centennial 03

学びの風景の今昔

姿を消していった計算尺と受け継がれる手描き設計演習

FLOW No.86

学びの風景の今昔

 学園創立100周年に向けた連載企画の第3回は、学生の学びの風景の変遷に焦点を当てます。1922(大正11)年に設立された学園の起源の関西工学専修学校は、大阪の都市づくりを担う技術者養成が第一の目的だったこともあり、建築科と土木科の2科でスタートしました。学園の原点でもある建築教育ですが、その建築を学ぶ学生の学び方や学びの道具に当時と今では、当然大きな違いがあります。ただ一方で、100年近くたっても変わらない風景も残っています。





 常翔歴史館の入り口近くに、卒業生から寄贈された計算尺と製図道具が展示されています。今回はこの2つのモノから建築科の学生らの学びの風景の今昔を眺めます。
 計算尺は、物差しのような目盛りがあり、加減算はできませんが複雑な乗除計算などを概算で行うことができる携帯用の計算用具で、17世紀に英国で発明されました。対数の原理を使うことで、大きな桁の掛け算を足し算に変換し、割り算を引き算に変換できるなど計算を手軽にできるのです。三角関数や平方根、立方根などの計算もできます。1970年代まで理工学系の設計計算や測量などに利用され、技術者の必需品でしたが、電卓の登場で一気に使われなくなってしまいました。今では生産されていません。

構造計算にも活躍 コンピューターで駆逐

伊藤さんが愛用した計算尺

 当然、昔の理系学生にとっても学習の必需品でした。大阪工大建築学科を1962年に卒業した伊藤孝さんは、卒業後に入社した(株)小河建築設計事務所で母校の旧4号館(1964年竣工)の構造設計と現場の設計監理を担当した一人です。建築学科の学生は、意匠(設計デザイン)か構造の道に分かれます。伊藤さんは構造を専門にしました。「建物など構造物がさまざまな荷重にどう変形しどんな応力(抵抗力)が発生するかを計算します。建物の設計条件が多いほど連立方程式も多くなり、楽に計算できる計算尺が欠かせませんでした」と振り返ります。伊藤さんが就職した当時、コンピューターは使われていませんでした。「1つの建物の構造計算に3週間くらいかかりました。それが1970年代にコンピューターが使われだして、3週間が1日でできるようになり、その後のハード、ソフトの進化で今では半日です。一部データの修正だけなら数秒でできてしまいます。煙草を吸う時間もないですね」と笑います。それでも「ざっとした数字の見積もりをするのに便利で、どこにでも持っていける本当に優れた道具でした」と計算尺への愛着を話します。しかし、今では教員の中にも計算尺を使いこなせる人はいませんし、スマートフォンに計算機能がついているのは当たり前の時代に、計算尺を見たことも触ったこともない学生がほとんどです。



学生時代のノートを見ながら当時の勉強の
手描き教育の良さを語る寺地教授仕方について話す伊藤さん



常翔歴史館に展示されている計算尺(上)と製図道具



【日本での計算尺導入の歴史】 1894(明治27)年にヨーロッパを視察した内務省の官僚らがドイツ製マンハイム型計算尺を持ち帰り紹介。1895年に測量計器の目盛り工だった逸見(へんみ)治郎がそのコピー製作を依頼され、研究開始。逸見は1909年に狂いの少ない竹製の計算尺を考案。第1次世界大戦で世界標準だったドイツ製の計算尺の生産が途絶えたことで、正確だと名声を博した日本製のヘンミ計算尺の輸出が急増。第2次世界大戦ではゼロ戦の設計、1958年完成の東京タワーの構造設計でも使われた。1965年には世界シェアが約80%に達した。戦後は全国の中学校や高校の多くに課外活動の「計算尺クラブ」があった。
                                       =ヘンミ計算尺株式会社のホームページなどを参照





1941年ごろの関西工学校の製図授業風景
(大宮校舎本館4階)

現在の大阪工大建築学科の設計演習風景。
昔と違って模型を手元に(大宮キャンパス2号館1階の製図室)

CADでは学べない人間と建築のスケール感

手描き教育の良さを語る寺地教授

 一方、製図道具は今でも学生たちには欠かせないものです。もちろんあらゆる分野にコンピューターによる設計支援ツールであるCAD(キャド、computer-aided design)が使われ、建築の設計でも例外ではありません。しかし、大阪工大建築学科は今も手描きの設計演習を重視し、3年前期までは手描き製図を課しています。建築学科学科長の寺地洋之教授は「コピペが簡単にできるCADだと大きすぎるトイレを図面化してもそれが異常に大きいと気付かない学生も出てきます。手先を使って自分の手で覚えることで、建築家として大事な人間と建築のスケール感や寸法体系を磨くことができます。医師が今でも聴診器で患者を診るのと似ています」と手描き必修化の狙いを話します。2号館1階の建築学科製図室では学生が一斉に製図道具を使って真剣に設計演習に取り組み、ガラス越しに表の通りからその授業風景をうかがうこともできます。「1年生からCADしか使わず、手描きを教えない大学もあります。しかし、本学の手描き教育は企業の評価も高く、就活で密度の高い手描きの図面を持参することで採用につながることも多く、一級建築士合格者の多さにも反映しています」と寺地教授はその実際的な効果を明かします。

 時代はアナログからデジタルが主流になり、計算尺が電卓に、製図道具がCADに取って代わられていきました。それでも数字やデータ、図面と真剣に向き合うことが、モノづくりに取り組む学生たちに不可欠なことに変わりはありません。





                 開校当時の本科講師陣



 【CADの歴史】 1963年、2次元CADソフト「Sketchpad」が米国で誕生。ペンを動かすだけで画面上に図面を描けるようになった。1971年、自動で製図し加工できる革新的CADソフト「ADAM」を米国の情報工学者ハランティーが開発。1977年、最初の3次元CADシステムをフランスの航空機製造者ダッソーが開発。1980年以降、小型コンピューターの普及でCADも普及。2000年代には中堅・中小企業にも定着した。現在、モノづくりに欠かせないツールとなっている。





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