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File No.35

月城 慶一教授 谷口 公友准教授 木藤 伸宏教授

広島国際大学 総合リハビリテーション学部リハビリテーション学科

「チーム広国大」が支えた パラリンピックの舞台

FLOW No.95

月城 慶一教授 谷口 公友准教授 木藤 伸宏教授
Profile
■白砂 匠庸 選手 東京パラリンピック代表(陸上男子やり投げ) =しらまさ・たくや=1996年広島県北広島町に生まれる。2歳の時に農業用機械で左前腕部を切断。中学では卓球、高校で本格的に陸上(走幅跳、砲丸投げ)を始め、高校3年でパラ(障がい者)陸上に出会う。やり投げは社会人になってからの2016年に始めた。2017年あいおいニッセイ同和損保入社。2021年東京パラリンピック陸上男子やり投げ(F46クラス)に出場し、58m35で6位入賞。砲丸投げF46の日本記録保持者。
■月城 慶一 =つきしろ・けいいち=1988年国立障害者リハビリテーションセンター学院卒。1992年ドイツ義肢装具マイスター養成校(ドルトムント)卒。2007年工学院大学大学院工学研究科修士課程修了。2013年新潟医療福祉大学大学院医療福祉学研究科博士課程単位取得後退学。同大准教授を経て2015年から広島国際大学総合リハビリテーション学部リハビリテーション支援学科教授。2020年から現職。義肢装具士。ドイツ義肢装具マイスター。京都府出身。
■谷口 公友 =たにぐち・きみとも=1998年東京電機大学理工学部応用電子工学科卒。2003年国立障害者リハビリテーションセンター学院義肢装具学科卒。2010年帝京大学大学院理工学研究科情報科学専攻博士前期課程修了。2013年広島国際大学総合リハビリテーション学部リハビリテーション支援学科特任准教授。2016年早稲田大学理工学術院先進理工学研究科生命理工学専攻博士後期課程単位取得退学。2020年から現職。義肢装具士。千葉県出身。
■木藤 伸宏 =きとう・のぶひろ=1989年九州リハビリテーション大学校理学療法学科卒。18年間整形外科病院に勤務。2006年広島大学大学院保健学研究科保健学専攻博士前期課程修了。2009年同大学院博士後期課程修了。2006年広島国際大学保健医療学部理学療法学科講師。2011年総合リハビリテーション学科准教授。2017年から現職。理学療法士。博士(保健学)。福岡県出身。

やり投げの白砂選手を義手とトレーニングで両面サポート車いすなどの修理スタッフとして夏冬で7回目の参加

東京オリンピック(7月23日~8月8日)とパラリンピック(8月24日~9月5日)は、コロナ禍の厳重警戒のもと無事に開催され、世界中に大きな感動を届けました。常翔学園からも多くの関係者が、選手、監督、ボランティア、スタッフとして参加しました。中でも広島国際大では、パラリンピックの男子やり投げ代表の白砂匠庸選手をリハビリテーション学科の谷口公友准教授と木藤伸宏教授が義手製作とトレーニングで長期間サポートし、6位入賞の大きな力になりました。また、同学科の月城慶一教授は、車いすや義足の修理スタッフとしてパラリンピック7回目の参加を果たし、世界のパラリンピアンのパフォーマンスを支えました。更に医療栄養学科の3人の学生は選手村食堂スタッフとしてオリンピック・パラリンピックの現場を体験し大きな学びを得るなど、健康やスポーツで人々に寄り添うことをうたう大学の面目躍如でした。白砂選手と3人の教員に東京パラリンピックへの挑戦やその手応えなどについて聞きました。

片足立ちができず、真っすぐ歩けない

白砂さん、東京パラリンピック6位入賞おめでとうございます。まずパラ陸上との出会いを教えてください。

白砂:私には左前腕部欠損の障害がありますが、高校で始めた陸上では走り幅跳びと砲丸投げで健常者の大会に出ていました。 しかし、3年の時に顧問に勧められて初めてパラ陸上の大会に出て、「こんな世界もあるんだ」とのめり込んでいきました。高校卒業後は地元で就職し、一人で練習を続けていました。広島ではパラ陸上の選手も少なく、情報もあまりないため、当初はパラリンピックを意識することもなかったですね。

そんな中でやり投げに転向し、谷口先生や木藤先生とも出会って本格的に東京パラリンピックを目指すようになったのですね。

白砂:2015年全国障害者スポーツ大会の「紀の国わかやま大会」では、100mと砲丸投げに出て、砲丸投げで優勝しました。その時、パラ陸連の幹部に「次のリオデジャネイロ・パラリンピック(2016年)では君のF46クラスの砲丸投げはないけど、やり投げならあるよ」と言われたのです。やり投げへの転向と、パラリンピックを目指すようになったきっかけでした。谷口先生とはわかやま大会の県予選で他の選手の紹介で知り合い、始めは短距離のクラウチングスタート用の義手を作ってもらいましたが、その後2018年からやり投げ用の義手もお願いすることになったのです。本格的に始めたやり投げでその頃、記録が伸び悩んでいたのです。

谷口准教授が製作した義手3つ(左から東京パラリンピック本番用、
その前に使ったもの、トレーニング用)と生活用の義手

谷口:白砂選手は右手でやりを投げます。当初は左前腕部には生活用の義手を着けて競技をしていましたが、ある時期から日常生活も含めて義手を着けなくなりました。東京パラリンピックを目指す中で、パラ陸連の強化コーチに体のバランスを良くするために競技用義手が必要と指摘されて、私に製作を依頼されたのです。

義手がないとそんなにバランスが悪いのですか?

