田中 秀樹 教授

広島国際大学 心理学部 心理学科

睡眠改善学のパイオニア 働き方改革や子育てでも眠りの大切さを啓発

FLOW No.85

田中 秀樹
Profile
たなか・ひでき 1992年鹿児島大学理学部生物学科卒。1997年広島大学大学院生物圏科学研究科博士後期課程修了。同大学院助手、国立精神・神経センター精神保健研究所特別研究員などを経て、2001年広島国際大学人間環境学部臨床心理学科(現:心理学部心理学科)助教授。2009年同教授。2018年同心理学部長兼大学院心理科学研究科臨床心理学専攻長。2020年健康科学部長就任予定。新幹線「のぞみ」の乗車時の快適性研究や NASDA(現:JAXA)で宇宙飛行士の睡眠やストレス研究も実施。博士(学術)。山口県出身。

原点は沖縄に住み込んで行った高齢者調査

慢性的な不眠を訴える日本人は5人に1人と言われ、調査によっては「半数が不眠症の疑い」=*注=というものまであります。幼児の脳の発達から高齢者の認知症予防まで各世代で睡眠の重要性が認識されるようになり、睡眠をサポートするマットレスや枕などの寝具、サプリメント、健康食品、音楽CDなど睡眠関連商品も世の中にあふれています。最近注目されている働き方改革でも「睡眠改善が重要なキーポイント」と指摘する広島国際大心理学部長の田中秀樹教授は、我が国の睡眠改善学のパイオニアの1人です。数多くの睡眠関連商品の開発にかかわってきたほか、国や自治体との「眠育」プロジェクト、小中高生らへの睡眠授業、病院での睡眠マネジメント、市民への講演、各種メディアへの出演など、睡眠改善の啓発にフル回転で活動してきました。寝苦しい季節がしばらく続きますが、睡眠改善の重要性やその方法などを田中教授に聞きました。

新しい学問分野を立ち上げ

睡眠の科学的研究は1929年、ヒト脳波が記録されて以降、急速に発展しました。2002年には、睡眠学の創設と研究推進の提言(日本学術会議)がなされ、睡眠の重要性も認識され始めましたが、睡眠改善に特化した学問分野はなく、医学部でも教育されることはありませんでした。白川修一郎先生(当時:国立精神・神経センター精神保健研究所室長)と堀忠雄・広島大学名誉教授の2人の恩師らと睡眠改善学という学問分野を立ち上げるとともに2006年に日本睡眠改善協議会を設立し、2008年には教科書も作りました(「基礎講座 睡眠改善学」日本睡眠改善協議会編)。

私はもともと大学時代に生物学を専攻していましたが、大学4年の時に堀先生の本に出会って睡眠が脳と心に大きく影響することを知り、広島大大学院に進んで堀先生のもとで睡眠の研究を始めました。1998年には白川先生のいた国立精神・神経センター(現:国立精神・神経医療研究センター)に移るとともに、沖縄県に夏季と冬季、住み込みながら、佐敷町(現:南城市)で約4年間、睡眠健康教室などのフィールドワークを行い、「短い昼寝と夕方の軽い運動を習慣づければ、夕方以降の居眠りが減り、良い睡眠と脳、心身の健康を得る」ということが分かりました。快適な睡眠が取れない高齢者は、日中の活動量が減り、夕方に居眠りしてしまうことが夜の快眠を妨げていたのです。これがその後の私の研究の原点です。同町では調査をもとに私が考案した「福寿体操」という運動を取り入れた睡眠改善教室を全町で実施し、町の医療費を4年で2億8000万円下げるという成果も得ました。

三角形を描けない5歳児

日本では1990年代に生活の夜型化が進み、さまざまな問題が出てきました。それを示すデータを紹介します。

図①は5歳児に三角形を描かせたものです。下のグループはまともな三角形になっていません。調べるとちゃんと三角形を描けない子の8割が、親の影響などで生活が夜型化し生活のリズムが乱れていました。1970年代には平均4歳7カ月で三角形が描けていました。睡眠が幼児の脳の発達に影響していることを示しています。

