FLOW No.75
- Profile
- ののめ・しんいち 1985年大阪工業大学高校(現常翔学園高校)卒。1989年大阪工業大学電子工学科(現電子情報通信工学科)卒。同年全日本空輸(ANA)入社。一貫して整備部門を歩み、部品品質管理部リーダー(課長)から2015年10月スカイマークに整備部長として出向。組織改編に伴い2016年9月から現職。大阪府出身。
子供のころボーイスカウトに入っていた野々目さんは、その野外活動で無線機があれば便利だと考えて、中学生の時にアマチュア無線免許を取りました。電気・電子の世界に興味を持ったきっかけでした。その後、大阪工大高(現常翔学園高)から大阪工大に進み、当時は最先端だった半導体や太陽電池などの研究に打ち込みました。
そんな野々目さんと航空機との出会いは大学時代のアルバイトでした。伊丹空港の格納庫での航空機洗浄の短期アルバイト募集が目に留まったのです。「まだ機内が禁煙でなく、タバコのヤニがこびりついた機内を洗剤で洗う単純作業でしたが、航空機整備の一端も垣間見ることができ、『これは面白い』と直感しました」と振り返ります。「メーカーは自分には似合わない」と思っていたこともあり、就職先は迷うことなく航空業界に絞り、ANAへ入社しました。
技術系総合職として採用され、整備本部職員として羽田空港での勤務が始まりました。基礎教育後は電気・電子が専門だったため、航空機のコンピューター類を点検・修理する部署に。操縦系、無線系、計器表示系など機能ごとのコンピューターが菓子箱サイズのユニットになったブラックボックスがあり、そんなブラックボックスが航空機の床下に20~30も収められています。「主にハード面の修理が多く、ひたすら電子回路のはんだ付けを繰り返しました」。室内での作業のため、航空機に直接触れることが少なく、入社後しばらくは満足していなかったと言います。しかし、航空機や航空工学の勉強を重ねるうちに変わっていきました。「自分の担当している仕事が、飛行を管理する航空機の頭脳部分であることが分かり、運航方式を理解できるようになると、どんどんのめり込んでいきました」と話します。当時の最新鋭機ボーイング767などにかかわる約8年間の現場での仕事が、今の野々目さんの基礎を築きました。
その後は、管理部門のスタッフとして整備技術管理や整備部門の品質保証を担当。1機種ごとにある英語の整備マニュアルは、積み上げると高さ1mにもなります。そんなマニュアルを扱う整備士の社内資格制度や教育訓練、整備の検査体制作りなど、現場での整備をいかに円滑に進めるかの制度設計や規程類作成にかかわってきました。「整備技術部門では使う側のエンジニアとして航空機の設計段階にもかかわるようになりました。潮風の影響が大きく、落雷が世界一多い日本の空の条件を考慮するようにボーイング777や787の開発で要求することもありました。ユーザーの視点をメーカー側にフィードバックしてより良いものにしていくことが"モノづかい"としての誇りです」と話します。
民事再生法の適用を申請(2016年3月手続き終結)したスカイマークの立て直しのために野々目さんが整備の責任者として出向して約1年半。「整備管理方式は変化していきますが、うまく対応できていない印象でした」。その体質を変えていく野々目さんらの改革がようやく軌道に乗ってきました。
「整備で分解された機体が組み立てられ、再び空に飛び立つ時は誰もが感動します」と整備の醍醐味を話す野々目さん。世界の航空機メーカーとの交渉で海外を飛び回ってきた経験から、後輩たちに伝えたいことは「日本に閉じこもらないで世界に目を向けて」です。