久保 廣正 教授

摂南大学 経済学部 経済学科

EU誕生25年 進む欧州危機 英国離脱を巡って大きな波紋

FLOW No.81

久保   廣正
Profile
くぼ・ひろまさ 1973年神戸大学経済学部経済学科卒。同年丸紅入社。1979年欧 州共同体委員会経済金融総局出向。丸紅調査部副部長などを経て1999年神戸大学大学院経済学研究科教授。2009年欧州委員会より「ジャン・モネ・チェア」の称号。2011年4月~2014年3月神戸大学学長補佐(国際交流担当)、日本EU学会理事長。2014 年摂南大学経済学部教授。2015年11月より同大経済学部長。2018年4月より同大学 院経済経営学研究科長兼任。著書に『貿易入門〈第3版〉』(日本経済新聞出版社)『欧州 中央銀行の金融政策とユーロ』(有斐閣・共著)『欧州統合論』(勁草書房)など多数。 博士(経済学)神戸大学。大阪府出身。

今月1日でマーストリヒト条約が発効しEU(欧州連合)が誕生して25年になりました。しかし、EUは来年3月に迫った英国の加盟離脱(Brexit)、各国での反EU・反移民の極右・ポピュリスト政党の勢 力拡大で創設以来の最大の危機に瀕しています。国境のない新たな統治モデルとしての理想は、グローバリズムや国際秩序の歪みの前に大きく揺れています。著名なEU研究者に欧州委員会から与えられる「ジャン・モネ・チェア」の称号を持つ摂南大経済学部長の久保廣正教授に、英国離脱の危機をもたらした背景、経済のグローバリズムがもたらした問題、今後のEUの展望、日本の対EU政策の変化、などについて聞きました。

戦争に必要なものを共有化し戦争の抑止に

EUが誕生から25年を迎え、今では欧州の28カ国が加盟し、総人口は5億人を超えます。私が丸紅社員時代に欧州委員会に出向した1979年当時、前身のEC(欧州共同体)の加盟国が9カ国、2.5億人でしたから、大きく発展したと言えます=年表と図1参照。ここまで発展した要因は3つあります。まず第1に2度の世界大戦を経験したヨーロッパにある悲惨な戦争を二度と起こさないという強い不戦の理念です。当時は戦争をするにはまず鉄と石炭が必要でしたから、それを各国で共有し管理すれば戦争を起こせないと考えたのです。フランスの政治家で財界人だったジャン・モネらが「国際機関でコントロールしよう」と呼び掛けて1952年に設立されたのが欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)で欧州統合の第一歩でした。鉄と石炭から始め経済全体のエンメッシュメント(相互依存)化が進めば、ますます戦争が起こせない経済構造が生まれます。経済の統合が政治の統合に自然と発展するとも期待したのです。第2の発展要因は、EU共通の価値観の求心力です。民主主義、市場経済、人権尊重、法の支配、と今では当たり前の価値観ですが、冷戦終結後の旧社会主義の東欧諸国にはとても新鮮な価値観でした。2000年代にこれらの国が一挙に加盟したのです。第3の要因は、国境をなくすことで規模の経済(単一市場)のスケールメリットが生まれるということでした。

格差というグローバリゼーションの歪み

ここまで発展したEUに近年になって大きなきしみが生まれてきました。もちろん一番の問題は現在進行形の英国のEU離脱(Brexit)の行方ですが、こうしたきしみが生まれた要因も大きく3つあります。

まずグローバリズムの歪みです。グローバリズムの考え自体は間違ったものではありません。国連もEUもその考えを体現したものです。ただEU内で経済のグローバリズムが急速に進むと、それをうまく利用できる海外進出企業及びそこで働く人とそうでない企業・ 人で生産性及び所得の違いが生まれ、大きな格差が生じます。例えば、EU各国でも法人税率や税制優遇が違っていますが、海外進出できる企業はこうした違いをうまく使って節税できます。こうして所得格差が生まれると、グローバリズムを乗り切れなかった人たちに大きな不満が生まれました。そこにつけ込んだのが反EUを掲げるポピュリズム 政党や政治家たちでした。

第2にEUが「one fits for all」と言って、全加盟国に同じ一つの制度を普及させようとしたことです。ドイツもルーマニアも同じ制度というのは現実的に無理がありました。第3は難民問題です。2015年にシリアなど中東からの難民が一気に増え1年で100万人を数えました。ナチスの教訓から政治的に迫害を受けた人々を庇護するという基本法を持つドイツは当初、「断固受け入れる」とメルケル首相が表明しました。しかし、難民が急激に増えるにつれて、財政的にも耐えきれなくなってきたのです。国民に不満が増し、メルケル首相の支持率も低下しています。

