すべてをやり切ったフィギュア
カルガリー五輪で男子シングル代表に
今も審判員として日本のスケート界を支える

1988年カルガリー冬季オリンピックにフィギュアスケート日本代表として出場した加納誠さん。現在もオムロンソーシアルソリューションズに勤務する傍ら、「後輩たちのためにできることを」と試合運営の手伝いや審判員としての活動に尽力しています。

PROFILE
元 フィギュアスケートオリンピック代表選手、現 審判員  
加納 誠  さん

1991年3月摂南大電気工学科卒。同年4月オムロン(現オムロンソーシアルソリューションズ)入社。小学3年からフィギュアスケートを始め、15歳で世界ジュニア選手権に出場。摂南大在学中の1987年、1988年に全日本選手権を連覇し、1988年カルガリー冬季五輪男子シングル代表。1989年に引退し、現在は審判員として活動。大阪府出身。

精神面も支えてくれた恩師との二人三脚
国内初のトリプルアクセル成功で五輪出場

小学3年でフィギュアスケートを始められ、中学時代から大西勝敬コーチ(ソチ冬季オリンピックに出場した町田樹選手の現コーチ)の指導を受けられたそうですね。

カルガリー冬季オリンピックの開会式前の様子(加納さんは前列左)

加納

たまたま体験したスケートが面白くて、冬だけ教室に通っていたんです。そこで誘いがあり、小学3年からクラブに入り毎日練習するようになりました。中学入学後は、当時大阪市都島区にあった桜宮リンクを練習拠点とし大西コーチと出会い、本格的なスケート人生が始まりました。中学2年で国際大会に出るようになりました。大西コーチは、氷上では子どもたちに対して厳しく指導する一方、リンクから上がると、スケート以外の話題などで楽しく話をされ、うまく切り替えられていました。試合に負けた時に、「もっと実力を出せるはず」と精神面で発破をかけられたものです。全日本選手権は中学2年で初出場して、高校2年で3位になり初めて表彰台に上がりました。摂南大在学中の1987年、1988年に連覇して、1988年のカルガリー冬季オリンピックに出場し、17位。翌年の世界選手権を区切りに引退しました。

カルガリー冬季オリンピックでは男子シングル1枠のところに加納さんが選ばれました。
摂南大では当時の盛り上がりが今も学内で語り継がれています。

1987年、1988年に連覇を果たしたJNN杯全日本フィギュアスケート選手権での演技の様子

加納

オリンピック前の壮行会で、摂南大の関係者の方々に応援していただいたことは忘れられません。オリンピック出場時の音楽は竜童組さんの曲でショートは「ザ・カムイ」、フリーの前半はドボルザークの「新世界」、後半は竜童組さんの曲で滑りました。前年の世界選手権で11位だったということもあり、目標を10位以内として挑みましたが、残念ながら結果は伴いませんでした。今年のソチ冬季オリンピックはメダルを期待できる選手が多かったので、全員の満足できる演技を願いながらテレビ観戦していました。

1987年の全日本選手権でトリプルアクセルを決めたことも大きな喜びです。当時、公式戦で国内初の成功だったことが評価され、オリンピック出場の切符をいただくことになりました。私は176cmと体格が大きかったこともあり、力強い演技を目指してジャンプを強化していたんです。曲もクラシックの他、「ロッキー」「ランボー」など力強さをテーマとした映画音楽を選んで自分らしさを表現していました。

試合の時は、常にプラスのイメージを心掛けました。滑走前の6分間練習では、ジャンプは成功した時点で終えて一通りをチェック。前の選手の演技は見ないようにして自分の世界に入り込みましたね。

審判員としても自分の感性を磨き、フィギュアスケート人気を支えたい

現在は審判員を務めていらっしゃるそうですね。
採点のポイント、試合観戦の楽しみ方などを教えてください。

加納

引退後に審判員に登録しました。今の採点法は、技術役員が認定したジャンプ・スピン・ステップなどの要素の出来栄えを評価する技術点(テクニカルスコア)と、演技力や表現力をスケート技術、要素のつなぎ、動作・身のこなし、振り付け・構成、曲の解釈の5項目で評価する構成点(プログラムコンポーネンツスコア)の2つの合計点で競います。審判員は自分の感性で採点するため、会話は禁止です。自分の採点基準を明確にしておく必要があります。いろいろな感性を持っている人が、決められたルールの中で自分の尺度で感じたことを点数に表すのが、現在の採点法。実績がある選手もそうでない選手もいる中で、ジャンプが苦手でも音楽を表現できている選手はその項目では評価すべきだし、逆もまたしかりというのが私の考えです。

見る側も自分の感性で楽しめばいいと思います。男子なら迫力あるジャンプ、女子なら美しいスピンといった要素を見るのと同時に、ストーリー性を重視した個性的なプログラムで表情まで曲に合わせて表現しているので、いろいろな視点で楽しめるのではないでしょうか。また、一蹴りの伸びやスピード感など、現地観戦とテレビ観戦では印象がかなり異なるため、是非機会があれば会場に足を運んでいただくことをお勧めします。

摂南大では工学部電気工学科に在籍されていました。学業との両立はいかがでしたか。

加納

朝6時から練習して学校に行き、夕方も練習という生活でした。小学生のときからスケート中心だった日々の中、大学進学を目指したのは、スケート以外の何かでチャレンジし、自分に自信をつけたかったから。数学には興味があり、公式に考え方を当てはめたら解ける面白さを感じ、理系の学部の中でも工学部を選びました。

大学生活では、試合などで授業を休むこともありましたが、補習などをしていただき、きっちり教えていただきました。その補習の実験を終えてからそのまま新幹線に乗り、全日本選手権会場へ向かったこともありました。スポーツ推薦などで進学したわけではない私でしたが、選手活動との両立を理解してくれる先生が多く、いろんな面でサポートしていただきました。中でも当時、陸上競技部顧問だった辻井義弘教授は、私のスケートの指導者と知人だったこともあり、よく相談にのっていただきました。1年間休学しましたが最後まで両立できたのは、大学の先生や職員の方々のご支援があったからだと思います。大学で学んだ多くのことは、今の仕事に大いに役立っています。

勤務先では、社会インフラ整備に関わる仕事をしています。平日は会社で仕事を、休日は審判員として活動するなどスケートに携わっています。私にとってスケートは生活の一部。選手の時もやり切った感がありますが、審判員として見るスケートにまた違った喜びを感じています。

世界トップレベルで活躍する日本人選手が増えると、「私もやってみたい」とあこがれる子どもも増えてくるでしょう。そういう子どもたちのために、運営サイドでできることに協力しながら、日本のフィギュアスケート人気を持続していきたいです。

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