小堀 周一郎さん

京生麩専門店「麩嘉」主人

啓光ラグビーで培った「全力」精神で
京都の老舗の伝統を守りつつ革新も

Graduate Voice 活躍する卒業生

FLOW No.89

Profile
こぼり・しゅういちろう 1988年啓光学園中学校(現:常翔啓光学園中学校)卒。1991年同高校卒。1995年法政大学経済学部を卒業し、マツダ入社。1998年麩嘉入社。2007年麩嘉7代目就任。2009年ニューヨークに精進料理店「嘉日」オープン。2020年4月からネットショップを開始。京都府出身。

京都で200年続く生麩の老舗「麩嘉」主人の小堀周一郎さんは、見るからに元ラガーマンの偉丈夫です。啓光学園(現:常翔啓光学園)中高の卒業生で、花園を沸かせた黄金期の啓光ラグビー部で鍛えられました。今は老舗の主人としてその伝統を守るだけでなく、ニューヨークでの精進料理店「嘉日」出店や生麩を使った商品開発など次々と新たなことにも挑戦し成果を上げています。それを支えているのは啓光ラグビーでの学びだと言います。

啓光学園中学でラグビーを始めた小堀さんは、高校では「こんなに練習するのか」と思うほどラグビー漬けの日々に。スクラムの最前線を支えるプロップで、高校2年の時にチームは花園の全国大会で準優勝しました。当時は高校ラグビー界を席巻した強豪チームでしたが、その3年間が小堀さんの人生の大きな糧となりました。

高校卒業後は法政大学、マツダと大学ラグビーと社会人ラグビーでも活躍しましたが、マツダ時代に首のけがで大手術をして3年で引退。27歳で家業に入り、「主人は経営者になるな」との家訓の通り、職人のリーダーとなる修業が始まりました。

生麩作りは、まず小麦粉に塩と水を入れて生地を練り、それを寝かせてから水洗いするとでんぷんが溶け出し主原料のグルテンになります。それにもち粉を加えた白い生地を蒸し、水で冷やしたら完成です。すべて機械なしの手作りで、大量に使う水は敷地内からくみ上げる井戸水です。とてもシンプルな材料と工程ですが、それだけに安定した質の製品を作り続けるのは容易ではありません。「生地を練るタイミングや材料の配合など職人が長年培った感覚が頼りです。その日の天候やその年の小麦の出来などあらゆることを考慮して調整します」。今では毎朝4時から4人の職人を束ねてその繊細な作業の先頭に立ちます。「機械を入れれば味に妥協が生まれます」。老舗の譲れぬプライドです。大量には作れず、受注した分だけ作るというのも基本で、本店にはショーウインドーすらありません。それでも京都の老舗料亭のほとんどが麩嘉の生麩を使っています。

35歳の時に父が病に倒れ家業を継ぐことに。「伝統をひたすら守るだけでは危険」と伝統に新たな色を加えることに挑戦してきました。麩嘉はこし餡を生麩で包み笹の葉にくるんだ麩饅頭でも有名ですが、明治天皇の要望を受けて考案した生麩の革新でした。小堀さんがまず手掛けた革新は、2009年のニューヨークでの精進料理店「嘉日」の出店です。米国の和食料理店の味に幻滅したのがきっかけでしたが、「京料理を支えてきた店として日本料理の神髄を伝えたい」との意気込みで京都の新進気鋭の料理人3人を引き連れて開店。ベジタリアンも多いニューヨークでたちまち評判となり、半年でミシュランの一つ星、翌年には二つ星を獲得する名店に。生麩作りでも、各料亭の細かな要望に応えるオーダーメードはもちろん、商品開発を怠りません。今年のコロナ禍で営業を縮小する中でも、新たなスイーツ「鯛焼き麩」を売り出しました。

売り出したばかりの鯛焼き麩

こうした小堀さんの挑戦を支えているのが、啓光ラグビー時代に学んだ「結果を出すためには全力で準備をする」という姿勢だと言います。それだけに後輩たちには「つらい時期ですが勉強でもトレーニングでも、なりたい自分につながる努力をすればきっと成長できます」とエールを送ります。

「ラグビーの学びが自分を支えています」と話す小堀さん

活躍する卒業生