吉村 英祐 教授

大阪工業大学 工学部 建築学科

人間工学の視点から考える命を守る建築の役割
デザイン性の落とし穴も

FLOW No.102

吉村 英祐
Profile
よしむら・ひでまさ 1978年大阪大学工学部建築工学科卒業、1980年同大学院工学研究科建築工学専攻修士課程修了、小河建築設計事務所、大阪大学助手、助教授を経て2007年から現職。博士(工学)、一級建築士。1992年日本建築学会奨励賞、2007年日本建築学会賞(論文)。建築防災計画評定委員会主査(日本建築センター)、防災計画技術検討委員会副委員長(日本建築総合試験所)、日本建築協会常任理事ほか。主な著書に『阪神・淡路大震災における避難所の研究』(1998年)、『性能規定化時代の防災・安全計画』(彰国社、2001年)など。大阪府出身。

阪神・淡路大震災の体験で現場重視の姿勢に

大阪工大建築学科の吉村英祐教授は、2021年12月の梅田北新地のクリニック放火によるビル火災や昨年10月の韓国ソウル梨泰院での群集雪崩事故でテレビ、新聞など多くのメディアに専門家として登場しました(2021年12月20日の毎日放送「よんチャンTV」=北新地のビル火災における建物の防災について、2022年10月31日のNHK「クローズアップ現代」=群集雪崩のメカニズムについて、など)。吉村教授は建築・都市空間の安全について物理的な構造だけでなく、人間の心理や行動原理まで含めた人間工学の観点から研究に取り組んできましたが、阪神・淡路大震災が研究の方向性を決めた大きな出来事だったと言います。日々の事件・事故は言うに及ばず、今懸念されている東南海地震など大災害を前に、建築に携わる人々の課題は何なのか。これまでの災害研究で得られた教訓や、一般の人々が心掛けておくべきことは何なのか。吉村教授に聞きました。




私は大阪大の建築工学科に入学し、建築人間工学講座に所属したことで建築の安全や防災について研究を始めました。卒業論文では「東海大地震による人的被害の研究」をテーマにし、大学院に進んでからはNHKの番組制作に協力し「群集の詰め込み実験」(0 .7㎡の電話ボックスに何人入るかなど)の経験もしました。修士論文の「地下街の火災による人的被害の推定とその安全化に関する研究」では、当時の大型計算機を使って梅田地区地下街での避難シミュレーションを行いました。一辺25mの正方形メッシュでモデル化し、火災発生と同時に地上への階段に向かって滞留者に避難を開始させ、四辺に煙が伝播したメッシュ内に閉じ込められた滞留者は逃げ遅れで亡くなるとみなす流体モデルです。平日の夕刻の場合、2700人が亡くなるという結果になりました=図は出火4分後のシミュレーション結果。死者数推計が余りにも多いので学会発表を控えていましたが、1980年8月16日に静岡駅前地下街爆発事故(6人死亡、ケガ人は223人)が起き、指導教官の岡田光正教授が急きょ記者会見で発表したのです。新聞でも報道されて自分の研究成果が社会に注目されたことが、研究者の道に進みたいと思うようになったきっかけになりました。

神戸の避難所に泊まり込んで調査

大学院を出て建築設計事務所で住宅から学校までさまざまな設計に関われたのは貴重な経験になりましたが、研究者になりたいという思いが強まり、しばらくして大学の研究室に戻りました。パソコンを使って死者が発生した実火災の避難シミュレーション再現や、効果的な避難誘導標識の配置方法の検証などをしていましたが、1995年1月の阪神・淡路大震災の被害を目の当たりにしたことが、研究の大きな転機となりました。コンピュータによるシミュレーションより実際の現場に行き人々と会って話を聞くことを重視する姿勢が明確になりました。被災調査で、たまたま立ち寄った神戸高校体育館避難所のリーダーに許可をいただき、半年にわたり月に一度体育館に泊り込んで避難所の実態調査を行いました。その成果が「阪神・淡路大震災における避難所の研究」で、日本建築学会の調査報告の作成にも携わりました。この研究は東日本大震災発災後に再び注目され、多くの問い合わせがあり、研究が少しでも生かされたかなと思っています。

