鶴田 一郎 准教授

広島国際大学 健康科学部 医療栄養学科

戦争や震災のストレスに向き合う
災害カウンセリング「心のケア」で大事な傾聴

FLOW No.101

鶴田 一郎
Profile
つるた・いちろう 1994年放送大学教養学部(発達と教育専攻)卒。1997年東洋大学大学院文学研究科修士課程修了。2004年名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士後期課程修了。東京都江戸川区教育研究所葛西分室教育相談室教育相談員(心理) などを経て、1998年広島国際大学医療福祉学部医療福祉学科講師。2020年から現職。専門は臨床心理学・災害カウンセリング。公認心理師。臨床心理士。博士(心理学)。東日本大震災後の2012年に「いわて高等教育コンソーシアム」の復興人材育成教育にボランティア教員として参加し「災害カウンセリング」の講義を担当。著書に『災害カウンセリング研究序説』(2012年ふくろう出版)など。福岡県出身。

戦争ストレスを防ぐ生活リズム

ロシアによるウクライナ侵攻から10カ月が過ぎ、世界の人々に戦争ストレスが広がっています。ネット上で悲惨なニュースや情報を追い続ける「ドゥーム・スクローリング(破滅の追い掛け)」という言葉も注目され、毎日、気のめいる戦争のニュースを見聞きすることの精神衛生への悪影響が指摘されています。また、日本で暮らすウクライナからの避難民の心のケアも重要になっています。カウンセラーとして災害被災地での活動も行ってきた広島国際大医療栄養学科の鶴田一郎准教授の研究テーマの1つが「災害カウンセリング」です。戦争は人的災害で、自然災害の被災者の心のケアと戦争被害者の心のケアとは多くが共通します。鶴田准教授に、災害カウンセリングの歴史や戦争ストレスに向き合う方法、ウクライナからの避難民など災害に遭った人々の心のケアで大事なことなどを聞きました。

始まりは世界大戦の戦争神経症

私が災害カウンセリングに関心を持つようになったきっかけは、1995年1月の阪神・淡路大震災と同年3月の地下鉄サリン事件です。阪神・淡路大震災では友人、知人、先輩、後輩、恩師などのたくさんの方が被災しました。また、地下鉄サリン事件の当時は仕事先が東京の事件現場にも近く、もしかしたら自分が被害に遭っていたかもしれないというテロ事件でした。この2つの大きな自然災害と人的災害がきっかけでしたが、じっくり勉強を始めたのは2011年3月の東日本大震災で、「被災者の方たちに自分が何かさせていただけないか」と考えるようになったからです。

災害とは、WHO(世界保健機関)の定義では「生態上および心理社会的側面における重篤な崩壊であり、影響を受けたコミュニティーの対処能力を遥かに超えるもの」です。全米被害者援助機構の訓練マニュアルでは、災害を自然災害、産業技術災害、人的災害の3つに分類しています。



災害カウンセリングの研究の歴史は元来、戦争がきっかけでした。米国で2つの世界大戦での兵士らの「戦争神経症」の研究から始まったのです。第二次大戦後は、1980年代前半から、戦争における「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」の研究が始まりました。米国における災害カウンセリングの歴史は、カリフォルニアの活断層における大規模地震など自然災害でのカウンセリングもありますが、大まかには「戦争」中心です。しかも、カウンセリングの中心テーマ(目標)は兵士を再び戦場に戻す「再適応」なのです。

一方、我が国では1995年の阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件から、災害カウンセリングが始まりました。日本においての中心テーマは被災者の「心のケア」です。

「傾聴」が引き出す自己治癒力

日本における災害カウンセリングの大まかな手順は、次の通りです。



カウンセリングによる心のケアを必要とする時期は、米国では被災直後からというのが主流の考えですが、我が国では阪神・淡路大震災の実践研究から災害の2~4年後という考えが主流です。阪神・淡路大震災後の早期に、被災した子供たちに被災時の絵を描かせるという被災体験直面化の取り組みが、かえって子供たちの心のケアを後退させてしまったという反省があるのです。つまり被災者の心の状態は2~4年後を中心に少なくとも5年間は見守る必要があります。しかも、災害規模によっては5年で終わることは少なく、長期間に及ぶ粘り強い支援が必要です。

カウンセラーにとって特に大切なことは支援を決して押し付けないことです。被災者が以前の生活に一歩でも近づくことが大事であり、その一助となるのが災害カウンセリングです。その中心は被災者の話を聴く「傾聴」で、その人が本来持つ自己治癒力を発動するための手助けとなることを目指します。そして一人一人の自己治癒力が集まり、被災地のコミュニティー全体の治癒力が高まれば理想的です。

