綿谷 昌訓さん

呉竹 代表取締役社長

墨造りの伝統産業から革新的企業へ
開発志向の社風を引き継ぐ

Graduate Voice 活躍する卒業生

FLOW No.80

Profile
わたたに・まさのり 1978年大阪工業大学工学部応用化学科第Ⅱ部卒。同年家業の呉竹精昇堂(現:呉竹)入社。長年技術開発部で書道用品、ペン、顔彩などの商品開発に携わり、2012年から現職。趣味はロードバイクやカメラでの航空機撮影。奈良県出身。

奈良の伝統産業である墨造りで創業し今年で116周年を迎える文具メーカー「呉竹」の6代目社長の綿谷昌訓さんは、大阪工大応用化学科の卒業生です。 "老舗企業" と呼ばれますが、綿谷さんは「奈良には創業300年や400年の製墨業者が多く、弊社はその中では一番の新参者です」と話します。"新参者" だからこそ、生き残りへの危機感から革新的な製品を次々に生み出してきた呉竹。綿谷さんはその歴史を先頭に立って引き継いでいます。

第2次大戦後のGHQにより、書道が小・中学校教育から排除されるという厳しい一時期を乗り越えた呉竹は、1958年に製墨業界で初の書道用液体墨「墨滴」を売り出しました。墨を磨るのに授業時間の多くを取られることに不満があった教師たちの支持を得て大ヒットし、液体墨時代を切り開きました。そこにはカーボンブラック、合成樹脂、水を混ぜ、時間が経っても分離しない超微粒子分散技術の開発がありました。その後サインペンの開発を経て、1973年に売り出した「筆ぺん」は今では呉竹の代名詞とも言える文具です。その始まりはペン先のナイロン芯にスパイラル状のねじりを加える技術が生み出したものでした。筆ぺんで呉竹は全国区の会社に。「開発志向が社風となっていました」と話します。

筆ぺんの発売の年から5年後に家業の呉竹に入社した綿谷さんは長年、技術開発部門で新商品開発に携わりました。その中でも忘れられないのが顔彩(がんさい=固形の色絵の具)の開発でした。「発売日まで1カ月しかないのに、絵の具が乾燥するとひび割れる問題を抱えて追い込まれました」。顔料や樹脂の配合割合がネックで、ひび割れる配合は発色が良く、ひび割れない配合は発色が悪い、という問題を解決するための試作を繰り返す時間が十分になかったのです。「生産に間に合うギリギリのタイミングまで検討を重ね、発色が良く、ひび割れない配合を突き詰めました」と振り返ります。顔彩の開発に成功し、絵てがみ・水彩スケッチ用品の商品の幅を広げました。



パソコンやスマホのデジタル時代に綿谷さんがこだわるのは「アナログへの回帰」です。「人の思いを伝えるのは手書きや手造りです。コピーではないオンリーワンを求める時代が戻っています」と話します。その確信から「アート&クラフト」路線を進めています。最近では世界的な「大人の塗り絵」ブームがきっかけで、毛筆タイプのカラー筆ぺん「ZIG クリーンカラー リアルブラッシュ」が生産が追い付かないほどヒットし、その確信を裏付けました。呉竹の根幹技術を生かした異分野進出にも積極的で、筆ぺんの製造技術を生かした化粧品のアイライナーが有力商品に育っているほか、超微粒子分散技術を生かしたゴルフ場向け融雪剤や導電性塗料なども手掛けています。

今や世界約80カ国と取り引きする国際的な企業のトップの綿谷さん。後輩たちには「学生時代は自由な時間を生かして、海外の人にも日本の文化や歴史を伝えられるよう本物の文化に触れてください」とアドバイスを送ってくれました。

活躍する卒業生