がん宣告が開いた終末期患者を支える僧侶の道

北野病院薬剤師 がん患者グループ「ゆずりは」代表   宮本 直治   さん

宮本 直治 さん:北野病院薬剤師 がん患者グループ「ゆずりは」代表

PROFILE
1983年近畿大学商経学部卒。1987年摂南大学薬学科卒。薬剤師免許取得し同年北野病院勤務。2007年胃がん手術。2009年がん患者グループ「ゆずりは」に入会し2011年から代表。同年得度。2013年から仏教系ホスピスでビハーラ僧としても活動。兵庫県出身。

摂南大薬学部1期生で北野病院(大阪市北区)の薬剤師、宮本直治さんが「ステージⅢの胃がん」と告知されたのは9年前の年末でした。それ以来、「後悔する人生を送りたくない」とエンジン全開。西本願寺(京都市下京区)での得度(仏門に入ること)、兵庫県内のがん患者グループ「ゆずりは」代表、仏教系ホスピスで終末期患者の声に耳を傾ける「ビハーラ僧」など、どんどん活動の輪を広げています。それを支えているのは、医療技術だけでは救えない患者の心をケアしたいという熱い思いです。

「薬学部に行くなら協力する」と薬剤師の母親から言われたのは、宮本さんが当時通っていた大学の4年で就職活動をしていた秋でした。「最初は文系の自分には無理だと思いましたが、ふと『行こう』という考えが浮かんだのです」。一部上場企業の内定を断って猛勉強を始めました。3カ月後、摂南大に新設された薬学部に合格。後は4年で卒業して薬剤師免許を取得、京都大医学部付属病院の研修生を経て北野病院に勤務するようになりました。「大学では小川保直教授(当時)の研究室にいました。自分のペースで研究に取り組める環境でした」と振り返ります。小川教授から卒業時にもらった色紙「自然(じねん=ひとりでにそうなる)」の言葉通り、多くの人との偶然の出会いがその後の宮本さんの活動へと導いてきました。

摂南大2年の時に薬剤師の道のきっかけをくれた母親ががんを患い、自宅で看取った経験。迷いを抱えた時に魅せられた仏画。その仏画師に引き合わされた師と仰ぐ僧侶、野田風雪さんとの出会い。師のもとで親鸞の「歎異抄」を学ぶうちに仏教への思いがどんどん膨みました。

そして胃がんが宮本さんの人生を決定的に変えました。「医療人として見慣れていたはずの『ステージⅢ』という事実にも戸惑い、時には孤立感にさいなまれました」。手術後に仕事に復帰した時には「このまま死んで後悔することはないか」と考えるようになりました。「師のように仏教をきちんと勉強していない」との思いから通信教育で仏教の勉強を開始。偶然知り合った鳥取県の養源寺住職にも助けられ2011年10月に西本願寺で得度し、浄土真宗本願寺派の僧侶となりました。

得度の1カ月前には、入会していた兵庫県のがん患者グループ「ゆずりは」の代表にもなりました。患者や家族が「死」に率直に向き合って、同じ経験をした者同士だからこそ理解できる悩みや戸惑いを語り合い、生きる力が湧き上がる会を目指しています。この会を運営する上で大きな支えになったのが、仏教系の緩和ケア施設(ホスピス)「あそかビハーラ病院」(京都府城陽市)でのビハーラ僧としての活動です。死に往く人の声に耳を傾け続ける経験が患者会で語り掛けることに影響しています。「『家族が冷たいとか医療者が分かってくれないと言う気持ちは分かりますが、あなたが今、なさることはそれだけでいいのですか』『大往生という言葉がありますが、人の死に大も小もありません』と、率直に死について患者会で話せるのは私が僧侶になったからです。薬剤師という立場だけだったら言えませんでした」。医療技術はあくまでアシストであり、生き方を決め、人生の価値を高めるのは患者自身だ、と語り掛ける宮本さんの話に参加者が静かに耳を傾けます。

宮本さんの活動は、各地の医療機関、医師会、薬剤師会などでの講演、年2回鳥取県の光澤寺で開く「宿坊で語り合うガン患者の集い」など、ますます広がっています。

振り返ると薬学部に入学したことから始まり、仏教との出会いなどすべてが今の活動につながっていると感じています。とりわけ「がんは私に必要だった」と確信を持つ宮本さん。「病気や災害などに遭った事実を変えることはできない。でも、その事実に出会った意味を変える生き方。それを選択する自由を人は持っているのです」と若い人に訴えます。

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