大人は「うつ」、子どもは「身体に不調」

さて、今も続くウクライナの戦争では、災害カウンセリングを必要とする人々が増え続けています。最悪の人的災害である戦争で最も大きな心の傷を負うのは戦う兵士であり、戦禍に巻き込まれた住民たちです。戦争地域でも心理カウンセラーは活動しています。災害時に現場に駆け付ける「国境なき医師団」=*はよく知られていますが、そのスタッフの中にも臨床心理士がいます。彼らは特に子供や高齢者、女性などの心のケアを担当します。例えば子供たちへ遊びを媒介としてケアを行うといったことがあります。ちなみに戦争などの災害で大人と子供では心への負荷の現れ方に大きな違いがあります。大人も子供も過剰に我慢しようとしてしまいますが、その結果、大人は理屈で我慢しようとするので「うつ」傾向になる方が多いようです。子供は言葉でうまく表現できないことから、不眠・過食拒食・頭痛・腹痛など、「身体」にまず症状が出ます。

米国の場合、戦争でPTSDになった兵士は帰還させられ、「再適応トレーニング」(治療)を受けて、再び戦場に送られます。帰国してからの元兵士の自殺率の高さを考えると大きな問題があります。

日本の自衛隊はイラク戦争で戦闘には参加していませんが、人道支援活動に従事しました。そうした戦争地域にも派遣される自衛隊には「心のケア」を担当する部署があり、臨床心理士もいます。自然災害に関して米国ははっきり戦争と分けていますが、日本の場合は自衛隊の紛争地域派遣も自然災害も「心のケアが必要」という点で同一カテゴリーにしています。

*【国境なき医師団】1971年にフランスの医師とジャーナリストのグループによって作られた非政府組織(NGO)で、世界最大の国際的緊急医療団体。1999年にノーベル平和賞を受賞。

避難民への「分かる」と「過剰な世話」は禁物

ウクライナから多くの避難民が来日していますが、その心のケアで注意すべきことを挙げます。まずカウンセラーに関しては、避難民に共感を寄せるのは大事ですが、「分かる、分かる」と安易に言わないことも大事です。平和に暮らしている日本人カウンセラーに分かるわけがないのですから。カウンセラーでない一般市民が気をつける点は、「あまりに過剰に世話を焼かない」ということです。良かれと思って世話を焼き過ぎると、避難民の人たちの自己効力感=*が低下します。例えば「自分はこんなに世話を焼かれるほど、無力な存在なんだ」と余計に落ち込ませてしまいます。できることがあるなら積極的にやってもらうことが大事です。避難者がウクライナ語の講師を務め、ウクライナ文化の普及イベントにゲスト参加したなどのニュースもありますが、効果が大きいはずです。

*【自己効力感】自分がある状況において必要な行動をうまく遂行できると、自分の可能性を認知していること。カナダ人心理学者アルバート・バンデューラが提唱した。

災害カウンセリングについての著書


一般人の私たちもウクライナの戦争が長引くにつれて、毎日のニュースに心を痛め、気がめいるようになっています。まさに戦争ストレス状態です。コロナのストレスも加わっているのでなおさらです。最近、医療支援者や支援ボランティアが被災者に接するうちに過剰に共感しストレスを高めて心身の不調になる「共感疲労」という言葉も注目されています。インターネットなどSNSの発達で戦争の悲惨さがすぐに拡散しウクライナの国民に共感を寄せるというプラスの面はあるのですが、過剰にそうした情報に接すると一般人も同じようなストレスに陥る危険があります。

そうしたストレスへの対処法としては、日常を淡々と過ごし、ルーティンをこなしていくという生活リズムの維持が最も大事です。飲酒して騒ぐなど何かで「ガス抜きする」という発想をやめるのが大切です。飲酒は過度になりやすく逆効果です。

ストレスに向き合うには特に次の3つを実行すると効果的です。

カウンセラー面をしない

研究室にはカウンセリングの箱庭療法のための
多くのフィギュアも

カウンセリングで私が大事にしていることは、「カウンセラー面しない」ということです。災害カウンセリングに関しても同様ですが、気を付けているのは特に支援の当初は「ただのボラ ンティア」という姿勢を崩さないことです。東日本大震災のある被災者から「被災者、被災者と一括りにされるのがつらい。私は1人の独立した人間なのに」と小さな声で言われたことが忘れられません。被災者と言っても一人一人の悲しみや苦しみも違います。そんな被災者それぞれと悲しみや孤独を共有し、一緒に汗と涙を流しながら共に人生を歩む「同行(どうぎょう)」というのがカウンセラーとしての私の基本姿勢です。

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