- Profile
- みやもと・じゅんこ 1998年神戸市看護大学短期大学部第一看護学科卒業、2014年神戸大学大学院保健学研究科保健学専攻地域保健学領域博士課程前期課程修了。神戸市立中央市民病院(現:神戸市医療センター中央市民病院)、兵庫県災害医療センターで看護師として14年勤務。青年海外協力隊、看護師隊員としてホンジュラス共和国で2年間の国際保健活動に従事。帰国後、2016年姫路大学看護学部グローバルヘルス領域(災害看護、グローバルヘルス看護学)に着任。2022年から現職。専門は災害看護学、国際看護学、地域・在宅看護学。J I C A 国際緊急援助隊医療チーム・感染症チーム、PHM/EMTイニシアティブ班班員。災害人道医療支援会(HuMA)メンバー。国内外の災害支援活動に従事。兵庫県出身。
近年、地球温暖化の影響により、豪雨災害が頻発し、激甚化もするようになりました。更に、南海トラフ地震や首都直下型地震といった大規模地震が発生する確率は、今後30年以内に7割ともされ、未来を描くうえで防災や減災への意識が欠かせません。災害では、直後の対応はもちろんのこと、中長期的な視点での地域復興や被災者支援が大切になります。役割の1つに現場での看護があります。阪神・淡路大震災をきっかけに研究が始まった災害看護について、どのような取り組みや思いがあるのか、海外での被災地支援の経験を持ち、国内では被災者の健康管理や生活支援に役立つ手帳を開発している広島国際大看護学科の宮本純子准教授に聞きました。
きっかけは阪神・淡路大震災
災害看護という言葉は、まだ一般にはなじみが薄いかもしれません。日本災害看護学会では、「災害に関する看護独自の知識や技術を体系的にかつ柔軟に用いるとともに、他の専門分野と協力して、災害の及ぼす生命や健康生活への被害を極力少なくするための活動を展開すること」と定義しています。災害発生時だけでなく、災害前の備えや、発生後に人々の生活が元通りになるまでの期間が対象で、人々に加え、コミュニティーや社会の支援も含んでいます。
災害看護が注目されるきっかけは、1995年の阪神・淡路大震災でした。それまでにも災害が起きれば、日本赤十字社などが救援活動をしていましたが、もっと看護界全体で、災害看護学の「知識」を体系化する必要があるという認識が広がったのです。そして1998年、日本災害看護学会が設立され、学問として研究されるようになりました。
中国四川省の地震発生直後、都市部の大規模病院で活動する宮本准教授(中央)
=2008年5月(写真提供:JICA、画像の一部を加工しています)
気持ちと技術が共通言語
私自身が初めて災害看護に携わったのは、2008年5月に中国・四川省を震源に発生したマグニチュード7.9の地震での活動でした。被害は死者約6.9万人、建物は全壊が約536万棟という大規模なものでした。
当時、在籍していた兵庫県災害医療センターから、JICA(国際協力機構)の国際緊急援助隊医療チームの一員として発生直後の2週間、四川省の都市部にある大規模病院に派遣されました。
現地の医師や看護師と連携しながらの被災者支援でした。言葉の壁はあるものの、次にどんな処置をするのか、何を準備しておけばいいのか、不思議と理解し合えました。看護に向き合う気持ちや技術が共通言語のような役割を果たしていたのです。
現地では感染していない傷口も消毒していましたが、この方法は正常な皮膚の再生も遅らせることになります。現地看護師との関わりの中で、ウエットドレッシング(清潔な水で汚れを洗い流し、感染していない傷を湿潤状態にして回復を促す方法)を実施して、傷口を写真で撮影しました。日を追ってどのように変化したかを確認してもらうと、効果を実感してもらうことができました。相手を否定するのではなく、根拠を示しながら「こんな方法もあるよ」と伝えていくことが大事です。清拭や洗髪、口腔ケアなど、日本の細やかなケアは高く評価してもらうこともできました。
