File No.21

川田 進教授

大阪工業大学 工学部 総合人間学系教室

国際政治の波に翻弄された
近代五輪の歴史に学び
「平和とは何か」を考える契機に

FLOW No.77

川田 進
Profile
かわた・すすむ 1986年大阪外国語大学(現大阪大学)外国語学部中国語学科卒。1988年同大学院修士課程修了。摂南大学非常勤講師などを経て1996年大阪工業大学工学部一般教育科講師。2001年同助教授。2003年同知的財産学部助教授。2012年同工学部総合人間学系教室准教授。2015年から現職。博士(文学)。岡山県出身。

夏季オリンピックの東京開催が決まったのは実は2020年で3回目です。1964年大会以前に1940年の第12回大会も東京で開催されるはずでしたが、日中戦争の影響で“幻の大会”に終わったのです。「平和の祭典」と呼ばれるオリンピックですが、その歴史は戦争や紛争などその時の国際政治情勢に翻弄されてきた歴史でもありました。大阪工大総合人間学系教室の川田進教授は、2015年度に始まった国際関係論の授業で「『三度目』の東京オリンピックと国際政治」をテーマとして取り上げています。現代中国やアジア地域研究の専門家でもある川田教授にオリンピックを巡る「戦争と平和」について聞きました。

川田教授手作りの国際関係論と国際理解の教科書

ギリシャ時代の古代オリンピックは戦争を中断してまで開催されていたそうですね。

川田:古代オリンピックは神々を崇めるための宗教行事でもあり、 1カ月から3カ月の開催期間は「聖なる休戦期間」として紛争・戦争をしていてもそれを中断したのです。フランスのクーベルタン男爵は、その歴史を踏まえて近代オリンピックを「国際交流と平和の大会」として復興しました。古代オリンピックが途絶えてから1500年後の1896年に第1回大会がギリシャのアテネで開かれました。

しかし、近代オリンピックの歴史では夏季の3大会が戦争で中止されました。

川田:第1次世界大戦で中止された1916年の第6回ベルリン大会、日中戦争の影響で中止になった1940年の第12回東京大会、第2次世界大戦で中止された1944年の第13回ロンドン大会です。中止はされなかったものの国際紛争の影響で多くのボイコット国が出たのが1980年の第22回モスクワ大会です。当時のソ連軍のアフガニスタン侵攻でアメリカ、日本、中国など約50カ国が参加しませんでした。この報復で1984年の第23回ロサンゼルス大会では社会主義陣営のソ連、東ドイツ、ポーランドなどがボイコットしました。オリンピックが東西冷戦の代理戦争として利用されたのです。間もなく開催される韓国の第23回平昌冬季オリンピックも北朝鮮情勢次第では選手の安全を懸念してボイコットする国が出てくるかもしれません。

札幌冬季五輪と東京万博も中止に

川田:幻となった1940年の東京大会は、1936年に開催が決定し、1937年の日中戦争勃発で欧米諸国からボイコットの動きが出て1938年に日本が開催を返上。フィンランドのヘルシンキ大会に変更されましたが、その後の第2次世界大戦の勃発で最終的に中止になりました。実は1940年には札幌冬季オリンピック、東京万国博覧会も同じように中止になっています。1940年は神武天皇即位から2600年目とされ、日本は「紀元2600年祝賀行事」としてこれらを国の威信を懸けて招致したのです。しかし、当時は軍部の力が強く、日中戦争が勃発すると戦争優先で12万人収容予定のメインスタジアムの建設を中止。欧米諸国が東京大会ボイコットの動きを強めたこともあり政府が開催返上を決めたのです。

日本はオリンピックに代わり1940年6月に東亜競技大会を東京と関西で開催しました。満州国、中華民国南京政府、フィリピン、ハワイ、モンゴルが参加しました。皇紀祝賀と「国防資源としての国民体位の向上」が目的とされ、政治的中立を目指すスポーツ精神からはどんどん離れていきました。

国家権力の介入を排除する都市開催 国家間の競争を否定する五輪憲章

オリンピックは都市が開催するものなのに、今や国家の威信を懸けた大会です。

川田:国際オリンピック委員会(IOC)の五輪憲章には、「オリンピックは選手の競争で国家間の競争ではない」と書かれています。国家権力の影響を抑えるために都市が開催するものとなっており、本来オリンピックは国威発揚の場ではないのです。近年は商業主義が強まり、スポンサーの発言力が高まっています。オリンピックの商業主義はロサンゼルス大会から強まりましたが、財政的な国家の影響力から自由になるためでもあったのです。しかし、それが行き過ぎてさまざまな歪みを生んでいるのが現状です。ビッグマネーが動くことから、国家間のメダル争いが熾烈化し、メダルを獲るために国家ぐるみのドーピングまで起きています。平和、連帯、相互理解、人権、平等、公正といったオリンピックの理念が置き去りにされています。「勝つことではなく参加することに意義がある」というオリンピックの原点をもう一度かみしめることが必要です。

そうした問題に対処しきれていないIOCに問題はないのですか?