木藤:私は谷口先生の紹介で2018年末に白砂選手と出会いましたが、その頃の白砂選手は片足立ちができない状態でした。義手を着けない生活をするうちに、体のバランスがいつの間にか崩れていたのです。そのため真っすぐに歩けずに、知らず知らずに右に曲がり、走っても蛇行していました。

谷口:白砂選手からは「左右のバランスが保てて、投げる瞬間に左の手のひらがどちらを向いているか自分で確認でき、指の角度も変えられる義手を」と具体的にオーダーされました。何度も話し合いながら重さの微調整も続け、完成させました。

パラリンピック本番で付けた義手の説明をする白砂選手。右は谷口准教授

筋トレ強化などで肉体改造トレーニング用義手も製作

本格的な木藤先生とのトレーニングが始まったのは2020年になってからですね。

白砂:2019年11月のドバイの世界選手権が8位(53m69)に終わり、木藤先生にトレーニングの見直しをお願いしました。東京パラリンピック予選を目指して、2020年4月までの4カ月計画を立てました。

木藤:特に崩れた体のバランスを戻すことと体全体で投げられるように体幹を鍛えるトレーニング、過去に故障した肩と肘のコン ディショニングが中心でした。当初は効果があまり出なかったため、昨年、コロナ禍で東京大会延期が決まってから、改めて白砂選手と話し合いました。健常者のトップ選手の記録と約25mの差があったのですが、白砂選手の体形や力から考えて差が大き過ぎると考えました。トップ選手と比べるともっとできることがあることが分かり、毎週土曜日に大学に来てもらって筋トレを中心にしてトレーニングのバリエーションを増やしました。

トレーニング用義手を着けてバーベルを持ち上げる白砂選手。右は木藤教授



白砂:そのトレーニング強化の効果が実感できたのが昨年11月に久しぶりに開催された関東パラ陸上の大会でした。57m76の自己ベストが出たのです。

木藤:見た目にも筋肉量も増えて体が締まってきました。同時に鞭のようにしなるように肩や背中を鍛えた結果、体が柔らかく なっていました。

白砂:鏡越しに見ても自分の体の変化が分かりました。それに、それまでは練習の後に体のどこかに痛みが出ることが多かったのですが、それが無くなり、けがのリスクがほぼ無くなったと感じました。そしてトレーニングの効果を更に高めるため、バーベルをしっかりつかめるトレーニング用義手の製作を、新たに谷口先生にお願いしました。

谷口:バーベルを握る機能と重さに耐えられる耐久性が求められる義手です。見た目は無骨ですが、トレーニングに特化した義手です。今年の3月頃に完成しました。

白砂:その義手によるトレーニング効果もあって5月には日本記録にあと2cmに迫る60m63の記録を出して、パラリンピックの出場枠をつかみ取りました。

パラリンピックへの挑戦について語り合う4人(左から木藤教授、白砂選手、谷口准教授、月城教授)

選手らを感激させた最高のおもてなし

選手として出られた白砂さんと修理スタッフとして参加した月城先生。お二人の東京パラリンピックの印象を教えてください。

白砂:緊張せず競技を楽しむことができました。2019年のドバイの世界選手権と比べると、2人の先生たちのサポートもあって心の余裕が持てて、安心して競技に臨め、世界選手権より記録を伸ばせて6位入賞(57m58)できました。ただ、健常者の選手と変わらないほどに世界のレベルが上がっていることも実感しました。大会1カ月前にできた谷口先生の新しい競技用義手の手応えもあり、まだまだ自分には伸びしろはあると思います。木藤先生とのトレーニングで今回確認できた技術的な弱点を克服します。3年後のパリが楽しみでしかないです。

国立競技場をバックに海外の修理スタッフの同僚らと(左が月城教授)=オットーボック社提供



月城:裏方として7大会目で、8日間修理センターで選手の車いすや義足などの修理を担当しました。修理は1日に10件くらいで、持ち込まれるのはやはり途上国の選手たちのメンテナンスが十分になされていないものが多かったです。東京大会は、過去の大会と比べてとても雰囲気の良い大会でした。コロナで開催の是非が議論されましたが、いざ始まるとボランティアや大会スタッフの日本人独特のおもてなしの気持ちが強く発揮されたからです。カンカン照りの暑さの中で、誘導する選手らをうちわであおいでくれるようなボランティアの姿に、海外から来た修理スタッフも感激していました。

白砂:私も海外のいくつかの大会に出ましたが、あそこまでのおもてなしを感じたことはなかったです。ボランティアやスタッフがマスク越しでも常に笑顔で接してくれて、嫌な思いをすることが全くなかったです。そのためにリラックスして競技できた選手も多かったはずです。陸上のサブトラックは陰が少なく暑かったのですが、バスタオルや水のボトルも手渡ししてくれる細かな気配りが徹底され、海外では経験したことの無かったことです。

今回の東京パラリンピックへの挑戦で得ることのできたものは何ですか?

