桂 寅之輔さん

落語家

映画のワンシーンで流れた落語が転機に 芸の世界に居場所見つけて遅咲きデビュー

Graduate Voice 活躍する卒業生

FLOW No.80

Profile
かつら・とらのすけ 本名・榎田雄介(えのきだ・ゆうすけ)。2007年摂南大学国際言語文化学部国際言語文化学科卒。2010年上方落語の桂春之輔(現:四代目桂春団治)に入門。松竹芸能所属。上方落語協会会員。「寅之輔」の由来は入門が寅年だったため。大阪府出身。

摂南大国際言語文化学科(現:外国語学科)の卒業生の桂寅之輔さんは若手の上方落語家です。落語に目覚めたのが23歳のころと言いますからこの世界ではかなりの遅咲きですが、今では水を得た魚のように"寅之輔落語" を磨きながら多くの人を笑わせています。

実は寅之輔さんが学生時代にはまっていたのは、お笑いではなくレゲエ音楽。大阪・心斎橋のアメリカ村を中心にクラブでDJを務めるだけでは飽き足らず、本場ジャマイカを訪れるほどの熱中ぶりでした。18歳のころから7年間にわたって送っていたレゲエ中心の生活に、ある日転機が訪れます。心酔する北野武監督の映画『その男、凶暴につき』のワンシーン。殺し屋が車で仕事に向かう場面で、カーラジオから流れた五代目古今亭志ん生の「黄金餅(こがねもち)」にショックを受けたのです。「たった15秒ほどでしたが、聴いた瞬間、かっこええなあ!と思たんです。レゲエの不良っぽさとは違う意味で尖った魅力を感じました」と振り返ります。

松竹芸能 DAIHATSU MOVE 道頓堀角座での「日中はなしの会」で

 「僕、芸事が好きなんや」と改めて気付いた寅之輔さんは、サラリーマンになるより落語家の道に進もうと決心した25歳の時、高座を見て華のある雰囲気にあこがれていた桂春之輔(現:四代目桂春団治)に弟子入りを志願しました。師匠からは再三、「楽しいが不安定な水商売。最後に野垂れ死ぬ覚悟はあるのか」と念押しされましたが、迷いはなかったと言います。寅之輔さんをずっと近くで見てきた母親も背中を押してくれました。

念願叶って弟子入りを果たしたものの、着物の畳み方すら知らないまま天満天神繁昌亭の楽屋番に出され、多くの師匠たちとの慣れないやりとりに戸惑う毎日でした。大学の落語研究会の経験もなかった寅之輔さんにとって、落語の稽古はもっと大変でした。最初に習った噺は「東の旅 発端」。兄弟子の噺を3回聞いてその場で覚える「三遍稽古」という昔ながらの方法で、「録音機器やメモを一切使わず、馬鹿正直にやっていたので、噺を覚えるのに10カ月かかりました」と笑います。その地道な努力が実り、入門から約2年後についに初高座を踏みました。舞台は超満員の繁昌亭の夜席。師匠の独演会のトップを任されたのです。「上がりましたけど、お客さんに味方してもらってやり切りました」。忘れられないデビューでした。

その後、4年半の修行を終えて独り立ちし、繁昌亭などの定席や大阪の地元での落語会を中心に活躍の場を広げています。持ちネタも25本を数えるまでになりましたが、「笑いに関しては半分プロ」という大阪の通の客を笑わせる難しさを肌で感じる毎日です。人間の業や人情の機微を伝えられる落語家を目指しています。

寅之輔さんが後輩たちに伝えたいのは、「サラリーマンには向いていなかった僕が落語に自分の居場所を見つけたように、どんな人にも受け皿になる世界がきっとある」ということ。将来への不安を抱えて悩む学生に、「挫折しても、人気者じゃなくても大丈夫」と心からのメッセージを送ります。

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