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centennial 11

あの手この手 学園広報宣伝の変遷

新聞広告に始まり、ラジオ・テレビへ
ネットや梅田駅ジャックの交通広告も

FLOW No.97

あの手この手 学園広報宣伝の変遷

常翔学園の始まりの関西工学専修学校の名前が世間に知られた最初は1922(大正11)年8月31日の大阪毎日新聞朝刊地域版に載った「関西工学専修学校が10月1日開校」という小さな記事でした。翌9月1日からは大阪毎日、大阪朝日、大阪時事の各新聞に繰り返し生徒募集広告が掲載され、これが学園の広報宣伝の第1歩となりました。それ以後、学園の発展と共にその広報宣伝の量は増大し、その手法は新聞、雑誌からラジオ、テレビ、インターネット、各種交通広告など時代と共に多様化してきました。数々残る広告などを手掛かりに学園設置各学校の広報宣伝の歴史を振り返ると、その宣伝文句やキャッチコピーからも時代や学園の姿が浮かび上がってきます。今年10月30日の学園創立100周年に向けた連載企画の第11回のテーマは「学園広報宣伝の変遷」です。





関西工学専修学校の生徒募集広告が出たのが開学の僅か1カ月前だったというのは現代の常識では驚きです。それでも「予想を上回る受験生があり」(80年史)、ほぼ予定の募集人数に近い589人が入学しました。今では考えられないほどの新聞の影響力も寄与したようです。日清戦争(1894~95年)後に日本の資本主義は大きく発展し、都市化、教育水準の向上も相まって新聞も一気に発行部数を増やし、1922年頃にはおよそ2世帯に1部の普及率でした。ラジオ放送が始まったのは1925(大正14)年からで、戦前の広告媒体としての価値は新聞が圧倒的でした。学園が新たな学校を設立するたびに、学生・生徒募集広告が新聞に掲載されました。

「工業教育の殿堂」を地味にアピール

1969年に学研の学習雑誌「高三コース」(5月号)
に載った大阪工大の広告

 1949(昭和24)年に新制大学の1つとして発足した大阪工大(当初の名称は摂南工業大)ですが、戦後は新聞に加えて雑誌が広告媒体として重視されていきました。常翔歴史館に残る資料では、高校生向けの学習雑誌の「蛍雪時代」(旺文社)や「高三コース」(学習研究社)などに定期的に広告を掲載していたことが分かります。ただし、その中身は学校名を強調するだけのごく地味なもので、今で言うキャッチコピーとしては小さい文字で「工業教育の殿堂」とあるだけです。18歳人口が多く、学生募集にまだそれほど困らなかった時代背景があります。

「入り易く、出難い大学」を売りに“週休2日制”にも全国から注目

摂南大が開学した1975(昭和50)年は、テレビ広告費が新聞広告費を初めて上回った年でした。広告媒体の多様化が進み、その中身も大量消費時代の広告を脱して、質重視の成熟時代に入り始めていました。テレビCM自体が話題を生むことも多く、CMディレクターが映画監督のように注目を集めるようになっていました。


そんな時代の開学ですからただ単に校名をアピールするだけの宣伝では社会へのインパクトはありません。他大学との違いを出すために摂南大が当初アピールしたのは、「入り易く、出難い大学」や「週5日制の授業」などでした。残念ながら当時のポスターや広告は残っていませんが、学校案内の「教育方針と特色」の1番目に挙げられたのが「入り易く、出難い大学」という見出しです。「受験戦争」という言葉が生まれて、その弊害が叫ばれていた時代に、欧米の大学のように入学してからの勉強を重視するというこのキャッチコピーは、それなりにインパクトがあったと思われます。


更に「週5日制の授業」、つまり週休2日制も注目されました。官公庁が完全週休2日になったのが1992年で、公立小中高校では2002年ですから、その先進的な取り組みで、ニュースになりました。


