File No.30

高松 宏治教授

摂南大学 薬学部 薬学科

生存戦略に長けた新型コロナ
感染症が社会構造を変え歴史を動かす契機にも

FLOW No.88

高松 宏治
Profile
たかまつ・ひろむ 1990年筑波大学第二学群生物学類卒。1995年同大学院生物科学研究科生物物理化学専攻博士課程修了。1996年摂南大学薬学部衛生薬学科助手。2006年同薬学科講師。2010年同准教授。2016年から現職。博士(理学)。広島県出身。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が世界に広まるパンデミックとなり、東京五輪・パラリンピックは1年延期になりました。このウイルスに限らず近年多くの野生動物由来の感染症が世界を震撼させてきました。こうした感染症拡大の背景には、航空機など交通の発達により人や動物が短時間で地球のどこにでも移動が可能になったグローバリゼーションがあり、五輪など増え続ける世界的イベントが感染症を世界に一気に広めるリスクを背負います。これまでに人類が撲滅に成功したウイルスは天然痘だけで、ネズミやプレーリードッグを介するペストですら過去の病気ではなくコントロールできていないのが現実で、感染症対策の難しさをうかがわせます。微生物の専門家である摂南大学薬学科の高松宏治教授に、コロナウイルス、感染症の歴史、パンデミックの背景などについて聞きました。

変異を繰り返し進化するウイルス

風邪の10~15%はコロナウイルスが原因ということですが、今回の新型コロナウイルスやSARS、MERSなど致死性の比較的高いコロナウイルスは何が違うのですか?

高松:ウイルスというのは生物と無生物のどちらにも分類されないものですが、DNA(デオキシリボ核酸)やRNA(リボ核酸)という遺伝物質を持つ点では生物と同じです。DNA型とRNA型の2種類があり、コロナウイルスは変異しやすいとされるRNA型です。細長いひも状の分子が2本なのがDNAで、RNAは1本です。その分子を増殖させるために、感染したヒトなど宿主の細胞の働きを利用します。致死性の違いは簡単に言うとその遺伝子が異なるからです。RNAを構成する4種類の塩基の並び方、すなわち塩基配列によって遺伝子の働きが決まります。すべてのコロナウイルスは共通の祖先を持つと考えられますが、突然変異を繰り返すことによって進化し、従来型のウイルスとは異なる動物に感染する新型ウイルスが登場することがあります。新型ウイルスに対してほとんどの個体は抵抗力(防御免疫等)を持たないため、時にアウトブレイク(感染爆発)、エピデミック(地域流行)、パンデミック(世界流行)につながります。SARSやMERSは動物のコロナウイルスが突然変異を起こしてヒトに感染するようになったと考えられていますが、幸いパンデミックに至りませんでした。今回の新型コロナウイルスの「感染力は強いが、極端に高い致死性がなく、感染しても症状が現れない無症候性感染者が多い」という特徴がパンデミックを引き起こす大きな要因になった可能性があります。生存戦略に優れたウイルスと言えます。

新型コロナウイルスの電子顕微鏡写真(国立感染症研究所提供)
=RNAを覆い保護するエンベロープ(外皮)とその周りの
トゲ(スパイク)が特徴的な形で、トゲがヒトの細胞上の
受容体と結合し、ヒトの細胞内に侵入する。

鳥インフルエンザ、SARS、エボラ出血熱など、20世紀後半以後に出現したウイルス感染症の3分の2はヒト・動物共通感染症ですが、動物のウイルスが人間に感染する仕組みを教えてください。

高松:一般的に、あるウイルスが感染可能な細胞(宿主細胞)の種類は限定されており、種が異なる動物間でウイルスが伝播することはまれですし、同じ動物個体の中でも感染する細胞の種類が限定されます。進化的にみてヒトとの類縁関係が近い動物ほど、細胞の構造や働きがヒトと似ているため、同じウイルスに感染する可能性が高くなります。例えばインフルエンザウイルスは呼吸器の上皮細胞の表面に存在するシアル酸とよばれる物質(ウイルス受容体)に結合します。動物の種類によってシアル酸の種類も異なるため、それぞれのインフルエンザウイルスは特定の動物にだけ感染します。ブタの細胞には、ヒトやトリと共通のシアル酸が存在するため、ブタはヒトとトリのA型インフルエンザウイルスに感染することがあります。ブタの細胞内でブタ、ヒト、トリのA型インフルエンザウイルスの遺伝子が混ざり合うことで、新型ウイルスが形成されると言われています。

免疫系の低下も怖いが、過剰も怖い

新型コロナウイルスにより重症の肺炎になるかならないかの要因は、感染者の抵抗力の強さなのでしょうか?