アフリカ・モザンビークで経口補水液の効果的な摂取方法を被災者に伝える宮本准教授(左端)
=2019年3月(写真提供:JICA、画像の一部を加工しています)
その後は、台風に見舞われたフィリピンや、サイクロン後のアフリカ・モザンビークなどで活動しました。NPОのメンバーとして活動したフィリピンミッションでは、医師や看護師ら5人程度のメンバーで交通の便の悪い場所に出向き、教会などに診療所を開設しました。脱水症状を改善するための経口補水液の効果的な摂取方法や、衛生状態の悪い場所では水を煮沸して飲むことなどを伝えます。文字が分からない人や子供にも理解できるよう、図入りのパネルや劇仕立てで伝えることもあります。
文字が読めない人や子供にも理解しやすいよう、説明ボードにはイラストを使っている
=2013年11月、フィリピンで
変化するニーズに合わせ柔軟に
海外の活動はインフラが整っていなかったり社会背景が異なっていたりして、思うような支援につながらないこともあります。災害看護は、災害サイクルといって、時期に合わせて必要とされる支援が変化していきます(下図)。一時的に不足しているものを補うように、柔軟に対応していく力が求められます。支援に入る前に、支援者自身の心の変化や災害看護に関する学習は必須です。準備なしに現地に入ると、支援者が自身のストレス反応にうまく対処できないことや、支援者のふるまいで現地の被災者を傷つけてしまう可能性があるためです。
時間の経過により変化する人々の健康・生活、社会のニーズに対応した医療や看護支援が求められる
再建に向け「いまから」「これから」
国内では、被災者の健康管理や生活の再建に役立つ健康手帳の開発に取り組んでいます。
最初に手掛けたのは2018年7月の西日本豪雨の後、岡山県倉敷市真備町の住民向けに作成した「いまから手帳」と「これから手帳」です。真備町出身で高知県立大の神原咲子教授(現在は神戸市看護大教授)らと協力しました。
被災者が支援を受ける際、繰り返し同じことを尋ねられて苦痛を感じていると知り、母子手帳を参考に自身や家族の状況を書き込めるようにしました。説明しなければならないときは、そのページを示せばよいのです。
診療記録を記せるページもあります。被災地では医療班による診療や保健師らの健康相談などが受けられますが、記録は医療側にのみ残ります。自身や家族の記録を手元にも残してもらうことで、後々の健康管理に役立ててもらうこともできると考えました。
更に、生活再建に向けて、支援制度や心や体の相談先、弁護士会などの連絡先一覧もつけました。保健医療以外の情報も提供して、生活全体を支援していくことが災害看護には必要な視点です。この手帳は2000部作成し、避難所や地域の見守り活動などで配布しました。
2020年には、新型コロナウイルスに感染して宿泊療養をする人向けに、健康と日常を取り戻し、退所後も自身と周囲の人の健康と生活を守るために役立つ「セルフケアガイド」を作成しました。起床から消灯までの生活リズムの整え方、健康観察のポイント、体調を整えるためのストレッチの他、退所後の生活における注意事項などを紹介しています。
研究は信頼関係を築いた上で
「いまから手帳」や「セルフケアガイド」は、どのように活用されたかの検証も進めています。被災後は、人々の生活や状況が変わり、療養施設を退所した後は行政の管轄も変化するなど、さまざまな理由で研究協力者を確保することが難しくなります。しかし、災害看護の研究ではまず支援があり、そのうえで意義を理解してもらい、この人になら話してもいいという信頼関係を築いたうえで進めていく姿勢を大事にしたいのです。
災害看護の難しさは、現場での学びが欠かせないことです。災害が起きてほしくはありませんが、これまでに経験したことを学生に伝えていくことが使命だと思っています。また、研究から得た新たな知見を現場に還元していくことも、大学に身を置く私だからこそできる役割です。これからも現場と大学の双方をつなぎながら研究を進めていきたいと思っています。