田邊 隆一客員教授

山越 歩さん(左)林 果歩さん(中)萩原 茉奈さん(右)

「世界と共に生きる」、「地球を住みかにする」時代
多様な情報入手の手段を持ち、チェックする習慣を

FLOW No.102

常翔学園の設置学校に在籍する学生、生徒、教職員が各界の“一流人” と語り合う「クロストーク」。第9回は41年間外交官として世界の紛争地を飛び回り、ポーランド大使やアフガニスタン支援調整担当の特命全権大使などを歴任した田邊隆一大阪工大客員教授に、摂南大外国語学科英語プロフェッショナルコースで学び、英語を生かした国際的な仕事を目指す萩原茉奈さん、林果歩さん、山越歩さんの3人が、グローバル社会で働き、活躍するために必要なことや心構えを聞きました。トークは京都市内の田邊教授の自宅と摂南大ラーニング・コモンズをリモートでつないで行いました。

言葉を学ぶことは、相手国への敬意

林:今日はよろしくお願いします。ロシアのウクライナ侵攻から1年が経ちますが、紛争の絶えない世界でグローバルに活躍するためには、どんなことを心掛けたらよいでしょうか。

田邊:「世界と共に生きる」、「地球を住みかにする」時代です。そのために情報を多岐に入手する必要があります。島国の日本では情報がどうしても偏り、濃淡ができます。日本を中からも外からも見る複眼思考を身につけましょう。そのために海外の情報をチェックする習慣をつけることが有効です。私は毎日、朝起きるとスマホなどで英国のBBC、ドイツのジャーマン・ウェイブや公共放送、米国のテレビ局などの情報を必ずチェックします。必要ならインドやイスラエルの情報もそれに加えます。もちろん日本の新聞にも目を通しますし、欧米のリーダーたちも読んでいる英国の週刊紙「ザ・エコノミスト」も購読しています。こうした自分なりの情報ソースを持ち、毎日 チェックしていると、情報のバランスが取れるようになります。
 また、日本の世界地図では大西洋は見えにくく、南米とアフリカが近いことに気が付きません。地球儀を見ることで固定観念を取り除くことができます。

萩原:さまざまな国に駐在されていますが、駐在中の国の情報収集で大事なことを教えてください。

田邊:もちろんその国の言葉が大事です。ポーランドならポーランド語のテレビなどメディアから情報を得ます。海外で働く時は、どこでも今は英語がベースになってはいますが、まずその国の言葉の「ありがとう」などのあいさつから覚えるようにするといいです。その国の言葉を学ぶことは、その国の文化を学ぶことで、その国に敬意を示すことになります。インドネシアで経済協力の困難な協議をしていた時に、私が急にインドネシア語で「とても難しい」と話したら、相手の高官と打ち解けて親しい関係を築くきっかけになりました。セルビアでセルビア語を使ったスピーチをしたら、小国の言葉を学んでくれて「感激した」と言われました。どの国でもスピーチはその国の言葉で行いました。
 海外では日本に関する関心が高まっているので、まず日本の歴史と文化をきちんと学んでおく必要があります。武道、華道、書道などなんでもいいので少し身につけておくと役に立ちます。「文明の衝突」で有名な米国のハンティントン教授によれば世界には8大文明があり、日本はそのうちの一つで、どこにも属さないとしています。日本が国連加盟の際、重光葵外相は演説の中でアジアと西欧の両文明を学んだ日本は文明の「架け橋」になる役割があると述べました。欧米の文化的背景のない日本は、植民地にならず近代国家を作り、人種平等を世界で初めて国際連盟で訴えました。資源のない国が教育を基に経済と民主主義を発展させてきました。

ベルリンの壁のかけらが示す人権抑圧

山越:ベルリンの壁崩壊(1989年)や米国の9・11同時多発テロ(2001年)などを現場で経験されていますが、当時の仕事や何を感じたか教えてください。

田邊:ここにベルリンから私が持ち帰った壁の一部のコンクリート片=写真上=があります。西側に面していた片方にはペンキの落書きがありますが、東側だった方は無人地帯に面していて何もありません。無人地帯に東ベルリン市民が立ち入ると射殺されたのです。抑圧の象徴のようなコンクリート片です。私は1973年に西ベルリン総領事館に勤務し、毎日東ベルリンの日本大使館にこの壁を越えて通っていました。1日のうちに全く異なる2つの世界を経験しました。壁の近くには射殺された人々のための十字架が立っていました。この壁がなくなるのに100年はかかるかもと見られていましたが、自由を求める人々の声を抑えることができず1989年に突然崩壊。私も自分の手で壁を削り感動しました。ドイツ再統一も1年以内に実現し、「歴史が動く時は早い」と実感しました。9・11同時テロの時は東京都の外務長として石原慎太郎都知事と一緒にワシントンに滞在していました。ホテルから攻撃されたペンタゴン(米国防総省本庁舎)が炎上しているのが見え、都知事とこれからは世界がテロとの戦いで不安定化することを話しました。すぐに大使館に指示を仰ぎました。
 ドイツ再統一後にサウジアラビア大使館に転勤すると湾岸戦争(1991年)が勃発しました。石油関係の邦人が多く滞在し、その命を守ることが大きな仕事になりました。頻繁にミサイル空襲があるため、ガスマスク=写真下=をいつも携行し、邦人の安否を確認し、入港してくる日本のタンカーの船員にも館員がガスマスクを届けました。幸い日本人にけが人は出ませんでした。