高松:ウイルスは感染する細胞を選びます。その細胞のある臓器が命にかかわらないものならいいですが、今回の新型コロナウイルスのように肺に感染するものや神経細胞や血管細胞に感染するものは危険です。重症になるかどうかは感染者の抵抗力(免疫力、基礎疾患の有無など)が重要ですし、医療体制も大きな要因と考えられます。また、国によって致死率の格差が大きいのは、医療体制、国家体制、経済力、人口密度、習慣(文化、宗教、マスクの着用、SARSやMERSの経験など)、遺伝的特性など、複数の要因が影響します。基礎疾患がなく若いのに重症化したり死亡したりする患者も報告されていますが、免疫系が過剰反応して自分自身を破壊的に攻撃し、それが全身に及ぶ「サイトカイン・ストーム」と呼ばれる免疫の暴走のケースもあります。免疫力は弱くても問題ですが、過剰でもダメでバランスが大事なのです。報道で私が興味深いと思っているのは、BCG( 結 核ワクチン)が新型コロナウイルスの重症化を抑制しているのではないかとの説です=*注1。

新型コロナウイルスの終息の見通しを専門家はどうやって予測するのですか?

高松:感染者数、患者数、重症者数、死者数などの数値の推移に基づいて予測していると思いますが、予測が当たるかどうかは分かりません。PCR検査は検査時点でのウイルス感染の有無の参考にしかなりません。感染履歴が分かる抗体検査=*注2=が普及すると予測精度が向上すると期待できます。

ワクチンや特効薬の開発にはどれくらいの日数が必要ですか?

高松:ウイルスの分子構造を解析して、ヒトの細胞の受容体と結合するより先にその構造にはまり込んで感染を阻害する薬などが考えられています。実はウイルスを攻撃するそうした薬はたくさん作られるのですが、ほとんどは人体にも害を及ぼすために使えないのです。新規の薬やワクチンの開発には副作用や安全性のテストに時間がかかり、一般的に年単位の時間が必要です。だからBCGやアビガン(一般名:ファビピラビル)のような既存のワクチンや薬剤に期待がかかるのです。

歴史に学び防災や国防に準じる備えを

グローバリゼーションで感染症は国境を越えた脅威です。こんな時代に私たち個人で備えること国家が備えるべきことを教えてください。

高松:個人としては、感染症と感染防御に関する基礎知識を身につけること、最新で信頼できる感染症関連情報を入手すること、それらを客観的に分析して利用することが重要です。また、経験則も重要なので、感染症の歴史を学ぶことを強調したいです。例えば14世紀に繰り返されたペスト(黒死病)の流行と今回のパンデミックはいろいろ似ています。ペストは今の中国から絹の道や海の道を伝ってイタリアに上陸し世界に広がりました。当時は病原体など知られていませんでしたが、顔を覆うマスクをしたり、人同士の接触を避けるなど今と変わらぬ対策もしていました。船を港に40日間留め置く検疫もしました。検疫を英語でquarantine( クワランティン) と言いますが、イタリア語の40日間を意味する言葉が語源です。過去の感染症流行では人口の激減など社会構造が変わり、歴史が動いたことが何度もあります。今回のパンデミックでも、五輪が延期になりテレワークが進むなどの社会の変化をもたらしています。過去を知らずに未来のことは分かりません。

国家の対応としては、初等教育からの公衆衛生と道徳に関する教育が最も重要です。知識だけでなく、手洗い、マスクなどの使用法、 服薬などの訓練も必要で、専門家の育成も重要です。防災や国防に準じた扱いをするべきです。起こるか起こらないか分からない危機に対して、国内外の状況に応じて備えることになります。

人類の6~7割が感染すれば自然に終息するというのは本当ですか?

高松:周りに感染できるヒトがいなくなればウイルスは生き残れません。インフルエンザなど感染経路が似ている感染症を参考に予測した数字だと思いますが、「終息する」とは地球上から消滅することを意味しているのではなく、今回の流行が終わることを意味します。だから第2波、第3波の流行にも警戒が必要です。そして流行終息の後には、従来型コロナウイルスと同様、新型コロナウイルスも普通の風邪としてヒトと共存しながら生き残る可能性もあります。

手作りのウイルス模型で説明する高松教授

*注1=BCGワクチンを定期接種にしている国(日本、中国、韓国、香港、シンガポールなど)は新型コロ ナウイルス感染者が少なく、接種をしていない国(イタリア、スペイン、米国、フランス、英国)は多いという仮説。オーストラリアなど複数の国でBCGワクチンによる臨床研究の動きがある。

*注2=PCR検査はウイルスの遺伝子増幅を行う検査で、結果が出るまでに時間がかかるうえ設備や機器も必要。抗体検査では感染初期に出現するIgM抗体、過去の感染履歴を示すIgG抗体を検出するもので、簡単なキットで血液を採取し15分程度で結果が分かる。

東京五輪 x 「Team常翔」