伊藤 譲 教授

摂南大学 理工学部 都市環境工学科

福島第1原発凍土壁は地下水との戦い

FLOW No.74

伊藤 譲
Profile
いとう・ゆずる 1982年京都大学工学部土木工学科卒。1984年同大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了。1993年米国・オレゴン州立大学大学院工学研究科土木工学専攻博士課程修了。日本道路公団大阪管理局技術部保全第2課長代理などを経て、1996年摂南大学工学部土木工学科助教授。2005年同学部都市環境システム工学科教授。2010年から現職。2013年6月から国の福島第1原発「汚染水処理対策委員会・陸側遮水壁タスクフォース」の委員。博士(工学)。福井県出身。

放射能汚染水対策で国のタスクフォース委員としてかかわる

東日本大震災でメルトダウンを起こして以来、気の遠くなるような廃炉作業の進む東京電力福島第1 原発。事故から6年を過ぎて放射能汚染水対策が正念場を迎えています。敷地内の巨大タンクに貯まった汚染水は増え続け、タンクの数は1000基にも達しています。その原因は、溶け落ちた核燃料デブリを冷やした高濃度の汚染水がたまる建屋に地震でできた隙間から地下水が流れ込んでいるからです。この地下水の流入を減らすために造られたのが4基の原子炉を囲う全長1500mもの凍土壁で、徐々にその効果が表れています。地盤を凍らせる地盤凍結工法の専門家の立場で、国の「陸側遮水壁タスクフォース」に加わり、この大プロジェクトにかかわる摂南大都市環境工学科の伊藤譲教授に福島第1原発の凍土壁の現状などを聞きました。

100年以上もの歴史がある土木工法

地盤凍結工法は、直径約10㎝の二重構造の凍結管をボーリングで穴を開けた地盤に一定間隔で多数埋設して、凍結管に冷凍機でマイナス30℃に冷却した塩化カルシウム水溶液の不凍液を連続的に循環させ、地盤の間隙中の水分を氷に変化させる工法です。この間隙に成長した氷が土粒子や岩を結合する接着剤のような役割を果たし、強度を劇的に、しかもムラなく増加させるとともに遮水性を発揮します。氷は融解熱が大きく、氷を多く含む凍土はいったんできるとなかなか解けません。

福島第1原発(青い点線が凍土壁、東京電力ホームページより)

最初の凍土壁は日本が幕末だった1860年頃、イギリスで鉱山の立坑建設における土圧・水圧対策として施工されました。現在のような二重管方式の凍結スタイルは1880年頃にドイツの鉱山技術者によって開発されました。その後、20世紀初頭にかけて西欧、ロシア、アメリカへと広まりました。当初は鉱山の立坑工事から始まったのですが、その後、河底横断工事、トンネル工事などの補助工法としても用いられるようになりました。現在でも地盤凍結工法は世界の鉱山で用いられていて、中国では深さ約800mの凍土壁も施工されています。

日本最初の地盤凍結工事は、1962年に大阪府守口市の橋梁下における河川横断水道管工事で施工されました。日本は地温が高いために困難であると思われていましたが、現在では、都市土木の重要な工法の一つです。海外では鉱山の立坑建設の補助工法としての事例が多く、日本では都市部でのシールドトンネル工事のシールドの発進・到達防護、地中接合や近接施工における補助工法としての利用が多いです。大規模な工事では東京湾横断道路の海底トンネル工事で使用されています。今や土木工事では不可欠の工法であるばかりでなく、海外では汚染地盤の封じ込めなど環境対策技術としても利用が広がっています。

前例ない大プロジェクト

福島第1 原発の遮水壁として、複数の案から凍土壁が選ばれました。粘土壁やセメント壁のような他の工法は大型機械を用いる必要があり、損傷を受けている原子炉建屋近くで大型機械を多数用いることは困難です。また、粘土などと置き換えられた土砂自体が新たな汚染土となり、その処理を考えなければなりません。これに対し、凍土壁ならボーリングマシン程度の小型の機械で施工できるので工期が短くなり、現在ある土を凍らせるだけで掘削される土砂がほとんどなく、万が一失敗しても融解させれば、すぐに元の状態に戻るなどの多くの利点があるのです。

