File No.19

中村 友浩教授

大阪工業大学 工学部 総合人間学系教室 健康体育研究室

トレーニングでも越えられぬ素質
それを早期に見極めることが
トップアスリート育成のカギ

FLOW No.75

中村 友浩
Profile
なかむら・ともひろ 1986年筑波大学体育専門学群卒。1988年同大学院体育研究科コーチ学専攻修士課程修了。同大文部技官などを経て1989年大阪工業大学工学部一般教育科助手。同講師を経て2000年助教授。同知的財産学部准教授を経て2012年工学部総合人間学系教室准教授。2014年4月から現職。2007年~2008年ケンタッキー大学医学部客員教授。現在、生命工学科「健康スポーツ生命科学」連携ゼミを持つ。大阪工業大学陸上部顧問。博士(理学)。埼玉県出身。

将棋の藤井聡太4段(14)の活躍が話題になっていますが、スポーツ界でも十代や中学生のアスリートの活躍には最近目覚ましいものがあります。卓球男子の張本智和選手や同女子の平野美宇選手、伊藤美誠選手、サッカー男子の久保建英選手、水泳女子の池江璃花子選手、陸上男子短距離のサニブラウン・ハキーム選手……と2020年の東京オリンピックでのメダルが期待される選手が目白押しです。こうした若くしてトップアスリートになる選手たちは「素質に恵まれている」と言われますが、素質とは何なのか。そしてその素質を早期に見極めトップアスリートを育てる重要さを、自らもかつて陸上選手で、筋肉細胞レベルで運動と素質の関係を研究してきた大阪工大総合人間学系教室の中村友浩教授に聞きました。

白い筋肉と赤い筋肉の割合が適性に影響

スポーツ選手の素質の研究に取り組まれたきっかけを教えてください。

中村: 私は中学のころから陸上競技の短距離を続けていて、高校では200mで国体選手に選抜されました。400m種目では当時の埼玉県高校記録も出せたのですが、大学の陸上部に入部したときに、日々の練習では越えられない全国レベルの選手のすごさを目の当たりにして、素質について興味を持ちました。

どんな研究だったのですか。

中村:大学院の時は、集団遺伝学を基礎とした骨格筋の質の遺伝性について研究をしていました。筋肉は筋線維で構成されていますが、その性質はすべて同じではなく、大きな力は出せるけれども持続力がない速筋線維、大きな力は出せないけれども持続力がある遅筋線維に大きく分類することができます。速筋線維が多いと白い筋肉、遅筋線維が多いと赤い筋肉になります。筋肉内の速筋線維と遅筋線維の割合を筋線維組成と言いますが、スポーツパフォーマンスと深くかかわると考えられています。古典的な双生児研究から、筋線維組成は遺伝的にほぼ決定されており、トレーニングなどの環境要因は影響を与えないということが分かっていましたが、実際に親から子へ世代を超えてどの程度、受け継がれていくかということは全く分かっていませんでした。遺伝的にヘテロ(異質)なラットの集団を作成し、その中から遅筋線維の高いラットを選択し、次世代のラットがどのような筋線維組成を持つか解析を行いました。その結果、親の筋線維組成の約20%が、子の筋線維組成のばらつきに影響を与えることが分かり、確実に遺伝していることが分かりました。

素質は細胞や遺伝子レベルで影響するのですね。

中村:筋線維組成は、トレーニングによって変化しにくい性質を持っているので、スポーツパフォーマンスを決定する素質のひとつと考えられます。例えば、陸上競技の種目を決定するときに、あらかじめ、選手の筋線維組成が分かっていれば、短距離か長距離かなど、どのような種目に向いているかということが分かります。現在は直接筋肉を採取しなくても、50m走と12分間走の成績から筋線維組成を推定する方法があります。



また、ヒトのゲノムには多くの遺伝子の変異があり、それがたまたま、あるパフォーマンスにつながっていくと“素質” としてとらえられるということもあります。例えばミオスタチンというタンパク質は、筋肥大を抑制する働きを持っていますが、先天的にミオスタチン遺伝子に変異が入っていて、筋肉が肥大している体質の人が、投擲などの競技にかかわることで、その体質が素質としてとらえられることもあると思います。

