マレーシアから留学中のナビラ・アデリン・ビンティ・ズルキフリさんです。アニメや漫画で日本に親しみを感じて育ったナビラさんは、義肢装具学を学んで母国の障がい者らの役に立ちたいと日本留学を決めました。ナビラさんに母国の生活や日本の魅力などについて聞きました。
- Profile
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ナビラ・アデリン・ビンティ・ズルキフリ(Nabilah Adlin Binti ZULKIFLI)さん
1998年、クアラルンプール生まれ。高校卒業後にクアラルンプールの帝京マレーシア日本語学院で2年間日本語を学び、2018年、広島国際大リハビリテーション支援学科義肢装具学専攻に入学。家族は父母と兄、妹。イスラム教徒。
留学先に日本を選んだ理由を教えてください。
マレーシアの首相が「日本を目標とし、日本に学べ」というほどの親日国なので、私にも日本のことを知る機会が多くありました。とりわけ好きになったのが、アニメ・漫画です。英語に翻訳された「鋼の錬金術師」という漫画を読んで、その面白さに夢中になりました。15歳の時、学校の修学旅行で日本を訪問し、文化に触れてあこがれの気持ちを強くしたのが、決め手になりました。その後、マレーシアで日本の法人が運営する日本語学校に進学し、2年間で語学力をつけながら留学を目指しました。
義肢装具士の道を目指したきっかけは?
「ロボコップ」という映画に出てくる登場人物の1人が、筋電義手(筋肉を動かそうとする際に発生する電気信号で動く義手)でありながら一生懸命ギターを弾こうとする姿を目にして、脇役だったにもかかわらず強く印象に残りました。興味を持って調べてみると、母国では保険がうまく適用されないため義手や義足が手に入らず、車椅子生活を余儀なくされる人が多いことを知りました。日本で学んだことを母国に持ち帰って、人の役に立ちたいと考え、義肢装具士の道を選びました。子供のころから実験が好きで、モノづくりも好きだったので、製作の授業は面白いです。今は脚が不自由な人の機能を支える下肢装具を製作していますが、面白い反面、形をきれいに整えるのが大変で、先生の助けを借りながらやっています。苦労して完成した時は、達成感を感じます。
日本で生活してみて、新しい発見や驚いたことはありますか?
和食の美味しさには感動しました。母国の郷土料理もとても美味しくて大好きなのですが、香辛料がふんだんに使われており味付けの濃いものが多いです。それに比べて、素材そのままの味を生かした和食に最初は抵抗がありましたが、今ではすっかり好物になりました。特にお気に入りなのはお刺身とみそ汁です。
あと、マレーシア人が陽気なのに比べて、日本人はおとなしいというイメージを持っていましたが、私の周りの友人は皆明るく、フレンドリーな雰囲気だったのは意外でした。おかげで打ち解けて楽しく過ごしています。
ただ、文化や言葉の壁を感じることもあります。1年の解剖学の授業では見たことのない漢字ばかりで苦労しました。「本音」と「建前」の見分け方(マレーシア人はすべて本音です)や、敬語を使うことも難しいので、もっと理解したいです。
あと、マレーシア人が陽気なのに比べて、日本人はおとなしいというイメージを持っていましたが、私の周りの友人は皆明るく、フレンドリーな雰囲気だったのは意外でした。おかげで打ち解けて楽しく過ごしています。
ただ、文化や言葉の壁を感じることもあります。1年の解剖学の授業では見たことのない漢字ばかりで苦労しました。「本音」と「建前」の見分け方(マレーシア人はすべて本音です)や、敬語を使うことも難しいので、もっと理解したいです。
普段、授業のない時はどんなことをして過ごしていますか?
勉強していることが多いですが、一段落ついた時は仲のいい同級生と広島市内に出掛けて、ボウリングや映画鑑賞などを楽しんでいます。広島平和記念資料館は印象に残っています。また旅行が大好きで、9月に京都の義肢製作所に臨床実習に行った時にはお寺や神社も巡ってきました。課外活動は芸術部に所属しており、発行する部誌に掲載する漫画を描いています。母国にいた頃から、漫画を読むだけでなく自分でも描いていて、イベントに出品したこともありました。今年の2月には広島のイベントに初出品して、上々の売れ行きでした。
将来の夢を教えてください。
一生懸命勉強して義肢装具士の資格を取得し、日本の義肢装具製作所で数年間仕事をして自信がついたら、母国に帰って自分で会社を起こしたいと思っています。自分の身につけた知識や技術で義肢装具を普及させて、困っている人たちの助けになることが、私の夢です。