一本を取る日本柔道で世界の頂点へ
日本代表女子シニアコーチとして選手を育成

薪谷翠さんは2005年世界柔道選手権大会無差別級の金メダリスト。2008年の現役引退と同時に全日本柔道連盟女子シニアおよびミキハウス柔道部のコーチに就任し、「練習環境づくりに注力して、自立心ある選手を育てたい」と意欲を燃やしています。

PROFILE
全日本柔道連盟女子シニアコーチ、ミキハウス柔道部コーチ  
薪谷 翠  さん

1999年大阪工大高(現常翔学園高)卒業。2003年筑波大を卒業し、同年ミキハウス入社。2005年世界柔道選手権大会無差別級金メダル、2006年福岡国際女子柔道選手権大会無差別級 金メダル。2008年全日本柔道連盟女子シニアおよびミキハウス柔道部のコーチに就任。和歌山県出身。

奇跡の復活といわれた恩返しの金メダル

大阪工大高時代の思い出をはじめ、選手時代の印象に残る出来事は?

2001年の第19回福岡国際女子柔道選手権大会(決勝戦)
無差別級で優勝を飾った薪谷さん<毎日新聞社提供>

薪谷

柔道を始めたのは小学校3年の時です。体格が良かったため、地元和歌山の道場の先生からスカウトされたことがきっかけです。中学1年の時には全国中学校柔道大会56kg超級で優勝し、連覇も果たしました。

中学を卒業後、大阪で開催する「なみはや国体」に向けて柔道部の強化中だった大阪工大高へ。練習は毎日3時間ほどで、顧問の児玉篤先生の指導はとにかく厳しかったですね。勝つために、高校で初めて組み手の練習に取り組みました。立ち技の攻防の際に主導権を握るには、組み手の技術が問われるからです。階級では私は小柄な方だったので、相手の道着のずらし方や引き手を切るコツなどを徹底的に練習しました。その甲斐あって高校3年の全日本女子柔道体重別選手権大会で優勝。シニアの大会で頂点に立ったのは初めてでしたから、もっと頑張れば日本代表の座が狙えるかもしれないと、勝つことの重みを意識するようになりました。

生活面では、高校時代は楽しかった思い出しかないですね。クラスメートのほとんどが男子でしたが、小学生の頃から男の子ばかりと遊んでいて、柔道の練習相手も男子だったので、なじみやすかったんです。男女の区別なく、みんなでわいわい騒いでいました。

その後、筑波大に進学し、2つ目の転機ともなる出来事を経験しました。4年のアジア柔道選手権で右膝の前十字と側副靭帯を断裂してしまったんです。メディアには再起不能と騒がれ、リハビリ中は闘志もわいてきませんでした。それでも復活できたのは、病院に来てくださった当時全日本女子監督であった吉村和郎先生に、「来年の世界選手権に出場させるから必ず戻ってこい」と言われたからです。ミキハウスの内定取り消しを覚悟していましたが、社の皆さんにも理解していただき、さらに治療費もサポートしてもらえました。そうして周囲の人たちから応援されているうちに、「復活して恩返しがしたい」という思いが強くなりました。翌年の全日本選手権は初戦敗退でしたが、悔しさ以上に畳の上に帰ってこられたという喜びが大きかったですね。2005年の世界選手権に出場した時は、必ず優勝すると何度も自分に言い聞かせて臨みました。その思いが結果につながった時は、本当にうれしかったです。

2008年に引退されて指導者の道に。新たな目標に向かわれています。

薪谷

全日本柔道連盟の女子シニアコーチとミキハウス柔道部のコーチに就任し、東京のナショナルトレーニングセンターを拠点に活動しています。やらなくてはいけないという使命感から引き受けたものですが、責任ある立場となり、選手時代とは違う難しさを感じています。まず情報収集するようになったこと。現役の時は感覚派だったので、ビデオ研究はせず、対戦相手の試合も見に行きませんでした。でも、今は対策を立てなくてはいけません。苦手分野ですが、コーチは選手を勝たせてなんぼですから。自分のことだけ考えて試合で勝てばいいと思っていた選手時代は、気楽だったなと思います。セコンドについていてもひやひやしっ放しで、プレッシャーは今の方がはるかに強いですね。

2010年に世界選手権で杉本美香選手が優勝した時、セコンドにつきましたが、彼女が実力で取った金メダルで、自分の成果とは思っていません。6年目の今も指導者としては暗中模索で、まだまだ未熟だと感じています。

礼節と勝利への執念、基盤の技術、総合力ある日本の柔道

日本の柔道と世界のJUDOにはどのような違いがあるのでしょう?
また、日本が勝つためには何が必要なのでしょうか。

薪谷

JUDOが一般的な用語になるほど、世界には柔道が広まっています。国際柔道連盟の加盟国は189カ国あり、軽量級は欧州、重量級は中国、男子はロシアといった具合に強豪国もさまざまです。 国際大会を見ると、海外の選手は反則行為さえしなければ勝てばOKで、ゲームとして捉えているのだと思います。

でも、やはり日本の柔道は投げ技で一本を取る柔道。フィジカルで劣る日本人が彼らの真似をしても通用しません。相手の体を持つには組み手に代表される基礎が不可欠で、日本の柔道が弱くなったのは、そこの技術が落ちているからです。戦える体力をつけながら、技術も身につけていけば、外国人にも必ず勝つことができます。文字通りの「柔よく剛を制す」です。

また、礼節を重んじる点も日本の柔道の魅力であり、守り伝えなくてはならないことです。高校時代も礼儀作法についてはしっかり指導されましたし、勝てば勝つほど謙虚でなくてはならないと教えられてきました。礼節と勝ちへのこだわりを両立させながら世界一を目指す日本の柔道を貫きたいですね。

目指される指導者像とオリンピックへの提言をお聞かせください。

薪谷

選手は十人十色なので、一人ひとりに合うやり方で指導していかなくてはいけないと感じています。情報収集や練習環境づくり、メンタルの面も合わせて総合的に指導できるような指導者を目指したいですね。

ただ、今の若い選手たちは環境に恵まれているので、ハングリーさに欠けていて、戸惑う部分もあります。私の現役時代はとにかく世界一になることしか頭になく、厳しい練習も当たり前。よくしかられましたが、今やるべきことを常に考えて行動していました。でも、今の選手は褒めて伸ばしてほしい人が多いんですね。指示を待ち、頭で理解できないと動けない傾向にあります。ですから、その選手と同じ目線に立ち、「なぜ、これをやらなくてはいけないのか」を説明して、引っ張ってあげる必要があるのです。そうして最終的には自立できるようにし、自信を持たせて畳の上にあがらせてあげるのがコーチの役目。誰だって試合前は怖いし、緊張するけれど、その緊張をいい緊張に変えられるかが、一流とそうでない者の分かれ道です。それまで苦しいことに耐えてきたからこそ、「ここで負けられない」という勝利への執念もはぐくまれる。練習でやってきたことしか試合では出せないのですから。

東京五輪では日本柔道が金メダルをたくさん取りたいですし、そのための基盤づくりに取り組みたい。いろいろな経験を積んで幹を太くし、そのうえに枝葉をつけていったら、ここ一番に強 い選手になれると思います。その結果が金メダルというのが、私の理想です。

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