図②は、私が広島県内の進学校の高校生500人を対象に調べた結果です。就床時刻と英語、数学の成績の関係を示していますが、驚くことに遅くまで勉強している生徒ほど成績が悪いのです。人間は寝ている間に記憶が整理されますが、しっかり寝ないと勉強した中身の記憶が残りにくいということです。睡眠時間の短い高校生ほど気分の落ち込みが大きいという結果もあります。また、広島県内の中学生を調査した結果では、休日と平日の朝起きる時間の差を2時間以内に抑える(土日に寝だめをしない)習慣ができている生徒とできていない生徒を比べると、寝つきや睡眠の質、疲労感などに大きな差があり、学業でも1.3倍の差が出ました。睡眠習慣のリズムを乱さないことも大事なのです。

睡眠が阻害されると真っ先に脳の前頭葉の機能が阻害されます。インテリジェンスや感情のコントロールが低下し、仕事をする上でも大きな障害になります。最近の働き方改革の議論では、労働時間がどれだけ減ったかばかりに目が行きがちですが、いかに質の良い睡眠が取れているかを測る方が労働者の健康改善につながり、本当の働き方改革になると考えています。

それでは具体的な睡眠改善のポイントを1日の流れに沿っていくつか挙げます。

快眠の条件は、1)頭寒足熱(脳が興奮してなく、手足の血行が良くリラックス)、2)深部体温がスムーズに下がること、3)生体リズムが整っていることです。

子育て支援に「眠育」を導入

今年度から地元の東広島市と取り組んでいるのが、妊娠期からの子育て支援に睡眠教育を組み入れるというプロジェクトです。核家族化や地域社会の人間関係の希薄化などもあり、孤立した母親が産褥期のうつ病を発症(10%弱に疑い)したり、子供への虐待に走るケースも目立ちます。睡眠改善が母親のメンタルヘルスや感情コントロールに大きな効果が期待できるのです。さらに新生児の睡眠と生活リズムを整えることで子供の健康な発達につなげます。

市内各地区の子育て支援拠点で実施する睡眠教育プログラムでは、睡眠や生活リズムの現状のチェックをしたうえでクイズ形式などで睡眠改善の啓発をしていきます。同時に地域の「眠育」サポーターの養成、睡眠教材(パンフレット、紙芝居、DVD)やWebやアプリを活用したプログラムツールなどの開発も進めます。将来的にはこうしたアプリや眠具の開発を地域の新産業や大学発ベンチャー創出につなげていくことを目指しています。

睡眠や「眠育」は、健康・美容産業だけでなく、今後は旅行・観光業(時差ボケやヘルスツーリズム)、教育関連産業、スポーツ、住宅設計などの分野で多様なニーズが生まれてくると予想されます。こうしたニーズに応えるために、睡眠のアドバイザー「睡眠改善インストラクター」という資格を作り、人材育成にも力を入れています。これから大学が生き残っていくためには、教育と研究だけでなく社会実装のプラットフォームになり、単なるアドバイザーを越えて地域の中に入って各種の施策を考えていく必要があります。睡眠改善という新たな価値の創造が、地域との新たなつながりの創造になるはずです。

ゼミの学生を指導する田中教授

■ 田中教授がかかわった睡眠関連商品の例
グリナ(味の素)=サプリメント
めぐりズム(花王)=蒸気温熱シート
のほほん族うたたね(タカラトミー)=癒し玩具
Sleep Styles® 睡眠向上プログラム(帝人)
温美浴(バスクリン)=入浴剤
チョイスピロー、ひつじルーム(コンフォートホテル)=枕や快眠ルーム



*注:寝具大手の東京西川のインターネット調査(2018年)。対象は全国の1万人(18歳~79歳)。世界的な不眠判定法「アテネ不眠尺度」で、「寝つき」「途中で目が覚めるか」「日中の眠気」など8つの質問に対する答えを点数化。「不眠症の疑いあり」が49.3%で、「疑いが少しある」も 18.2%だった。

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