坂本 宏司 教授

広島国際大学 医療栄養学部 医療栄養学科

どんな食材も軟化 介護時代に不可欠な「凍結含浸法」 手軽に家庭でできる手法も開発

FLOW No.82

坂本 宏司
Profile
さかもと・こうじ  1980年神戸大学農学部農芸化学科卒。同年広島県食品工業試験場(現総合技術研究所食品工業技術センター)研究員。同センター次長などを経て、2014年より広島国際大学医療栄養学部医療栄養学科教授。2017年同学部長補佐兼任。2008年第12回安藤百福賞優秀賞。同年日本食品科学工学会技術賞。2014年文部科学大臣表彰科学技術賞。博士(農学)九州大学。広島県出身。

現在放映されているNHKの朝ドラ「まんぷく」のヒロインの夫のモデルはチキンラーメンを開発した安藤百福ですが、広島国際大医療栄養学科の坂本宏司教授は新食品の開発を顕彰する安藤百福賞(第12回優秀賞)=*注1=の受賞者です。インスタントラーメンに引けを取らない独創的な食品加工技術である凍結含浸法の開発者として知られ、同賞以外にも数々の大きな賞を受けています。野菜や肉、魚をはじめさまざまな食材や食品を形や味、栄養素はそのままに、食べやすい軟らかさにすることができる技術で、今や高齢者らの介護食には不可欠なものです。急速な社会の高齢化で在宅介護時代に突入する中、坂本教授は冷蔵庫があれば家庭で手軽にできる新「凍結含浸法」も開発し、この手法を社会に広める取り組みも始めています。坂本教授に開発の経緯や苦労、今後の展開などについて聞きました。

きっかけは「もみじ饅頭」の餡の研究

私が「凍結含浸法」を開発したのは広島県立総合技術研究所食品工業技術センターの職員だった2002年ですが、開発のきっかけは介護食とはまったく関係のない広島名物「もみじ饅頭」でした。その餡作りで「コストを下げられないか」と企業から相談を受けたのです。餡は小豆を粉砕して作りますが、細胞壁は壊れず細胞同士がバラバラに遊離している特徴があります。こんな食品を単細胞食品と言います。餡を単細胞化するには大量の水を使った「水さらし」などの手間が掛かる工程があります。そこで酵素=*注2=の働きを利用して効率よく餡を単細胞化する研究を始めました。1年半の試行錯誤で細胞同士を接着させている多糖類ペクチンを分解する酵素液に浸すことで単細胞化することができたのですが、残念なことになめるとまったく味がしませんでした。細胞の内と外の浸透圧差で酵素液に肝心の味が溶出してしまっていたのです。

そこで浸透圧の影響を防ぐために酵素を急速に食材に浸透させることを考え、圧力を利用する含浸技術が有効ではと気が付きました。木材などに樹脂を浸透させて強化するなど工業分野では普通に使われていた方法でしたが、食品加工では使われていなかった方法です。ただ圧力だけでは大きな食材の内部にまで浸透させられませんでした。そこで十分に酵素を浸透させるには前もって食材を凍結するとうまくいくことを発見しました。食材中の水分が氷の結晶になり組織自体が緩み、酵素を効率よく含浸できたのです。凍結含浸法の誕生でした。

具体的には、①食材を-20℃で凍結 ②凍結した食材をペクチ ナーゼやプロテアーゼなどの分解酵素の液に浸して解凍 ③真空ポンプで減圧 ④食材を常圧に戻し酵素液から取り出し、所定温度で酵素反応を進める ⑤目標の軟らかさになったら食材を加熱し酵素の活動を止める、というプロセスです。


凍結含浸法で軟化させた食材例 (写真左からニンジンまるごととタケノコ穂先まるごと)

胃ろうの高齢者や胃切除の患者にも

この方法で当初の餡を効率よく作るという目的は達成されたのですが、いろんな食材で試しているうちに「これは介護食に使えるのでは」とひらめきました。ニンジンやタケノコなどの硬い食材も、見た目は変わらないのにスプーンで押すとグニャと潰れます。一方で味や色や栄養素はそのままという特長もあったからです。当時、介護食と言えば誤嚥を防ぐ安全面から流動食や刻み食、ゼリー食ばかりで、要介護者の食事のQOL(生活の質)は不十分でした。見た目も味も栄養も健常者と同じメニューの食事ができれば高齢者や入院患者らの食欲も違ってくるはずと考えました。

