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centennial 12

止まらないグローバル化の波

70年代に始まった国際交流が90年代に本格化
アジア各国からの留学生がキャンパスに

FLOW No.98

止まらないグローバル化の波

常翔学園高と台湾の高校とのオンライン交流

ものづくりからサービスまであらゆる分野で国境を越えたボーダレスの競争が進む時代です。ヒト、モノ、カネ、情報が世界を自由に、かつ大規模に行き来するグローバリゼーションの進展に対応し、地球のどこに行っても活躍できる人材の育成が教育に求められています。常翔学園で1970年代に始まった「国際交流」は、90年代になって一気に本格化していきました。今では学園設置3大学は海外の多くの大学と協定を結ぶなど連携・交流が年々盛んになり、各キャンパスには外国人留学生の姿も珍しくありません。また毎年多くの学生が留学や語学研修、プロジェクト活動などで海を渡っています。最近のコロナ禍で一時的に中断したものも多いですが、オンラインで海外との交流が継続できていることもグローバリゼーションの一面です。今後、世界へ開かれた教育・研究への更なる脱皮が学園の生存戦略の要になっています。今年10月30日の学園創立100周年に向けた連載企画の第12回のテーマは「学園の国際化の変遷」です。

戒厳令下のフィリピンで合宿

1975(昭50)年、大阪工大の体育会武道系7クラブが初の海外総合合宿を行いました。恒例の総合強化合宿の第20回記念の企画で、149人の学生を含む総勢176人が8月20日から27日までフィリピンで、フィリピン大との学生交歓会や演武祭などのさまざまな親善行事も行い帰国しました。強権政治のマルコス政権による戒厳令下のフィリピン訪問でした。現在の常識からすると戒厳令下の国に多くの学生を派遣するという大胆さに驚きますが、工大通信「おゝよど」12号(1975年10月1日発行)の記事からは緊迫した空気は感じられません。


戦後、日本が国際舞台に本格的に復帰したのは1964(昭39)年の1回目の東京オリンピックでした。1970(昭45)年の大阪万博を経て、「国際交流」という言葉が盛んに使われるようになっていきました。

ベトナム戦争中のベトナムからも

こうして徐々に始まった学生の海外渡航ですが、逆に海外からの留学生などの受け入れはいつから始まったのでしょうか。大阪工大に外国人留学生の入学制度ができたのは1985(昭60)年ですが、それ以前にも留学生はいたのです。「おゝよど」10号(1975年7月1日発行)に「工大に留学して」という文章を寄稿したタイ人留学生がいます。当時の経営工学科2年のチワポン・シントウさんです。



大阪工大や校友会に残る記録では更にそれ以前の1969(昭44)年に3人のアジア人学生が入学しています。カンボジア人(短期大学部電気科を1971年に卒業)とベトナム人2人(応用化学科を1973年に卒業)です。1970年にカンボジアではクーデターによりロン・ノル政権が誕生し、その後内戦状態に。ベトナムに至ってはベトナム戦争(1955~75年)真っ最中です。戦争や内戦、戒厳令などが珍しくなかった当時のアジアの途上国からの留学生たちが、どんな思いや覚悟で日本での勉強に取り組んでいたのか、想像を超えています。

大阪工大短期大学部では1982(昭57)年から隔年で、3人の中国人建設技術実務研修生を受け入れ、1993(平5)年までに計18人が学びました。1975(昭50)年に開学した摂南大への初の外国人留学生は1986(昭61)年に工学部電気工学科に入学したインドネシア男子学生で、その後も学園への留学生は中国を中心にアジア各国からが大部分でした。

学園70周年の1992年に初の海外大学との交流協定

学園の国際交流が本格化したのは1990年代です。1992(平4)年の創立70周年事業として当時の藤田進総長・理事長が海外の大学との交流・連携を推進したのです。初の交流協定は同年、中国・上海市の同済大と結ばれました。続いて中国の清華大、黒龍江大、韓国の大田大学校、米国のサンノゼ州立大と次々に交流協定が結ばれ、米国のワシントン大、ハワイ大、メキシコのグアナフアト大、中国の北方交通大、インドネシアのストモ博士大が友好大学となりました。こうした大学での学生の海外研修や教員間の学術交流も活発化しました。



21世紀に入るとグローバリゼーションやグローバル化といった言葉が、あらゆる分野で使われるようになりました。学園設置3大学でも、海外留学や海外研修、国際PBLなどで学生を積極的に海外に派遣するようになっています。海外の大学や機関・団体との交流・連携協定も年々増え学園だけで地球規模の知のネットワークができています。

青年海外協力隊 高校から海外大学へ多様化する国際交流の形

浅野英一国際学部教授

留学や海外研修が当たり前になった中で、国際交流のユニークな取り組みとして摂南大学の青年海外協力隊への参加支援があります。同大では、国際協力の専門家で自身もアフリカでの青年海外協力隊やJICA専門員の経験が豊富な浅野英一国際学部教授の指導などで、2006年からこれまでに33人が選考試験を突破。現役学生の合格率では全国トップレベルを誇っています。合格者はアジアやアフリカの途上国を中心に世界19カ国に派遣されました。浅野教授は「彼らは世界がボーダレスだということを肌で感じ、一皮も二皮もむけて成長して帰ってきます。平和の尊さや日本の良さを身に染みて学んだと口をそろえます。これこそ国際交流の最も大事なことです」と話します。

また、今後の国際化の大きな流れを示しているのが、常翔学園高から台湾など海外の大学への進学の増加です。台湾へは2019~2021年度の3年間で23人にもなります。2022年度は台湾の大学の10人に加え、オーストラリアとオランダに各1人が進学する予定です。同校の田代浩和校長は「台湾の大学は国立でも私立でも学費が安く、中国語や英語も身に付くというメリットで関心を持つ生徒や保護者が増えています」とその背景を話します。同校では台湾の高校との交流活動も活発化。昨年6月にはオンラインで高校2年生が科学探究を発表し合うイベントも開催し、生徒たちには大きな刺激になりました。



新型コロナウイルスによるパンデミック、ロシアのウクライナ侵攻による食糧やエネルギーの危機、世界的な貧富の格差の拡大。私たちはグローバリゼーションの負の側面に直面しています。世界と瞬時につながり情報や知識、価値を共有できたり、ワクチンを迅速に供給できたり、グローバリゼーションのメリットを生かしながら、そうした厳しい課題に立ち向かえる人材育成が学園にも求められています。








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