そこで得た大きな教訓としては、災害時には真っ先に避難場所として選択される公立の小学校が地域コミュニティーの核であり、普段から地域に開かれた学校づくりが重要であるということです。また、避難所ゾーンと学校再開に最低限必要な教室ゾーンを明確に分離できるようにしておくことや、体育館に更衣室やトイレを設置し、避難所として独立運営できるようにしておくという大きな教訓も得られました。

2011年の東日本大震災では被災地に3回行きました。仮設住宅作りでは、元のコミュニティーをできるだけ守るということに阪神・淡路 大震災の教訓が生かされました。仮設住宅の半数がみなし仮設住宅(民間賃貸住宅を仮設住宅に準じるものと見なす制度)になりました。津波避難ビルの普及、機械室・電気室を地下ではなく上階に設置、企業の事業継続計画(BCP) 作成、などの教訓が新たに生まれて全国に広がりました。何より「想定外を想定する」という大きな教訓が生まれました。

梅田ビル放火、ソウルの群集雪崩の教訓

私が多くのメディアから取材を受けた2021年12月の梅田北新地のクリニック放火によるビル火災と昨年10月の韓国ソウル梨泰院での群集雪崩事故でも、今後の大きな安全の課題が浮き彫りになりました。

梅田の放火されたビルは、階段が1カ所しかない古い6階以上の「既存不適格」建築物で、「全国に数万棟」(毎日新聞より)残っていると推計されます。火災からの避難は2方向避難が理想で、反対方向の階段設置や避難バルコニーの設置で安全性は高まりますが、多額の改修費用や使えるスペースが減ることなどから二の足を踏むビル所有者が多いのが現実です。一時避難スペースの設置などの新ガイドラインもできましたが、私は屋内避難階段の床面積を容積率の対象外にする緩和策が古いビルを改修する動機の1つになると考えてい ます。

群集雪崩事故は明石の花火大会歩道橋事故(2001年7月)でも同じですが、建築空間よりも建築基準法が適用されない屋外空間で発生しやすいので、群集事故発生の予防は建築(ハード)よりも制御(ソフト)が重要です。普段から、エレベーターでブザーが鳴るくらいの人の密集度になったら警戒が必要な目安です=写真は2㎡に28人が密集する詰め込み実験を上から撮影したもの。群集は単なる個人の集合体ではなく、個人の意思では動きをコントロールできないものだと肝に銘じて警備などのソフトの対策が重要なのです。群集事故はスタジアムや劇場など大規模集会施設でも起きる可能性もあります。その対策も含めた「集会施設等の避難安全のバリアフリーデザインの手引き」を建築学会で私が責任者になって現在まとめているところです。

過度に恐れず、正しく恐れる

近い将来に予想される東南海地震など大災害や事故から命、財産を守るために大事なことは、普段からリスクを想像する力です。防災倉庫の扉を他の扉に合わせて内開きにして、地震で中の物が崩れて扉が開かなかったり、機械室を地下にしたため水害で使い物にならなくなったり、残念な例は枚挙にいとまがありません。地震に関して建築の耐震設計は年々進化していますが、避難計画などのソフトが追い付いていないのが現状です。建築家は建築計画の段階で非常時と日常を区別せず、建築計画による耐震化を図る必要があります。「過度に恐れず、正しく恐れる」ことを設計段階で頭に入れておけば安全性とデザイン性は両立するはずです。一般市民も安全な建築や環境を見抜く力を身につけたいです。具体的には家を買う時に専門家に安全性や適法性をチェックしてもらったり、周辺の地盤情報やハザードマップを参考にしたりすることなどです。

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