広島県内の社会福祉法人の協力を得て、施設で入所する高齢者らに凍結含浸法で調理した食事をしてもらいました。すると口から食事ができず胃ろうの状態だったおじいさんも、自分から「食べたい」と言い出し、食べることができてその後胃ろうを脱することができたのです。家族もとても喜んでくれたのがうれしかったです。食べやすいだけでなく、栄養やカロリーも十分に摂れるというメリットもあり、介護食を劇的に変える「使える技術」と確信しました。まさに「食のバリアフリー化」です。

更に県立広島病院との共同プロジェクトを立ち上げて、400人近い術後患者に食べてもらい、安全面の検証も行いました。凍結含浸法では酵素だけでなく血管造影剤も食材に浸透させることができるので、患者が食べて安全に嚥下される様子をX線撮影で確かめられ、「ヨーグルトが食べられる患者なら問題ない」との結果を得ました。病院で手術後の食事は伝統的におかゆなのですが、それでは栄養が足りずに栄養剤で補助するのが現実です。通常の食事ができれば栄養剤は不要で、病後の回復も早まります。医師の提案で胃がん手術で胃の一部を切除したばかりの患者に凍結含浸法で軟らかくしたステーキを提供すると、難なく食べられたのには驚きました。

特許許諾の申し出が殺到

論文発表し15本の関連特許を取ると、凍結含浸法の特許許諾の申し出が食品企業大手だけでなく主要商社など国内外の約60社から殺到しました。凍結含浸法では酵素だけでなく、調味料やさまざまな栄養素も浸透させられるので、介護食以外に栄養強化食品や機能性付加食品、新食感食品など応用範囲も広いのです。例えば、大豆内部に高血圧を抑制するペプチドを生成させるプロテアーゼを浸透させて抗高血圧ペプチド含有大豆、リラックス効果で知られるGABA(γ-アミノ酸)を高含有する食品などを作ることも可能です。既にこの特許を使ったさまざまな企業による商品化も進んでいます。

私が近年力を入れて取り組んできたのは、防災・備蓄用介護食 と自宅で簡単にできる新たな凍結含浸法の開発で、二つとも成果 が出てきました。

東日本大震災(2011年)の被災者から「震災で介護食の確保に困った」という相談を受けて企業と開発したのが、凍結含浸法による介護食の備蓄用缶詰です。そもそも軟らかいので輸送時に形が崩れないようにするのが難しかったのですが、2年前に筑前煮やカレーなどの缶詰の商品化にこぎつけました。


開発した介護食の備蓄用缶詰

また家庭で簡単にできる凍結含浸法も専用の酵素液の開発で実現しました。冷蔵庫さえあれば減圧装置などがなくてもできる簡易な方法です。これまでの圧力を利用するものではなく、拡散原理(液体中では濃いものから薄いものに物質が移動し混ざる)を使います。食材を凍結し専用酵素液の中で解凍すると急速に食材に酵素が浸透するのです。今はこの新凍結含浸法の特許を取ることと、この方法で軟化させられる食材の検証を進めています。在宅介護が今後進んでいくことを考えると、介護者の負担軽減のためにも 大きな力になるはずです。家庭や介護施設にこの新凍結含浸法を普及させようと本格的に取り組もうとしています。



*注1:【安藤百福賞】 新しい食品の開発や食科学の振興に貢献する独創的な基礎研究、食品開発などを対象とした賞。チキンラーメンを開発した日清食品創業者の安藤百福の名を冠した同賞は、「人類生存の根源は食にある」という安藤の思いを広く世に伝えるために1996年に創設。
*注2:【酵素】 生体内の化学反応を触媒するたんぱく質。消化・吸収・分布・代謝・排泄など生体が物質を変化させるのに欠かせない。反応の種類に応じて特異的な酵素が存在し、化学的な触媒に比べ て温和な条件下で強い効果を発揮する。

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