カナダのバンクーバー出身で、摂南大の教壇に立つマイケル・ハーキー先生です。母国では高校教師として文学と歴史を教えていましたが、来日後は大学の英語教師になりました。言語はあくまでツールの1つと考えているハーキー先生は、学生たちに「英語を使ってどうするかに目を向けてほしい」と話します。
- Profile
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マイケル・ハーキー(Michael Herke)准教授
1999年ブリティッシュコロンビア大学卒。2009年テンプル大学ジャパン大学院教育学研究科英語教授法修士課程修了。YMCA 大阪講師、関西学院大学、関西大学非常勤講師などを経て、2013年4月摂南大学外国語学部(現:国際学部)特任講師。2022年から現職。
来日のきっかけについて教えてください。
初めて日本に来たのは1999年です。高校教師としてカナダの学生に文学と歴史を教えていましたが、国外に出て活躍する友人たちの姿に刺激を受けて、自分も外の世界に飛び出してみようと思ったのです。大阪に住んでいる友人を頼りに来日しましたが、当時は日本語の読み書きが不十分でとても苦労しました。
漢字、ひらがな、カタカナという複数の文字の使い分けはもちろんですが、一番難しいと感じたのは曖昧だったり遠回しだったりする表現です。「つまり、どういうことなんだろう」と意図を正確に読み取るのに時間がかかりました。
漢字、ひらがな、カタカナという複数の文字の使い分けはもちろんですが、一番難しいと感じたのは曖昧だったり遠回しだったりする表現です。「つまり、どういうことなんだろう」と意図を正確に読み取るのに時間がかかりました。
日本に来て驚いたことや印象に残っているのはどんなことですか。
時間や距離の感覚が全然違うところですね。
日本人は目的地が駅から15分ほど離れた場所にあれば「駅から遠い」と言いますが、カナダで駅から遠いと言えば、1時間以上離れた場所を指します。また、電車に乗った時も驚きましたね。ラッシュ時は知らない人と肩がくっつくほどの距離感は当たり前で、しかも乗降車する時に声を掛けることはありません。さすが、言葉を交わさなくても空気を読んで判断できるのだろうなと思いました。
旅の感覚も大きく違うと感じています。1000km離れた場所への日帰り旅行も故郷では一般的ですが、日本人に言えばほとんどの人が「1泊しないのか」とびっくりします。カナダに比べて国土面積が小さい日本は旅がしやすいと感じています。これまでに北海道や沖縄、日本海の街や四国にも行きました。特に印象に残っているのは、高知県で食べたカツオのたたきです。特有の生臭さもなく脂が乗っていてとてもおいしかったです。
日本人は目的地が駅から15分ほど離れた場所にあれば「駅から遠い」と言いますが、カナダで駅から遠いと言えば、1時間以上離れた場所を指します。また、電車に乗った時も驚きましたね。ラッシュ時は知らない人と肩がくっつくほどの距離感は当たり前で、しかも乗降車する時に声を掛けることはありません。さすが、言葉を交わさなくても空気を読んで判断できるのだろうなと思いました。
旅の感覚も大きく違うと感じています。1000km離れた場所への日帰り旅行も故郷では一般的ですが、日本人に言えばほとんどの人が「1泊しないのか」とびっくりします。カナダに比べて国土面積が小さい日本は旅がしやすいと感じています。これまでに北海道や沖縄、日本海の街や四国にも行きました。特に印象に残っているのは、高知県で食べたカツオのたたきです。特有の生臭さもなく脂が乗っていてとてもおいしかったです。
英語は難しいと感じている日本人は少なくありません。
難しいというより経験がないだけではないでしょうか。一般的に「日本人は『th』の発音ができないとか『L』と『R』を聞き分けられない」と言われますが、できないのではなく、そうした発音が存在しない言語を母国語としているからです。経験を積めば必ずできるようになります。そのためには動機が大切です。好きなアーティストが歌う曲の意味を知りたい、映画を字幕無しで見たいなど、ささやかなものでよいです。また「どうしてこういう言い回しなんだろう」「これはどういう意味なのか」という好奇心も語学力向上には欠かせません。最も重要なのは継続力です。語学学習と言うと海外留学を思い浮かべるかもしれませんが、日本国内にいながらコツコツと学習を続けて日常英会話をマスターする人も大勢います。
大学ではどんな授業をしていますか。
ライティングやディベートなどを担当しています。ディベートでは、正解はないけれど判断が求められる道徳的な課題についてどんな解決策があるか英語で議論します。私は英語を教える立場ですが、流ちょうな英語を話せるかということ以上に、自分で考え言葉にしていく力や英語を使って他者と対話する力を重視しています。なぜなら、言語は目的ではなくあくまで手段の1つだからです。
ひと昔前までは、英語を習得することが最終ゴールでした。しかし現代はグローバル化が進んでおり、日本以外で生まれ育った人と協働する場面は今後更に増えていきます。英語を習得することよりも、たとえおぼつかなさがあったとしても英語を使って他者と協働したり新しいものを創造したりする力のほうが重要なのです。それだけに勉強している中高生や大学生には、英語ができる、できないではなく、英語を使ってどうするかに目を向けてもらいたいです。
ひと昔前までは、英語を習得することが最終ゴールでした。しかし現代はグローバル化が進んでおり、日本以外で生まれ育った人と協働する場面は今後更に増えていきます。英語を習得することよりも、たとえおぼつかなさがあったとしても英語を使って他者と協働したり新しいものを創造したりする力のほうが重要なのです。それだけに勉強している中高生や大学生には、英語ができる、できないではなく、英語を使ってどうするかに目を向けてもらいたいです。