エンブレム騒動で知的財産権やネット社会の問題も浮き彫りに

2020年東京オリンピック・パラリンピックの公式エンブレムに採用された作品が「ベルギーの劇場ロゴと似ている」と問題になり、白紙撤回されました。その後広く公募のやり直しがされ、間もなく新しいエンブレムが誕生します。簡単にコピーができるネット社会で知的財産権の保護の動きが強まる中、この一連の騒動から見えてくる問題を大阪工大大学院知的財産研究科の大塚理彦教授に聞きました。

PROFILE
大阪工業大学大学院 知的財産研究科知的財産専攻  
大塚 理彦
 教授

1985年神戸大学工学部卒業。1987年同大学院工学研究科修士課程修了し同年松下電器産業(現パナソニック)に入社。情報機器本部を経て2005年同社AVC知的財産権センター。2012年神戸大学大学院法学研究科博士課程修了。2014年から現職。博士(法学)。1級知的財産管理技能士(特許専門業務)。大阪府出身。

商標権や著作権の法的な問題はなかった裁判には高いハードル

騒動の末に白紙撤回されたエンブレムに法的な問題はあったのですか?

大塚

法的には問題ないでしょう。この点で専門家の意見は一致しています。知的財産権の中では商標権と著作権が関係します。ベルギーのリエージュ劇場のロゴは商標登録されていませんから、商標権侵害はありません。あとは著作権侵害の問題です。

裁判で著作権侵害を判断する基準は、①「模倣された」とされる作品が創造的表現のある著作物か ②訴えられた側が模倣するためにその作品を「見た」という依拠性 ③2つの作品が似ているかどうかの類似性 ④「模倣した」とされる作品が実際に使われているという利用行為、の4点です。実際にエンブレムは発表されたので④の利用行為はあったことになります。では後の3点はどうか。まず劇場ロゴは単純なデザインで①の著作物性が認められるかは微妙なところです。文字をベースにしていたり、単純な図形を組み合わせたデザインに著作物性は認められにくく、コピーに近いものでないと類似性を認めない傾向があるからです。仮にそれをクリアしたとしても②の依拠性と③の類似性のハードルは、訴える側(原告)にとって相当に高いのです。「見られた」という蓋然性を訴えた原告が証明しなければなりませんが、それはかなり難しい。更に「部分的に似ている」という程度では類似性は認められません。そうでないと他のクリエイターらの創作活動に大きな制約になるからです。類似性の判断は一般の人と専門家ではかなり違います。裁判官は①と③でバランスを取ります。著作物性を認めれば、類似性の判断を厳しくする傾向があります。

今回の騒動は何が問題だったのでしょうか。

大塚

個人的な見解ですが、アートディレクター佐野研二郎氏の「劇場ロゴは見たこともないし、まねしたこともない」と言い切ったファーストアクションが一連の騒動へと発展させた要因ではないかと思います。「盗作された」と訴えたデザイナーへのリスペクトは感じられず、ネット市民から大きな反発を受けてしまいました。そのため、後からエンブレムの「展開例」の画像の一部が第三者が公開している写真と酷似していたり、トートバックに他のデザイナーの作品と酷似するものが見つかるとメディアなどでも大きく批判されました。

2つ目は選考の透明性の問題です。多くの人は、唐突に発表されたという印象を受けたのではないでしょうか。3つ目がネット社会の怖さです。他の問題があったとしても、エンブレムは少なくとも法的に問題はなく、そこまでデザイナー個人が誹謗中傷されるほどのものだったのかと思います。こんな大騒ぎになったのは、これらの問題が絡み合っているのでしょう。

そもそも知的財産権にはどんなものがあるのですか。

〈 主な知的財産権の関連イメージ 〉〈 主な知的財産権の関連イメージ 〉

大塚

主に、特許権、商標権(ブランド、マーク)、著作権、意匠権(工業デザイン)があります。著作権以外は特許庁に登録されますが、著作権は著作物が生まれた時点で発生します。これらの権利は明確に区別されるものですが、例えばゲームのプログラムは特許権と著作権両方に関係しますし、エンブレムは商標権と著作権にまたがります。2015年のストッケ社「トリップトラップ」事件の知財高裁判決では、木製ベビーチェアが著作物として認められました。実用品はそれまで、美的鑑賞に堪え得るもののみが著作権によって保護され、その他は意匠権によってのみ保護されていました。しかしこの判決で、美的鑑賞に堪え得るといった高い芸術性を要求するのではなく、機能を離れたデザイナーの個性が表れていることのみをもって著作権が認められたのです。このように権利の範囲は変動します。保護期間も異なり、特許権と意匠権は20年、著作権は50年、商標権は10年ごとの更新をすれば半永久的です。著作権はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)で70年に延長される見込みです。

知的財産権を一定期間独占させる究極の目的は産業や文化の発展です。第三者の使用を制限をしている間に原資を回収し、次のもっといい開発やデザインにつなげるためです。ただどこまで独占させるかのバランスが重要です。あまりにシンプルなデザインに著作権を独占させていいのか、という議論にもなります。

保護と利用のバランスが大事権利のグレーゾーンが文化を育てる側面も

知的財産権で何もかも制約することが文化の発展や社会の幸せにつながるのでしょうか。

大塚

知的財産権保護が注目されるようになったのは、2003年に小泉政権が「知財立国宣言」をしたころからですが、保護と利用のバランスが大事です。極論ですが「特許権や著作権などなくても人類は進歩する」と言う人もいます。前回1964年の東京オリンピックから大会シンボルマーク(エンブレム)や競技、施設のピクトグラムの使用が始まりました。その時の男女別のトイレのマークはデザイナーたちが著作権を放棄したこともあり、今や全世界で使われています。ネット上の作品に関して「条件を守って自由に使ってください」というアメリカ発の「クリエイティブ・コモンズ」運動もあります。「模倣=悪」ではありません。知的財産権を保護するかしないかの間のグレーゾーンが文化を育てる一面もあります。

現に、日本の和歌の本歌取りや日本画の狩野派のマニュアルである粉本、現代のパロディー芸術など、「パクリ」の伝統が文化を豊かにしてきた歴史もあります。パロディーでは菓子の「面白い恋人」騒動が記憶に新しいですが、フランスでは法律でパロディーが認められています。知的財産権保護がどこまで文化の発展に寄与しているか、考えさせられることもあります。ただ著作権には、著作者の利益を保護するという目的以外に、「私が作った」という著作者の気持ちを保護するというメンタルな面もあります。佐野氏がベルギーのデザイナーの気持ちを尊重していれば、今回のエンブレム騒動ももう少し違っていたかもしれません。

pagetop