FLOW No.94
- Profile
- ふみの・なおき 1978年啓光学園高校(現:常翔啓光学園高校)卒。1985年に父の跡を継ぎ大阪王将食品 (現:イートアンドホールディングス )の代表取締役社長に就任。2020年から現職。現社名には「食:EAT」に、食文化に貢献する「+&」を創造する、という思いが込められている。趣味はゴルフや社交ダンス、合気道。大阪府出身。
「大阪王将」を運営するイートアンドホールディングスの代表取締役会長CEO、文野直樹さんは啓光学園高校在学中から店長として現場を取り仕切り、25歳の若さで父親の後を継いで社長に就任しました。現在も外食産業の最前線で活躍し中国への出店などチャレンジを続けています。経営者として従業員らに説く心掛けには、高校時代に部活の顧問の先生から伝えられた言葉に通じるものがあるそうです。
小学生の頃には父親が創業した大阪王将の店舗で手伝いをしていた文野さん。時は高度経済成長期で人々の生活水準の向上に合わせるように、お客さんも増えました。次々と新規の出店をしていく中で、人手は常に足りません。高校在学中に店長になったのはごく自然なことでした。中学を卒業してすぐに就職した同じ年ごろの人と肩を並べ、餃子を「巻く」スピードや出来上がりの美しさなど、技量を競うように磨きました。「職人の道は楽しかった」と振り返ります。
当時の大阪王将のメニューは餃子のみ。父親に他のメニューも取り入れるべきと提案しましたが受け入れてもらえず、けんかになったそうです。「だったら自分でやってやる」と進学していた大学を中退し父親から借金して独立。愛知県で餃子以外にチャーハンやラーメンなどのメニューもある独自の中華料理チェーンを立ち上げ、わずか3~4年で10店舗を展開します。「二十歳そこらのくせにうまくいった」。その商才を見込んだ父親から関西に呼び戻され、25歳で大阪王将の社長に就任しました。
外食産業は「水物」と言われます。「水は高いところから低いところにしか流れない」。文野さんは世の中には流行があり、時代には逆らえないと考えています。メニューを多様化した大阪王将は順調に売り上げを伸ばし店舗数も増えましたが、「いずれしんどくなる時がある」と考えて始めたのが、冷凍食品の製造・販売でした。製造する「羽根つき餃子」は現在、どこのスーパーでも見かける超人気商品です。
コロナ禍は大阪王将にも大きなダメージをもたらしました。店舗の売り上げは激減し、30店舗以上を閉店。そんな会社を救ったのが冷凍食品を扱う食品事業でした。「コロナで外食はダメだったけど、冷凍食品でセーフだった」と1年を振り返る文野さん。現在は外食と冷凍食品の2本だった柱を更に増やそうと、eコマースや海外進出など、新たな事業に挑戦しています。「こだわることも大事だけれど、本当の強さは変化への対応力」と力説します。
高校時代の思い出を聞くと、軽音楽部の夏合宿のエピソードを披露してくれました。「ソロでないと目立たない」と手を抜いてエレキギターを弾いていると、顧問の先生のカミナリが落ちました。「目立たなくても聞こえている。1人1人が存在感を出せ!姿を消すな!」。そのときは「なぜこんなに怒るのか」と感じましたが、経営者として社員に向き合う中、みんなに伝えていることがその先生の思いと同じだということに気づきました。「とても役に立っている」と話します。「学校は学校で楽しかった」とはいえ、若くして店を任された高校生活は、「手が回らなくなった。青春はもう無かった」と言います。それでも、現在までずっと仲の良い「ガチの友達2人」が高校時代にできました。「勉強は、できるにこしたことはないけれど、友達づくりも大事です。一生の友達をつくってほしい」。そう後輩に語りかけます。