川田:IOCという組織の脆弱さに問題があります。委員は各国からの寄せ集めで、大国の利害関係を調整する力が弱く、逆に大国の思惑や戦略に左右されています。そもそも開催都市決定に国家の政治力が決め手になっています。近年、オリンピックのたびに国連総会が期間中に紛争を控え停戦するよう加盟国に求める停戦決議を採択しています。IOCと国連が連携した動きです。北朝鮮情勢が影を落とす平昌冬季オリンピックでも昨年11月に停戦決議が採択されました。

東日本大震災からの復興五輪という意義

1964年の前回の東京大会は日本が国際舞台に復活する象徴的な大会になりましたが、2020年の東京大会の意義は何でしょうか?

川田:オリンピックは単なるスポーツの祭典にとどまらず、時に開催国の歴史的転換点にもなる巨大イベントです。1964年の東京大会だけでなく、2008年の第29回北京大会も中国が大国の仲間入りを果たした大会となり、中国国民がインフラ整備や中国選手の活躍で大きな達成感を得て自信を深めました。

次の東京大会は何より東日本大震災からの復興五輪という意義があります。メルトダウン(炉心溶融)した福島第1原発の問題を少しでも収束させ、生活再建を果たした被災者の姿を世界の人々に見てもらう大会のはずです。しかし、その理念が次第に薄れてきているのが心配です。また、伝統的な歌舞伎や茶道などにとどまらず、正確な列車運行や清潔なトイレといった現代の日本社会や文化の魅力を多言語で発信する大会にもなるでしょう。

今の大学生は1998年の長野で開催された第18回冬季大会すら記憶がない世代ですから、彼らにとって初めて体験する国内のオリンピックにもなります。

テロの懸念もありますね。

川田:テロ対策は大きな課題の一つです。1972年の第20回ミュンヘン大会でアラブ系ゲリラがイスラエル選手団を襲撃し選手、コーチ、審判、警察官の計12人と犯人5人が死亡したのが、オリンピックがテロに巻き込まれた最初です。近年は民族や宗教の対立でテロの懸念がより高まっています。テロ対策として警備費用は膨らみ、大会を重ねるごとに監視カメラ、金属探知機、X線スキャナー、電子タグ入りチケットなど軍事施設や空港と同じような先端技術の監視システムが導入されてきました。オリンピックは今や警備会社や防衛産業の見本市の様相です。昨年6月、国会で捜査当局の権限を強める改正組織犯罪処罰法が成立しました。政府は東京オリンピックを見据えたテロ対策強化を法改正の理由にしています。しかし、市民生活のプライバシーが公権力の高度な監視システムにさらされるという批判も根強くあります。

難民選手団という明るい動き

お話を伺っていると「どこが平和の祭典だ」という気になりますね。

川田:平和の祭典にふさわしい動きもあります。2016年の第31回リオデジャネイロ大会では初めて難民選手団(10人)が参加しました。シリアやエチオピアなどから逃れた難民の選手たちです。IOCが国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などと連携し実現しました。IOCは2020年の東京大会でも難民選手団を継続する方針です。

授業に対する学生たちの反応はどうですか?

川田:1年生対象の国際理解・国際協力の授業と2、3年生対象のこの国際関係論の授業は、グローバル人材育成の目的もあり始めたのですが、学生たちの関心は高く手応えを感じています。私が毎年アジア諸国で実施しているフィールドワークの具体的な話題も交えて、平和の尊さを伝えようとしています。現代の科学技術は軍事技術とすぐにつながります。平和の問題を考えることは理系の学生にとってとても必要なことです。特にオリンピックの歴史は平和について学ぶ格好のテーマです。

ネパールのヒンドゥー教聖地で修行者と川田教授(右)=川田教授提供

東京五輪 x 「Team常翔」