男子20㎞競歩でモントリオール五輪出場
日本競歩界の先駆けとして未来のメダリストを育成する
1976年モントリオールオリンピックに男子20㎞競歩代表として出場した森川嘉男さん。現在もロングライフホールディングの社会人陸上部協力コーチとして指導を行うとともに、近畿各地から集まってくる高校、大学の競歩選手をボランティアで指導しています。
- 森川 嘉男
1964年3月大阪工業大学高等学校普通科卒。1968年3月日本大学卒。1973年の第57回日本選手権大会、第1回アジア選手権マリキナ大会の20㎞競歩で連続優勝するなど、国内外の大会で好成績を収める。1976年モントリオール五輪男子20㎞競歩代表。各地での強化コーチを経て、現在はベイコム陸上競技場(尼崎市)で高校、大学、社会人の競歩選手への指導を行っている。兵庫県出身。
陸上競技部を辞めてからの競歩人生
力みをなくしてオリンピックへ
森川さんが本格的に競歩を始められたのは大学時代と伺っています。きっかけは何だったのでしょう?
1974年に開かれた「第29回茨城国体」での森川さん(左)
- 森川
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陸上競技を始めたのは中学からですが、高校では部活動をしていません。日本大進学後、陸上競技部に入部しましたが、当時の日本大は日本で一番強いと言われていました。僕は3000m障害で日本ランキングのトップ10に入っていましたが、同じ日本大にそれよりも上位の選手が3人もいて大会出場のメンバーに入ることができませんでした。それで監督から競歩への転向を勧められたのですが、今と違って僕らの時代、競歩は速く走れない、跳べない、投げられない人がする競技のようなイメージが少なからずあったため、馬鹿にされた気がしてその日を限りに陸上競技部を辞めました。けれど、練習は続けていたんですよ。ある日、後輩が競歩をしていたので一緒に歩いてみました。すると僕が勝った。彼は当時の学生トップという記録の持ち主でした。これなら日本選手権大会で名を残せると思い、出場したら優勝したんです。
モントリオールオリンピックでは男子20㎞競歩1枠に、森川さんが選ばれました。陸上競技を続け、出場を目指されたのは何故ですか?
- 森川
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選手として雇ってくれる企業が現れたのです。それで1973年のアジア選手権マリキナ大会に続いてドイツの大会に8つほど出場し、1975年のモントリオールプレオリンピック20㎞競歩では6位の成績を収めました。当時はメキシコが強く、プレオリンピックにはそこの有名コーチも来ていました。帰りにメキシコに立ち寄り、そのコーチの元へ行ってみたところ、「オリンピックを狙ってみろ」と薦められたんです。1964年の東京オリンピック以降、日本人はヨーロッパの大会に出ていなかったので、周囲の人も応援してくれました。
オリンピックの出場候補者には日本大の後輩の名も挙がっており、彼も強かったですね。プライドだけは人一倍ありましたが、出場が決まるまでは必死でした。練習はとにかく長く歩いたことに尽きます。歩くことで筋肉の中の毛細血管が増え、筋繊維も細くなり、取り込める酸素の量が増えます。持久力は訓練すればどんどん強くなるんです。大変だったのは、当然のように日本記録を更新しなくてはならなかったこと。タイムを10秒縮めるには、1㎞当たりあと0.5秒速く歩くだけでいいのに、それが出来ない。今思うと、前へ行こう行こうと力んでいました。開き直ったらタイムは縮まったんですよ。
オリンピック本番のプレッシャーはすごかったですよ。優勝候補のメキシコの選手のベストタイムは1時間28分。僕は1時間29分20秒だったので、追い付く自信はありました。ところが彼は本番までに1時間23分台へとタイムを縮めていて、5分も差があったのです。子どもが大人に挑んだようなもので、苦い経験になりました。
ボランティアで指導を始めて30年
日々選手達と過ごし、競歩界を支える
現在はベイコム陸上競技場でロングライフホールディングの社会人陸上部協力コーチとして、また、ボランティアで高校生、大学生を指導されているそうですね。
孫のような高校生に笑顔で声を掛ける
- 森川
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僕がベイコム陸上競技場で指導を始めてから、ちょうど30年になります。武庫川女子大にインターハイで優勝したことのある選手がおり、彼女のフォームが悪かったので練習に来るように言って指導したのが最初です。それがいつの間にか人づてに広まり、徐々に人数が増えて、今では「ベイコム陸上競技場に行けば誰でも教えてもらえる」と、市立尼崎や県立西宮など近隣の高校、大学から毎日40人程の選手がやって来ます。先生が行くようにと指導している学校もありますね。練習は朝5時半から、15時から、18時からとそれぞれですが、僕はいつも競技場にいますよ。
最近、競歩界は鈴木雄介選手(富士通)が男子20㎞で世界記録を出すなど、躍進を遂げています。現状や、試合観戦の楽しみ方を教えてください。
- 森川
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2001年にインターハイの種目に入って以来、陸上競技の中で競歩の占める位置は高くなりました。競技人口も増え、以前は50位までだった国内ランキングが、今では350位までになりました。特に男子の勢いが目覚ましく、オリンピックに出場するには国際陸上競技連盟が定める標準記録(男子20㎞なら1時間20分20秒)を切る必要がありますが、現在、既に10人もの選手がその壁を破っています。つまり、誰がオリンピックに出場してもおかしくない状態です。鈴木雄介や高橋英輝(富士通)といったずば抜けた実力を持つ選手が現れ、他の選手も「彼らが行けるなら、俺にもチャンスがある」と奮起したのでしょう。
僕は、次の東京オリンピックの代表には男子20㎞、50㎞、女子20㎞の各3人ずつ、計9人が選ばれると思っています。ただし、今有力視されている子が行くとは限りません。長年、指導していますが、インターハイや国体で優勝した子が次の大会でも優勝するかというとそんなことはない。案外、予選落ちした子が出てきます。悔しい思いが糧になるんです。
普通の人が1㎞を5分で走り続けるのは大変です。競歩の面白さは、それよりも速く「歩いている」ということ。僕は2日に1回、朝、「歩く」学生の伴走をしていますが、学生の歩くスピードが僕の全力疾走です。1㎞6分ペースで走るとなると、僕はもう目から火花が出るくらい息があがりますよ。
試合では選手のフォームに注目してみてください。綺麗なフォームで歩ける子は速いです。100m走でクネクネ走る人がいないのは、余分な動きをする余地がないから。競歩も大きな腕振りなどで余分な動きをしていたら遅くなってしまいます。また、競歩は常にどちらかの足が地面に接していないと反則になります。一般の人が見て「変な動きだな」と思う場合は、歩いているのではなく厳密には走ってしまっているため、大抵失格になりますね。
東京オリンピックに向けて、選手達の活躍から目が離せませんね。では、森川さんの今後の抱負をお聞かせください。
- 森川
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僕が指導している中には長距離走と競歩の2種目でトップを目指している子もいます。長距離走に強い子が競歩をすると速いですよ。世界ユースに出場した子もいますし、やはり彼らにメダルを取らせてあげたいですね。加えて、僕は1988年から国際免許を取得し審判もしていますので、東京オリンピックでもお手伝いできればと思っています。