鳥谷部 壌 講師

摂南大学 法学部 法律学科

SDGsの「安全な水」は国際環境法でも守られるべき人権
国境を越えた協力義務を法規範に

FLOW No.96

鳥谷部 壌
Profile
とりやべ・じょう ■ 2009年亜細亜大学法学部法律学科卒。2018年大阪大学大学院法学研究科法学政治学専攻博士後期課程修了。京都工芸繊維大学非常勤講師、大阪大学大学院法学研究科助教などを経て、2019年から現職。博士(法学)。研究テーマは国際法、国際環境法、共著に「SDGs で読み解く淀川流域 ―近畿の水源から地球の未来を考えよう」。大阪府出身。

国際水路条約の「死活的ニーズ」

国連の17の持続可能な開発目標であるSDGsの6番目に挙げられているのが「安全な水とトイレを世界中に」。蛇口をひねると安全で清潔な水が出てくるのは日本では当たり前ですが、世界では4人に1人がきれいな水を使えないのが現実です。また、島国の日本と違って、いくつもの国が隣り合う地域では河川や湖という水源を巡る争いが絶えません。不衛生な水や水不足は感染症などの病気や農作物の不作など人間の生存を左右する基本的人権問題と言えます。世界の水問題を国際環境法という視点から研究する摂南大法律学科の鳥谷部壌講師に、国際的な水問題の歴史や紛争を解決する法的な枠組み、SDGsの「安全な水」達成に必要な法整備などについて聞きました。

国際河川のルール化が環境法の始まり

私が研究する国際環境法は国際法の一部で、比較的新しい分野です。1972年にスウェーデンのストックホルムで開かれた国連人間環境会議で採択された人間環境宣言=注=を契機に発展しました。国際法はさまざまな条約の束と法的な常識とも言える慣習法で構成されますが、国際環境法はそれに加えて国際組織の決議やさまざまな条約の締約国会議のコンセンサスも法規範を形成します。その国際環境法の条約の数は今では約3000にもなりますが、パリ協定のように全世界をしばるような条約は少なく、ほとんどが特定の地域内や2国間で結ばれる条約です。条約は各国に守らせる強制力はなく、守らなくてもおとがめがありませんし、慣習法はあいまいな部分も多いので、「条約は紙くずでしかないが、慣習法は紙くずですらない」と皮肉られるように、国際法は不安定な基盤の上に成り立っています。だから国際環境法の近年の中心的理念は、法的拘束力を持たないが協力を重視する「ソフト・ロー」と言われています。拘束力はないが協力しなければ国際社会で「法の支配を無視する国」のレッテルを貼られるという国家にとってのリスクが、ソフト・ローを支えます。

歴史的には環境法の一番古い分野は国際河川利用のルール化でした。ドナウ川やライン川という多くの国際河川があるヨーロッパで国際環境法の規範が作られていきました。国際環境法の中でも国際水路法や国際河川法という水に関する法体系に私が関心を持つようになったのは、そうした歴史に興味を持ったほかに、大学院時代の2010年に「ウルグアイ川パルプ工場事件」の国際司法裁判所(ICJ)判決に出会ったからです。パルプ工場建設による汚染被害を対岸のアルゼンチンが訴えたものですが、その判決は国際環境法の法体系そのものに大きな影響を与えました。今では教科書に出て来る判例で、環境影響評価は国境を越えて実施、その結果を相手国に通報、異議申し立てがあれば協議、その間は工事を中断、という手続きの原則を明示し、ウルグアイの手続き違反を認めました。

「特別の考慮」は「考慮の強制」に

さてSDGsの「安全な水」は、環境の問題という以前にまず人権の問題と捉えられます。日本と違って途上国では安全で衛生的な水にアクセスできない人々が多く、国連総会で飲料水についての決議などが繰り返され、国際人権法や国際人権規約で守られるべきものとして、各国政府に水道管や浄化設備などのインフラ 整備が求められ、先進国には協力が要請されてきました。

