誕生した健康スポーツ学部初代学部長の服部教授に聞きました。

平和と安全があってこその文化

今回のコロナ禍でスポーツについて実感されたことは何ですか?

服部:やはりスポーツのベースには安全な生活と社会が存在しなければならないということですね。コロナ禍によって、東京オリンピック・パラリンピックが来年に延期になり、全国高等学校野球選手権大会(甲子園)とその各都道府県地方大会は中止、プロ野球は開幕延期の上、当初は無観客での開催となりました。また、学校における運動部活動の停止、地域におけるスポーツジムやヨガ教室などの閉鎖など、日常生活の中でスポーツを「する」「観る」「支える」といった機会がすべて失われていきました。確かにスポーツの危機と言えます。スポーツはルール化することによって暴力的内容を排除し、ゲーム化していく中で勝敗を楽しむなど人類が育んできた遊び文化です。本来、スポーツを楽しむためには、スポーツの歴史やその文化的内容を理解することが重要ですし、スポーツを行う大前提として平和で安全な環境が必要であるということを理解しなければなりません。コロナ禍のこんな状況だからこそ、スポーツの価値を見直すのも意味のあることではと思います。

もともとスポーツに特に求められ、期待されたものは何ですか?

服部:スポーツが私たちの生活文化の一つに含まれることは今や自明のことで、音楽や美術などと同様に時代を通して文化を形作ってきました。しかし、音楽や美術をわざわざ音楽文化とか美術文化とは言わず、スポーツだけが「スポーツ文化」とか「文化としてのスポーツ」という言い方をします。また、学校では「運動部」と「文化部」、「運動会」と「文化祭」、行政機関でも「文化課」と「スポーツ課」などの分け方がされ、あたかも異なるカテゴリーとして分類・区別されています。これは人々がスポーツに音楽や美術とは違う何かを期待しているからでしょう。つまり、音楽や美術とは違うスポーツのポジティブなかかわり方(意味)の可能性を示唆しています。

英語の「sports」は、言語史的に言えばラテン語の「deportare」(デポルターレ)「de=away(離れる)」「portare=carry(運ぶ)」からきており、のちに中世フランス語の「desporter」になり、英語の「sports」となりました。この「deportare」には「あるものを一定の場所から別な場所に移動する」という意味があり、時代とともに移動の対象が「物」から「心」に代わっていったという背景があります。つまり、日々のもんもんとした気持ち、辛い、嫌な気持ちを別のところに移して心豊かにする、言い換えれば非日常的な空間で気晴らしをする、人生を楽しむ活動(遊び)をするという意味に至ったのです。このような言語史的意味合いからすれば、近代オリンピックでかつては芸術競技(絵画や彫刻など)があったりしたのもうなずけます。今人気のeスポーツがスポーツ大会の種目になるのもある意味で当然かもしれません。

「遊戯」から「体育」へ

日本のスポーツ受容が始まった明治時代にはスポーツをどうとらえていたのですか?

服部:日本においても明治時代にはスポーツは「遊戯」と訳され、語源の意味に近い訳でした。それより前(明治初め)には「釣り」や「乗馬」と訳されたりもしました。外国人居留地で釣りや乗馬をしているのを見て日本人が「何をしているのか?」と聞くと、「スポーツだ」と答えが返ってきたための誤解でしょう。そのうちにそれらの活動すべてを総称して「スポーツ」と言っていることが分かり、やがて「遊戯」という言葉を当てはめたのです。その後、富国強兵など軍事的な観点が加わって「身体を鍛える」という面が強調され、スポーツは「遊戯」から「運動」「体育」と混同して使われるようになったのです。昨今、国民の祝日であった「体育の日」が「スポーツの日」に、また「日本体育協会」は「日本スポーツ協会」に名称変更されました。今、こうした言葉の整理も行われているようです。

日本には、近代スポーツの多くが明治・大正時代に欧米から入ってきました。戦争によって一時中断されましたが、戦後GHQは日本に民主主義を浸透させるためにスポーツを積極的に取り入れました。つまり、ルールを自分たちの手で作り、そのルールを守っていくというスポーツの過程を体験させることで民主主義を浸透させることにつながると考えたのですね。

勝利至上主義、精神主義、商業主義が忘れたもの

昔はスポーツを今よりもっとおおらかなものととらえていたのですね。

服部:日本は、根本に「遊び」や「楽しみ」があったスポーツの歴史や人生を豊かにする価値を問うことをおろそかにしたため、不屈の精神や根性があればどんな目標にも到達できる、そのためには「殴られても蹴られてもいい」といった「精神主義」や、勝敗に終始し、技術的に優れている者だけが称賛される「勝利至上主義」のような偏った方向に進み、そんな偏った指導を受けた人たちが今日指導者となって、暴力的な問題を起こすようになったのではないかと思います。また、日本だけでなく世界に目を向けても、もともと近代スポーツにあった競争原理が過剰になったことからのさまざまな問題が目立っています。ドーピングや商業主義です。



これらの問題はオリンピックを見ても分かります。そこでは勝利至上主義が金メダル至上主義になります。日本のメディアは大会が始まると「国別メダル数」の表を掲載しますが、基準は金メダルの数です。金銀銅の区別なく全メダル数でランキングをつけている国があるのとは対照的です。また1964年の東京オリンピックの時代は、「スポ根」のテレビアニメが人気を呼びました。根性で猛練習としごきに耐え、最終的に屈強な外国人選手に勝つというパターンのアニメばかりが放送されました。また、商業主義の弊害は最近の夏季オリンピックが大手テレビメディアなどスポンサーの都合で真夏の開催になっていることに表れています。熱中症などの危険を考えるととても「アスリートファースト」とは言えません。スポーツの大前提の安全を軽視しています。前回の東京大会は最もスポーツのしやすい10月10日を開会日に選んだのですが、それが本来の考え方のはずです。商業主義によって巨額のお金が動くからドーピング問題も起き、メダルのはく奪も後を絶ちません。スポーツの堕落ともいえる状況です。


歴史を知れば楽しみ方も変わる

ぎすぎすしたスポーツの現状を変えていく手立てはありますか。

服部:スポーツの歴史や豊かな文化的内容を理解し、楽しむ教育や啓蒙を進めることですね。例えば、「日本のサッカーはなぜフットボールと呼ばないのか」、「バドミントンとテニスは似ているが、なぜバドミントンは下からサーブを打つのか」、などのことは別に知らなくても簡単なルールさえ理解していれば「する」側も「観る」側も十分に楽しむことができます。しかし、こんな雑学的な発見を発端により深くスポーツを理解することができればより楽しむことができます。歴史的な内容も含め文化内容を「する」側、「観る」側、「支える」側が共有できる「場」を設けることが重要です。SNSの発達で簡単にそうした場を作れる時代です。人気選手や有名選手がSNSで発信することで、再開されたスポーツを見る目も変わってくるのではないですか。

サッカーの元日本代表の長友佑都選手は、今回の状況下で海外でもサッカーができない現状を受けて「サッカーは生きるためには必要ないことが分かりました。でも生活を豊かにするためには必要なものだということも分かりました」とコメントしていることが印象的でした。コロナ禍でスポーツを自粛しなければならない今、オリンピック・パラリンピック開催に向けたさまざまな取り組みの中で、本来のスポーツの意味(指導方法やスポーツの理解)が国民に広がっていけば、来年予定の東京オリンピック・パラリンピックが大きな意味を持つこと(レガシー)になるはずです。

スポーツの部活動が中学生の生活に与える影響の研究を紹介するパネルの前で

東京五輪 x 「Team常翔」