凍土壁の工事は、2014年6月から始まり、2016年3月から凍結を開始しました。凍結管は1600本、深さは25m~30m、総延長1500m、凍土体積7万㎡、総工費350億円、という日本では前例のない凍土壁の大プロジェクトです。通常は二重構造の凍結管ですが、このプロジェクトでは長期間に及ぶことを見越して異例の三重管になっています。

福島第1原発の建つ地盤は、阿武隈山地から太平洋に流れ込むように地層が形成されていて、現地では、上部から中粒砂岩層、泥質部、互層部、粗粒砂岩層、泥質部となっています。主な地下水の供給源は最上部の中粒砂岩層です。しかし、その下の互層部、粗粒砂岩層が中粒砂岩層とつながってしまうと汚染が拡大する危険が生じます。そこで、凍土壁の深さは30mと深くしました。

地下水流入が4分の1に

工事で最も困難だったことは、土木工事の特性ですが、試作品が作れないのですべてにおいて慎重に進める必要があったことです。今回は、本工事前に、小規模実証実験として敷地内で事前に凍土壁を造成して、さまざまな実験を行うことができたことが幸運でした。凍土壁を凍結する順番について、原子炉建屋から汚染水が外部へ流れ出すことを防ぐために、山側から凍結するのか、海側から凍結するのかを原子力規制庁と協議して、結局、慎重を期して海側先行で工事が進められ、山側では7カ所の地下水に対する開口部を残した状態でした。昨年末から、2カ所、4カ所と順番に凍らせて、現在、山側の1カ所(幅7m)のみが未凍結の状態です。これは、一気に凍結させて建屋外の地下水位が急激に下がると、建屋内の高濃度汚染水の水位の方が高くなり、外へ漏れ出すことを懸念していたからです。また、海側のトレンチと呼ばれる地下トンネルの下部は凍結させることが困難で、凍結が行われていません。残る山側の1カ所は、これから凍結させる予定ですが、これが完成すると山側から入る地下水は理論的にゼロになります(ただし、地表面からの雨水や、ごくわずかですが地下の難透水層から入り込む水流は残ります)。凍土壁が機能すると凍土壁内の地中と建屋内の汚染水の水位差をコントロールしながら、凍土壁内の水位を下げていくことが可能になります。

凍土壁に沿って大量の温度センサーを設置していますが、温度データで0℃以下になっている個所は凍土が造成されていることになり、現時点で98%以上です。また、地下水位を観測するための井戸を多数設置していて、凍土壁の内外で水位差が生じていることからも凍土壁の遮水効果が発揮されていることが確認されています。

建屋への地下水流入量は一時400㎡ /日であったのが、地下水バイパスやサブドレインなどの井戸からのくみ上げ、地面のアスファルト舗装などで雨水の地中浸透を防ぐフェーシング、建屋の屋根などにできたすべての隙間をふさぐ作業、凍土壁の効果により、最近では100㎡ /日まで低下しています。

福島第1原発汚染水対策 断面図(東京電力ホームページより)

建屋のドライアップを目指して

私は土木学会で選ばれ国の陸側遮水壁タスクフォースの委員になり、凍土の専門家として意見を求められました。現地で実施した小規模実証実験の計画、課題の洗い出しなどに携わってきました。私が特に懸念していたのが、現地の土質が凍って解けた後に、水を通しやすくなる粘土ではないかということでした。例えば、関東ローム層はそのような粘土で、凍った後に水を1000倍通しやすく変化します。もし現地がそんな土質なら困ったことになると、思っていましたが、実証実験などの結果から大丈夫と確認できました。

原発の廃炉事業は全体では、①使用済み燃料プールからの燃料棒の取り出し作業②溶け落ちた燃料デブリの取り出し③原子炉施設の解体、など長い作業が予定されていて、凍土壁は②の事業に関係しています。できるだけ早く凍土壁を完成させ、建屋周辺の地下水位と建屋内の水位を徐々に下げて、2020年頃には建屋内の滞留水をくみ上げ、建屋のほとんどを乾燥した状態にする「ドライアップ」が目標です。そうなれば建屋にできた損傷個所などの隙間を修理でき地下水流に関係なく廃炉事業を進めることができます。

凍結器具が並んだ実験室で

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