小林 純さん

江田島市地域おこし協力隊 国際交流支援員

東ティモールでの苦い経験を糧に
地域に向き合う理学療法士を志す

Graduate Voice 活躍する卒業生

FLOW No.89

Profile
こばやし・じゅん 2012年広島国際大学保健医療学部理学療法学科(現:総合リハビリテーション学部リハビリテーション学科理学療法学専攻)卒。同年広島赤十字・原爆病院入職。2016年から青年海外協力隊の理学療法士隊員として東ティモール民主共和国で2年間活動。日本福祉大学大学院福祉社会開発研究科国際社会開発専攻博士課程(通信教育)で学びながら2019年から現職。広島県出身。

広島国際大保健医療学部理学療法学科(現:総合リハビリテーション学部リハビリテーション学科理学療法学専攻)で学んだ小林純さんは、型にはまらない理学療法士です。マレーシアや東ティモール民主共和国で障害者と対等に向き合って学んだことが、小林さんの原点で、現在は祖父母の住む広島県江田島市の地域おこし協力隊として高齢者や外国人が生き生き暮らせる地域づくりに奔走。個人の心身機能障害を改善するだけでなく、地域の障害(障壁)にも取り組める理学療法士になろうとしています。

高校時代、けがでサッカー部の試合に出られなくなった時に初めて理学療法士に助けられ、更に末期がんの祖父が入院していた病院でも献身的な理学療法士の姿に心を動かされた小林さんは「人を支える仕事だ」と広島国際大に進学し理学療法士を目指しました。

大学卒業後、地元の広島赤十字・原爆病院に入職。中学生の時に父が赴任中の中国へ1人旅をしてカルチャーショックを受けて以来、海外への興味が強くなったという小林さんは、就職3年目に母校の徳森公彦准教授に誘われてマレーシアでの地域リハビリテーション研修ツアーに参加しました。その農村では障害者・児も役割を持ち、生き生きと暮らしていました。それを支えていたのが青年海外協力隊の作業療法士隊員でした。地域の障害(障壁)に取り組む姿を見て、「こんな支援の仕方もあるのかと目を開かれました」と振り返ります。

刺激を受けた小林さんは2年後、青年海外協力隊理学療法士隊員として東ティモール民主共和国の地方病院に赴任。主に身体障害児と四肢切断後の患者の理学療法を担当しました。ワニが神聖視される地域で、ワニに襲われ四肢を切断する人も多くいました。やがてその治療が評判を呼び、患者数は赴任前の3倍に。2人だった理学療法士は5人増員され、病院に大きく貢献したのです。

そんな小林さんに衝撃の出会いが待っていました。結核性髄膜炎で寝返りもできなかったのに小林さんの治療で歩けるようになった8歳の女の子ナンシアちゃんです。退院したナンシアちゃんの家を訪ねた小林さんが見たのは、歩けるようになったナンシアちゃんの面倒を見るために小学校に行けなくなった10歳の姉の姿でした。「冷水を浴びた思いでした」。貧しさで両親は働かざるを得ず、独立戦争の遺恨で孤立する一家には頼れる隣人もいなかったのです。「身体機能を改善することばかりに目を向け、ナンシアちゃんを取り巻く『地域』に目を向けていなかった自分を悔やみました」と話します。その後は、地域の障害者支援団体が実践するCBRという地域に根ざしたリハビリテーションの取り組みにも帯同するようになり、そこでも多くの学校に行けない障害児らと出会いました。

東ティモール民主共和国の病院で子供の歩行訓練をする小林さん(左)

帰国後、「CBRは障害児の社会参加を拡大しているのか」という疑問を解決すべく、日本福祉大大学院(通信教育)に入学。現在は博士課程に在籍しながら江田島市の地域おこし協力隊として、高齢者や外国人らの社会参加促進に取り組んでいます。「西日本豪雨の時の断水で、90歳を超える祖父母は井戸水をくんで洗濯しました。高齢者が井戸水をくめるよう健康づくりを支援するのも理学療法士ですが、そもそもなぜ高齢者だけで水くみをしなければならないのか、という視点を持つことがこれからの理学療法士には必要です」と強調。そんな理学療法士の育成にも携わりたいと言う小林さんは、後輩たちに「表面的な部分だけを見ず、その人の生き方や周りの環境などを理解し行動できる人になってほしい」とエールを送ります。

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