久保教授の著書の一部

英国に根強い欧州懐疑派

現在の最大の危機は英国のEU離脱ですが、かつてチャーチル首相が外交の優先順位として「1=英 連邦、2=英米関係、3=欧州大陸との関係」という“3 つの輪”ドクトリンを掲げたように、もともと英国にはEUに距離を置く姿勢がありました。更に効率重視の社会タイプは、公平性重視の他の欧州諸国とも異質です。「選挙で選んだわけでもないブリュッセル(EU本部)の官僚に主権を侵され支配されている」という欧州懐疑派の声が大きくなってきたうえに、ポーランドなどEU圏内からの移民が急増し、労働者階級などに「仕事を奪われ福祉の分け前が削られる」という不満が増大したのです。そんな状況の中、離脱派による「ポスト・トゥルース(脱真実)※1」の根拠の薄いプロパガンダも重なって国民投票で僅差(51.9対48.1)でEU離脱が決まったのです。

来年の離脱期限(2019年3月29日)に向け離脱協定の交渉が進められてきましたが今月13日、ようやく事務レベルで協定草案に暫定合意しました。妥協点が見つかる「soft Brexit」になるか全く何も決められず離脱する「hard Brexit」になるか、お互いの狙いを探り合うチキンレースの末の合意です。英国側は単一市場と関税同盟の恩恵をできるだけ維持したいし、紛争(※2)の記憶がまだ生々しい英領北アイルランドとEU加盟国アイルランドの間に再び厳格な国境管理を復活するのかも悩ましい問題でしたが、北アイルランド問題を回避するために英国全体でEUとの関税同盟を継続するという案のようです。ただこの案で英国議会から同意を得られて最終合意するかは予断を許しません。EU側は離脱が他加盟国に波及するのを防ぐため厳しい態度で臨んでいますが、やはり離脱リスクは 英国の方が大きいと考えられます。EUが既に50カ国以上と結んでいる貿易協定から離れることになり、一大金融拠点のロンドンのシティーを含め英国経済の地位低下は避けられません。

丸紅社員時代の久保教授=1979年6月・デンマー ク・コペンハーゲン郊外のクロンボール城で

対応急ぐ1000社の日系企業

英国は英語が使える便利さもあって1000社近い日系企業が拠点を構えています。もし妥協点がないまま英国がEU離脱すると、英国内の工場からの製品には関税がかけられますし、銀行免許などさまざまな事業の許認可も取り直す必要があり膨大な手間が掛かります。hard Brexitになる最悪の事態も考慮して対応策を急いでいます。

英国が離脱すればEUが崩壊するのでは、という懸念も聞かれます。私はEUが存続するメリットはまだまだ大きく、そんなことにはならないと考えます。まずEUとの離脱交渉に苦労する英国を見て、「あんなに大変なことなのか」と他の加盟国の離脱派の腰が引けてきています。また何よりEUには米国にない文化的なソフト・パワーやノーマティブ・パワー(規範力)があります。加盟国が28カ国というメリットは大きく、会計基準や工業製品から医療、農業などあらゆる分野の国家間共通の標準規格を提供するISO、その他のさまざまな政策でグローバル・スタンダードを生み出しているのがEU、あるいはEU加盟国のノーマティブ・パワーです。今後のEUの将来のシナリオはいくつか考えられますが、私が一番可能性が大きいと考えるのは、個々の国家ではできないことだけEUでカバーするという 「補完性原理」を進め、これまでよりEUの政策領域を縮小し効率化する方向です。EU内の国民国家の復権とも言えます。

図1=外務省ホームページから作成

1930年代に似たリーダーシップ空白の危うさ

米国のトランプ大統領が今年9月の国連総会の場で「グローバリ ズムを拒絶する」と表明しました。アメリカ・ファーストで、関税を引き上げ貿易戦争を仕掛けています。米国、英国の保護主義、自国主義への回帰は世界大戦に突入していった1930年代に似ています。保護主義で貿易量がどんどん縮小し、失業者が増える経済の悪循環が生まれ、国際的なリーダーシップを担う国も不在でした。現在の世界も「Gゼロ時代」と言われ、まさにリーダーシップの空白が生まれている状況に経済学者として危機感を覚えます。



※1:オックスフォード英語辞典が選んだ2016年を象徴するワード・オブ・ザ・イヤー
※2:英国からの分離とアイルランドへの併合を求める少数派カトリック系住民と、英国統治を望む多数派プロテスタント系住民が対立。1960年代後半に始まったテロなどの犠牲者は3200人を超えた。98年に包括和平合意が成立

ニューウェーブ