水間 良武さん

ラグビーU20日本代表監督

世界中に友達ができるラグビー
その魅力と楽しさを伝えたい

Graduate Voice 活躍する卒業生

FLOW No.85

Profile
みずま・よしたけ
1996年大阪工業大学高校(現:常翔学園高校)卒。同年ラグビー部主将として第75回全国高校ラグビー大会優勝。2000年同志社大学商学部卒。同大ラグビー部でも主将を務め、2000年に全国大学ラグビー選手権で3位。2000年度関西学生代表チームでも主将。卒業後は社会人リーグでプレー。2003年プロに転向。三洋電機ワイルドナイツでは2007年度から2009年度日本選手権3連覇。2009年に選手引退後は9年間パナソニック ワイルドナイツでアシスタントコーチを務めながら、日本代表のスポットコーチなども務めプロ指導者の経験を積む。2019年から現職。大阪府出身。

今年2月、ラグビーU20(20歳以下)の日本代表チーム監督に就任した水間良武さんは、大阪工大高(現:常翔学園高)、大学、社会人とどのチームでも主将を任されるほど並外れたリーダーシップの持ち主です。高校日本代表以外は選手として日本代表になれなかった分、「日本代表チームの指導者に」と声が掛かった時は、「ぜひやらせてほしい」とすぐに引き受けたと言います。指導で最も強く求めるのは、ラグビーを楽しみ友達をつくること。ゲームの勝ち負けよりもっと大きな視野で若い選手らを見守っています。

小学校で柔道をしていた水間さんは、中学校でラグビー部に入りました。「友達と一緒に体を動かすのが楽しそう」と始めたのですが、やがてラグビーにはまっていきました。「強いチームでやりたい」と大阪工大高に一般入試で入学しラグビー部へ。主将を務めた3年の時に全国高校ラグビー優勝を果たしました。「チームを勝たせないといけないという思いから誰に対しても理不尽なほど厳しいキャプテンでした。今思えば笑いとか余白の部分が全くなかったですね」と笑います。野上友一監督とは卒業後も師弟の交流が続き、毎年母校のグラウンドを訪れます。「『正直者であれ』という常翔ラグビーの教えは身に染みています。ラグビーへの情熱が衰えない野上監督は今も指導者としての目標です」と話します。

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ポジションは高校から一貫してフォワード。その中でもスクラムのかじ取り役で最前列中央のフッカー(HO)を長く務めました。ボールがラインアウトした時のスローワーも任される大好きなポジションでしたが、そのスクラムの組み過ぎで腰を痛め、我慢を重ねたことで、同志社大や社会人時代はずっとけがに苦しむことにもなりました。けがのためU23代表合宿に呼ばれても行けないという苦い経験もし、結局日本代表の桜のジャージを着ることなく2009年に選手を引退し、プロ指導者の道に進みました。「だから日本代表には強いあこがれがあり、U20監督の依頼があった時は本当にうれしかったです」と振り返ります。

監督就任後はキャンプ、大学チーム回り、遠征、選手発掘などで日本全国や世界を飛び回っています。水間さんが目指すラグビーは「ボールにたくさん触って、それをスペースに浮かし、たくさんタックルしてボールを取り返し、またアタックすること」とシンプルです。具体的なU20の目標には、ワールドラグビーU20チャンピオンシップへ再昇格することを掲げています。もちろん長期的には4年後以降のラグビーワールドカップに出て世界と戦える選手を育成することです。ただ若い選手には「ラグビーを楽しみ、友達や仲間づくりをしろ」ということを最も強く言います。選手、コーチ時代を通じて世界中にできた人とのつながりが今の水間さんを支えているからです。「人生はラグビーをやめた後の方が長く、その時に社会に貢献できる人材になってほしいのです。そのために大切な友達や仲間ができるのがラグビーの最大の魅力です」と話します。

生きるためにはゼロから1を生み出す創造力と問題解決能力の2つが必要と考える水間さん。後輩たちには「何に対しても本気で楽しめ。ただしそのための準備を怠らないこと」とアドバイス。「私はチーム指導でも問題を想定して、その解決策として常にプランB、C、Dまで準備します」という指導のプロならではの人生訓です

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