ただ「安全な水」は人権法の枠のみに収まるものではなく、国際環境法の中の国際水路法とも密接に関わっていると私は考えます。国際水路法の根幹を成すのが、1997年に採択(2014年発効)された「国際水路の非航行的利用の法に関する条約(国際水路条約)」です。その条文の中に安全な水への配慮を促すと解釈できる規定があります。「国際水路の複数の利用の間で抵触が生じる場合には、人間の死活的ニーズの充足に特別の考慮を払い…」(第10条2項)とあり、条文草案の注釈によれば、この死活的ニーズ(vital human needs)とは「飲料水、及び飢餓を防止すべく食糧を生産するために必要な水の双方を内容とする、人の生命を維持するために十分な水を供給すること」です。つまり「安全な水」は国際環境法や国際水路法でも「死活的ニーズ」として守られるべきものと読み取れます。

国際水路条約には当該水路を衡平かつ合理的に利用しなければならないという重要な衡平利用原則があります。この原則のもとで考慮すべき諸要素がある中で、死活的ニーズには「特別な考慮」を払うべきとされており、他の要素より優先すべき「考慮の強制」とも取れます。更に国際人権規約の中の社会権規約では、国家が「安全な水」に国際協力義務(域外的義務)を負う可能性があり、「安全な水」が国際的に認められる人権として成立していく中で、国際水路条約の「死活的ニーズ」は「権利」としての見直しが迫られると考えます。

現在進行形のメコン川紛争

国際水路条約という環境の観点からも「安全な水」が守られるべきものと言えるのですが、問題はこの条約を批准している国が40カ国ほどで多くないことです。特に国際河川の最上流国は批准してもほとんど恩恵がなく、制約を受けるだけという立場になるからです。

国際水路の現在進行形の紛争としてメコン川の問題が挙げられます。最上流国の中国が慢性的な電力不足解消などのために10基以上もの多くのダムを建設し、2019年に下流各国で水位が低下し農業被害など深刻な問題が起きました。気候変動もあり明確な原因はまだ解明中ですが、下流国はダムによる放流制限が原因と考えています。この解決のために2つの枠組みが設けられています。1つは中国以外の東南アジア各国で構成する「メコン川委員会」で、2つ目が中国主導の「ランチャン・メコン協力」という枠組みです。国際社会の疑念を打破するための中国の協調的なポーズとも受け取れる「ランチャン・メコン協力」という枠組みですが、実際に中国は多国間協議より個別協議を重視し、経済的な援助を引き換えに個々の国から協力を取り付けようとしています。こうしたやり方が本当に各国住民の「安全な水」につながるのか疑問が残ります。「力の支配」から「法の支配」への転換が国際法の大きな課題なのです。なおメコン川委員会で国際水路条約を批准しているのは最下流のベトナムだけです。ラオスやカンボジアも大規模ダムを建設し加害国にもなりうるというのが現実です。

気候変動にも対応できる普遍的な条約を

気候変動による水害の増加などによって今後、国際水路での紛争が増えると予想されます。SDGsの「安全な水」の目標を達成するためには、地球規模で河川や海洋を統合的に管理できるより普遍的な条約に国際社会が合意する必要があります。また国際水路法の法体系の中で、国際的な協力義務を基本的な法規範として確立する必要もあります。協力義務のもとに事前通報などの手続的義務と、衡平利用や重大損害防止などの実体的義務の履行は、しばしば共同機構や委員会を通じて行われます。「ウルグアイ川パルプ工場事件」のICJ判決が「関係国は、まさに協力することによって…損害への危険を共同管理することができる」と示したことなのです。



*注【人間環境宣言】=前文7項と26の原則からなり、現在及び将来の世代のために人間環境の保全と改善を表明し、環境問題が人類に対する脅威であり、国際的に取り組むべきことと明言している。国際環境法の基本文書。

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