朝日新聞(1975年4月12日東京夕刊)が、「摂南大学が週休二日制 寝屋川 ミッション系除き初めて」の見出しで報じました。一般ニュースに取り上げられるというのは、最も効果的な宣伝であり、このアピール戦略は成功したことになります。


ちなみに現在は履修の仕方が多様化し、週5日制授業という制度は取っていません。


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世紀末に「新しいしあわせ」の創造を宣言

1998(平成10)年に開学した広島国際大の当時の学生募集ポスター= 写真= が残っています。「明日へ向かって出かけよう。」のキャッチコピーと三輪車で1本道にこぎ出す幼児の後ろ姿の写真が印象的です。それに続く見出しで<広島国際大学は「新しいしあわせ」の創造をめざしています>とアピールしています。


この21世紀直前の時代はパソコンが普及し、インターネットが社会インフラになり始めていました。少子化、デジタル化、グローバル化という現在につながる大きな変化が始まっていました。更に日本経 済は1990年代初めのバブル崩壊を経て長期低迷に入り、90年代末は北海道拓殖銀行、山一證券、 日本長期信用銀行など大手金融機関の経営破綻が相次ぎました。1995年の阪神・淡路大震災や地下鉄 サリン事件も経て、暗い霧が立ち込めたような世紀末に、「本当の幸福とは」と人々が考え直し始めていたのです。「新しいしあわせの創造」という言葉からはそんな時代の思いが読み取れます。

拡大するインターネットで見せる発信

広報宣伝には、新聞・雑誌やテレビという外部メディアにお金を出して広告を掲載しCMを流す方法と、本誌FLOWのような広報誌などの広報媒体を自ら作って発信する方法があります。インターネット時代の進展で自ら発信する手段が増え、その影響力をますます無視できなくなっています。


伝統的な外部メディアの活用も多様化しています。その1例が2017年4月に誕生した大阪工大梅田キャンパスをアピールした阪急大阪梅田駅ジャック広告でした。同駅のコンコース中央にある4本の円柱広告など複数の広告スペースを買い切って「空間をジャックする」インパクトのある広告です。こうした交通広告には、鉄道車両内のポスターやバス内の告知アナウンスなどもあります。


インターネットの力を実感できた大学広報の例を2つ紹介します。2016年12月、摂南大の学生・ 教職員約100人が、当時のテレビの人気ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で話題となった「恋ダンス」を、YouTube で「恋ダンス・摂南大学バージョン」として公開= 写真。1カ月余りで再生回数が7万回を達成しました。「見せる」広報戦略の一環で大学職員らが企画。ブームに敏感に反応し経費をほとんどかけない費用対効果の優れた広報となりました。

もう1つは広島国際大が同じくYouTube に2019年6月に流したPRムービー「ヒロ国入国」= 写真= です。再生回数が900万回以上を達成したこの動画は、同大を「ヒロ国」という国家に見立てて、「人の役に立ちたい」という入国目的を審査する様子や「学科専攻を超えてチームで学び合え」という「ヒロ国憲法」などのストーリーを通して大学の特色を面白くアピールし話題となりました。同大では 2017年6月にもYouTube のPRムービーで、試験で堂々と学生同士のカンニングが許されるような 意表を突く様子を描き、現代の医療現場は「1人で問題を解く」のではなく「チームで連携して取り組む」というIPE(専門職連携教育)のコンセプトを強烈にアピールし、テレビなどでも話題になりました。

問われるイメージ戦略、ブランド戦略


戦後の学制改革で新制大学設置がほぼ出そろった1949年には、4年制大学の数は全国で178校でしたが、2021年度では788校と約4.4倍に増えています。一方で18歳人口は約170万人から約114万人に激減。2040年には88万人になるとも推計されています。大学進学率が向上したとはいえ、大学間の志願者の奪い合いが続くのです。そのような状況で、大学のイメージ戦略、ブランド戦略の重要度は増すばかりで、広報宣伝の力が試される時代です。



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