筋肉の特性評価に限らず、早期に選手のスポーツ適性を見いだして才能を伸ばしてあげることが、トップアスリート育成につながるひとつの方法だと思います。国際的には、種目最適化によってクロスカントリーからボート競技に変更したヘレン・グローバー選手(英国)が、わずか4年半の育成期間で2012年ロンドンオリンピックの女子ペアで金メダルを獲得したのが有名です。日本でも東京オリンピックに向けて、国や都道府県レベルで、将来有望な選手発掘・育成事業が活発化しています。

ほかに早期に素質を見極める手段はありますか。

中村:近年、骨格筋は運動器官だけでなく、さまざまな生理活性物質を出す分泌器官であるということが明らかになってきました。私は、大阪工大生命工学科のバイオマテリアル研究室(藤里俊哉教授)と共同で、より生体筋に近い三次元培養骨格筋=写真=を開発しました。現在は、健康に関係する生理活性物質の探索を行っていますが、もしかしたら、その中に骨格筋の機能を反映できる物質も見つかるかもしれません。オリンピックまでにそのような物質を発見して、有望選手発掘のバイオマーカーとして活用できたらうれしいですね。また、最近「スポーツ遺伝子」が注目されています。代表的なスポーツ遺伝子として速筋線維にのみに発現するαアクチニン3をつくるACTN3という遺伝子があります。ACTN3には遺伝子多型(DNA配列の個体差)が存在し、その多型性を基準に、その選手がスプリント・パワー競技系なのか、持久競技系なのか、判定するというわけです。

バイオマテリアル研究室との共同研究で開発された人工腱を持つ三次元培養骨格筋

素質の差を埋めるためにドーピングに走る選手もいると思います。今問題となっている陸上競技のドーピング問題は、世界記録の白紙化案まで出る深刻さです。究極のドーピングとも言える※遺伝子ドーピングも懸念されています。

中村:ドーピングが禁止されている理由は、大きく分けて2つあります。一つ目は、フェアではないこと、薬物を使用する競技は公正な競争とは言えず、何よりもスポーツマンシップに反するということ。二つ目は、選手に健康被害が出るということです。禁止されていても、世界のトップ級アスリートの中で年間3000人以上の違反者がいると言われています。遺伝子ドーピングの場合は、外来の遺伝子を導入するわけですから、今まで以上に選手に深刻な健康被害が想定されます。遺伝子導入に使われる“運び役” のアデノウイルスベクターは、細胞毒性や免疫的傷害を起こすリスクを持っています。外来遺伝子導入が長期的にはがん遺伝子の発現を活性化してしまうとも言われています。遺伝子ドーピングがどの程度、現実的になっているか、分かりませんが、遺伝子治療の発展とともに秘密裏に実施するアスリートもいるのかもしれません。遺伝子ドーピングの判定は難しいと言われていますが、糖鎖修飾(合成されたタンパク質にさまざまな糖類が結合すること)など、タンパク質に違いがあるものもあり、詳細な判定方法が開発されていくでしょう。

勝利や金メダルではなく、体を動かすことそのものに価値

スポーツの正常化には何が課題ですか。

中村: 一つ目には、国際的な協調を軸にスポーツインテグリテイ(健全性・高潔さ)の保護を強化することです。スポーツのとらえ方は、まだ極端な勝利、金メダル思考で、そこに達成できれば少々の犠牲が生じても問題にしないという傾向が続いています。勝利を求めることは、スポーツの重要な側面ですが、公平さや自らの健康を犠牲にしてまで到達しても、それはただ単に選手にとって悲劇にしか過ぎません。

二つ目には、スポーツの持つ多様な価値観を人類が教育によって学ぶことだと思います。スポーツの楽しさは本来、金メダルを求めるものではなく、体を動かすことそのものに価値があると思います。スポーツの持つ多様な価値観を教育によってしっかり学び、共有する必要があると思います。スポーツの価値観にもさまざまな視点があるということを、学生たちにしっかり学んでほしいと考えています。

陸上部員らを指導する中村教授

※ 遺伝子ドーピング=一時的な効果を狙う薬物ドーピングや血液ドーピングと違い、素質そのものを半永久的に変えようとするドーピング。本来医療の治療法の遺伝子操作技術を、スポーツ選手に応用するもの。筋ジストロフィーの治療方法として開発された筋肉増強の遺伝子操作は筋力アップに応用でき、重症の貧血の遺伝子治療が赤血球を増やし筋肉への酸素供給量を増やすことができるため選手の持久力を高めるのに応用できる。

東京五輪 x 「Team常翔」