池田 潔 教授

広島国際大学 薬学部 薬学科

インフルエンザを迅速に検知する試薬開発

FLOW No.71

池田 潔
Profile
いけだ・きよし 1979年静岡県立静岡薬科大学薬学部薬学科卒。1984年同大学院製薬学専攻博士後期課程修了。米国スクリップス研究所客員研究員などを経て2000年静岡県立大学薬学部大学院薬学研究科助教授。2009年から現職。薬学博士。静岡県出身。

患者が苦しむ時間を減らしたい

インフルエンザの季節がやってきました。近年、鳥インフルエンザウイルスから変異する新型ウイルスの人への爆発的感染拡大(パンデミック)も懸念されています。広島国際大薬学科の池田潔教授が静岡県立大のグループと共同開発し、昨年商品化した研究用試薬は、紫外線を当てるとインフルエンザウイルスを光らせ短時間で感染を検知できる新たな方法を切り開きました。感染初期に検知できるため、感染判別まで時間のかかるこれまでの抗体を使った検査に比べて患者が苦しむ時間が短くなり、治療も早まることが期待されます。既に医療現場では他の迅速診断法が使われていますが、この試薬はインフルエンザウイルスにとどまらず他の病原性ウイルスやがん細胞の検知にも活用される大きな可能性があるため国内外から注目されています。この試薬の仕組みや今後の展望を池田教授に聞きました。

酵素「シアリダーゼ」に着目

インフルエンザウイルスは、人間の細胞に感染し細胞内で増殖して細胞外に離れる時に特有の酵素シアリダーゼ(別名ノイラミダーゼ)を働かせます。シアル酸という糖を切り離すハサミのような働きをすることが名前の由来です。私たちはこの酵素に着目しました。開発した試薬はシアル酸と蛍光色素が結合したもので、シアリダーゼと反応するとシアル酸と蛍光色素に分離します。そこに紫外線を当てると分離した蛍光色素が光り、ウイルスの存在が分かるという仕組みです。不溶性で蛍光色素が水で拡散しないため、ウイルスの場所が特定できます=下図。バイオイメージング剤(可視化剤)と言われる種類の試薬です。

現在広く使われているインフルエンザ検査の方法は、ウイルスなどの外敵に反応する抗体を利用するものですが、感染の初期にはウイルスの量が少なく判別不能の場合が多いのです。このため「かかり始め」の時期に治療薬を出す病院はほとんどありません。インフルエンザウイルスは放っておくと8時間で100倍、16時間で1万倍、32時間で100万倍に増えます。判別時間が長引けばそれだけ患者の症状が進み、投薬などの治療は遅れます。早く判別するのが重要なのはこのためです。これに対して私たちの試薬は、原理的には化学反応を利用するので少量のウイルスでもシアリダーゼが働くと判別が可能です。抗体は長持ちせず低温保存が必要ですが、私たちの試薬は常温管理できるのでコストが安くなるという利点もあります。

商品化はしましたが、まだ大学や企業の研究機関で使う研究用試薬の段階です。臨床段階で使えるための課題は、より蛍光色素の感度を高め濃縮することです。現在、企業との共同開発を進めようとしているところです。

ウイルスを“生け捕り”

この試薬ではタミフルやリレンザなど、どのタイプの抗インフルエンザ薬が効くかも即座に判別できます。更に大きな利点はウイルスを“生け捕り” にできることです。インフルエンザウイルスは変異の激しいウイルスですが、変異を解明するためにこれまではウイルスを染色する必要があり、それによってウイルスが死んでいました。この試薬ではウイルス一つずつを“生け捕り” することが可能で、薬への耐性のある変異ウイルスをリアルタイムに遺伝子レベルで解析できます。このため将来、薬効評価や新薬開発で大きく貢献できる可能性があります。

がんの転移部位特定にも効果

またシアリダーゼはインフルエンザウイルスだけでなく、パラインフルエンザやおたふく風邪、麻疹などの病原性ウイルスやがん細胞などにもあって、さまざまな生命現象に深く関与していることが明らかになっています。こうした病原性ウイルスのたんぱく構造を分析し、それに合った蛍光剤を分子設計し合成することで、感染ウイルスを色分けして識別することも可能になります。私たちは既に世界初のパレットのような蛍光色素群を合成しています=下写真。近い将来、複数のウイルス感染を一度に判定できる検査薬の開発も期待できます。特にこれから大きく期待されているのが、がんの部位特定に使えることです。例えば大腸がんの手術をしながらでも試薬をスプレーし紫外線を当てれば小さな転移部位でも分かり、どこまで切除すればいいかが明確になるためスムーズな手術ができます。後から再手術するなどの無駄が減り、患者の負担を減らすことができます。

予想外のメリットと大きな反響

この試薬には意外なメリットもありました。シアリダーゼは動物の体内にも広く分布していることが分かってきました。そのためラットのさまざまな臓器を光らせてイメージングし観察することができるのです。また研究機関ではシャーレの中で培養したウイルスのプラーク(死滅した斑点)を数えるのは難しい技術でそれなりの熟練が必要です。論文作成に必須の技術ですが、私たちの試薬ならウイルスを生きたまま光らせるので一目瞭然で簡単に数えられます。学会では生化学の分野の人たちから「異次元の技術だ」と予想外の賞賛を受けました。これまで技術の獲得にかかった時間が不要になり、その時間を次の研究に使えるからです。研究のステージを1段階上げる試薬でもあったのです。

研究室で学生を指導する池田教授

これまで国内外の学会で多数の発表を行い、大きな反響があり、論文も数多く引用されています。試薬の発売の問い合わせも多く、昨年12月に国内最大手の臨床検査薬メーカーである和光純薬工業( 大阪市) から発売(商品名:BTP3-Neu5Ac-Na)され、今では多くの研究室で使われています。

「コンパニオン診断」と言いますが、こうした診断薬と治療薬を組み合わせることが重視されるようになってきました。患者個々の正確で迅速な診断が事前にできれば、それだけ無駄な投薬や薬の乱用防止にもつながり、副作用も減らせます。今年8月には発売中の試薬より感度が10倍鮮明な第2世代の試薬の特許も取得しました。この試薬が新たな研究成果を生むことを期待しています。

私が化学に興味を持ったのは小学生時代からで、お小遣いで実験器具を買っていました。大学入学後は、糖類の構造と生物活性(化合物が生体に作用して生物反応を起こすこと)の関係に興味を持ち研究を続けてきました。現在はインフルエンザウイルスの検出薬や治療薬の合成の他に、デング熱の治療薬の研究にも力を入れています。世界の熱帯地域の国を中心に毎年1億人が感染しており、近年は国内でのデング熱感染が話題になりました。グルクロン酸という糖にデングウイルスの感染阻害作用があることが分かっており、治療薬につながると期待しています。

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