日本が世界に伝えられる人づくり

林:アフガニスタンの支援調整の大使もされていますが、どんなことをするのですか。

田邊:その前にセルビアでユーゴ内戦後の復興のため多くの小学校の修復と救急病院の整備に力を入れました。アフガニスタンでは平和構築や復興のためG7や国連、主要関係国との調整のためロンドンやカブールに行きました。自爆テロなどの危険の中、防弾チョッキを着て、防弾車で移動し、当時のカルザイ大統領や閣僚に会いました。日本は復興当初から国造り、人づくりのために積極的な協力を行い、厳しい環境の中で専門家やNGOの方々が地道な支援を行いました。専門家の中には看護師養成のために産婦人科の女医もおられました。カルザイ大統領はいつも日本の協力に深い感謝を表明していました。

萩原:ODA(政府開発援助)による日本からの支援はこれからどうなればいいですか。

田邊:かつて世界一だった日本のODAが減ってきており、日本が世界の安全に貢献するためには増やす必要があります。日本の経験のある分野は人づくりです。資源のない日本の発展を支えたものです。その他に、高齢化対策、環境対策、地震対策など日本が世界に先行する分野で伝えられることは多いです。

海外でも人格の魅力が信頼を生む

山越:外交官としてとっさの判断が必要だった経験はありましたか。外交官に必要なことも教えてください。

田邊:湾岸戦争では邦人や部下を守るためにはとっさの判断が求められました。ただ外交官は日ごろから準備し、時間をかけて相手の国の人との信頼関係を築くことに腐心します。外交官に限りませんが、信頼を得るためには人格的な魅力を磨くことと、約束したことは誠実に実行する有言実行の姿勢が大事です。更に論理的に相手を説得し説明できる力も必要ですね。
 日本は貿易国家であり多くを海外に依存しているため孤立しては生きていけません。世界を国内市場、つまり自分の住みかと見てチャレンジすることが大事です。日本のパスポートは最も多くの国へ渡航できて「世界最強」と評されていますが、それは外交官だけでなく日本の国民が世界で地道に活動して信頼を得た結果で誇りに思ってください。日本の政治、経済などの制度が制度疲労を起こしています。私は今、日本は新たな「幕末」で国を作り直す時期だと思います。多くのシステムを変えれば更に豊かになれると信じています。
 いつの時代も未来を築くのは若い人々です。皆さんは地球上に1 人しかいない存在であり、皆さんでしかできない使命があると信じます。より良き日本と世界の未来のために皆さんの活躍を期待しています。


インタビューを終えて

萩原さん:外交官は縁遠いイメージでしたが、国益や邦人を守る壮大な仕事だとよく分かりました。人とのかかわりが大切という話など、外交官が身近になりました。
林さん:さまざまな質問に分かりやすく答えていただき貴重な時間でした。情報入手のことなど大学でやってきたことに自信が持て、勉強への刺激になりました。
山越さん:ベルリンの壁の話などはリアルで胸に響きました。世界を自分の住みかすることや、多くの情報入手の手段を持とうというアドバイスを肝に銘じます。

Profile
田邊 隆一(たなべ・りゅういち) 1970年東京外国語大学ドイツ語学科を中退し外務省に入省、欧亜局西欧第一課に配属。ドイツ・ゲーテ大学留学を経て、大臣官房総務課課長補佐、在ドイツ大使館一等書記官、在インドネシア大使館一等書記官、在ドイツ大使館総括参事官、在サウジアラビア大使館公使、在オーストリア大使館公使、在ミュンヘン総領事、在インド大使館公使、東京都外務長、セルビア・モンテネグロ駐箚特命全権大使、アフガニスタン支援調整担当特命全権大使、ポーランド駐箚特命全権大使、関西担当特命全権大使などを歴任。2011年日本電産常勤監査役、2019年から同顧問。2012年大阪工業大学特任教授。2018年から同客員教授。ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字勲章、ユーゴスラビア勲一等星章、ポーランド共和国功労星付勲爵士十字章、瑞宝中綬章などを受章。京都府出身。

クロストーク