白砂:義肢装具士の谷口先生と理学療法士の木藤先生との出会いです。パラ陸上は個人でやるには難しい種目で、色々な人のサポートが必要です。私はとても恵まれています。お二人との出会いが無ければ東京パラリンピックの舞台に立てなかったと思います。

谷口:白砂選手のパフォーマンスをいつもYouTube でチェックし応援していました。私にとっては記録よりも、トラブル無く無事に投げてもらえたことが何よりです。

木藤:3年前から実業団のハンドボールの選手にも関わっていますが、アスリートは結果が全ての厳しくてだましのきかない世界です。そんな世界に白砂選手を通じて関われることにやりがいを感じています。また、スポーツに関心の無かった家族が、白砂選手の活躍で興味を持つようになったのを見て、改めてスポーツの力を実感しています。

白砂:広島国際大は広島のパラアスリートとしてとてもありがたく、今後も障害者スポーツの拠点となります。私も今後、広島国際大の存在をアピールしていきたいです。

月城:私立大学がここまでパラリンピックに大きく関わる例は少ないのでは。スポーツを通して、選手と地域と大学が一緒に取り組む理想的な形といえます。白砂選手にはパリ大会でぜひメダルを取ってほしいし、今回の経験を広げて、広島から第2、第3の白砂選手が出て来ることを期待したいですね。

左から宮本さん、三本さん、田中さん

食材の下処理や選手への料理提供も

それぞれの働いた期間と仕事の内容を教えてください。

田中:私はオリンピック中の7月終わりから8月にかけての1週間で、主に選手への料理提供や廃棄など食材の時間管理でした。

宮本:私と三本さんはオリンピック全期間とパラリンピック前半までの7月終わりから8月いっぱいの5週間でした。仕事は前半がフロアでの食事提供、後半が食材を切ったり野菜を洗ったりする下処理でした。

三本:私は計4カ所回り、グリル調理や蒸し料理、鶏肉の前処理、料理の運搬・提供などを担当しました。

アスリートとの直接の触れ合いもあったのですね。

宮本:料理を皿に盛ったりする際に、英語やジェスチャーでコミュニケーションしました。難しい言葉は通訳ができる人に助けてもらいました。

三本:日本語で「ありがとう」と言ってくれる海外の選手たちも多かったです。バスケットボールの八村塁選手など有名選手が目の前にいてドキッとすることもありました。

田中:大柄で強そうなイメージの選手がとても優しく接してくれて、うれしくなりました。

教科書でしか見たことのなかった料理が目の前に

1日最大4万5000食が用意されたメインダイニングでは世界各国の料理が並んだそうですが、印象に残った料理はありますか?

宮本:ハラール料理のコーナーも担当しましたが、パラタというナンのようなパンです。カレーや豆料理など色々なものを挟んで食べます。豚肉が出せないハラールではエビが人気だったのも意外でした。

三本:私はクスクスです。小麦粉を練って粉状にした北アフリカ発祥の食材で、多くの国の選手が食べる人気の食材でした。他に人気だったのはグリーンピースの蒸し物やオートミールで、すぐに無くなり補充しました。試食できたラム肉のおいしさにも驚きました。

宮本:外国人のシェフが食べさせてくれたクスクスのチャーハンがおいしかったです。

田中:私もクスクスが印象深いです。キャッサバ料理など教科書でしか見たことのない多くの料理にも出会えました。オニオンリングや餃子も人気でした。




クスクス料理の例

自分を変えるために背中を押してくれた経験

今回の経験で学んだことは何ですか?

宮本:大量調理での衛生管理や温度管理とそれを記録することなどすごく勉強になりました。人とのコミュニケーションの取り方も学ぶことが多く、自分を前向きにしてくれた経験でした。

三本:食堂を運営するフードサービス会社のスタッフの指示が的確で、あの想像を超えた規模の現場で臨機応変に動く姿がとても勉強になりました。コロナ禍もあって行くかどうか迷ったこともありましたが、今では決断して良かったと思っています。

田中:言葉が分からなくても食を通じて世界とコミュニケーションできることを学びました。私は3年生で就活が始まりますが、この経験でいろいろな分野での食事提供に携わりたいという気持ちが強くなりました。

東京五輪 x 「Team常翔」