出版70年「星の王子さま」の魅力

広島国際大学 心理科学部 臨床心理学科   甲田 純生   准教授

甲田 純生 准教授:広島国際大学 心理科学部 臨床心理学科

PROFILE
1988年大阪外国語大学(現大阪大学)外国語学部卒業。1995年大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。2002年広島国際大学社会環境科学部助教授に。工学部准教授を経て2011年から現職。「哲学的思考の論理」「ホモ・サピエンスの牢獄」(以上、ミネルヴァ書房)、「美と崇高の彼方へ」「スリリングな哲学」「生きることの哲学」「多崎つくるはいかにして決断したのか」(以上、晃洋書房)「1日で学び直す哲学」(光文社新書)など著書多数。大阪府出身。

大切なことは目に見えない哲学的叡智に満ちた名作

世界中で読み継がれてきた童話「星の王子さま」が作者サン=テグジュペリの母国、フランスで出版された1946年から今年で70年です(アメリカでは1943年)。昨年末からこの名作の“その後” を描いた映画「リトルプリンス」も日本で公開されました。哲学者の甲田純生・広島国際大臨床心理学科准教授が10年前に出版した『「星の王子さま」を哲学する』(ミネルヴァ書房)は、この名作を哲学入門書として読むユニークな本ですが、「星の王子さま」の不思議な魅力に新たな光を当てた「文芸批評」としても高く評価されています。この童話の何が長年にわたってこれほど多くの読者を引き付けるのか、甲田准教授に聞きました。

好きではないが、なぜか引き付けられる

「星の王子さま」を初めて翻訳で読んだのは29歳のころだったと思いますが、実はこの本がすごく好きだったことは一度もありません。ただかつて大学のドイツ語の授業でドイツ語版をテキストで取り上げたり、自宅には日本語版、ドイツ語版のほかに英語版、フランス語版もあり、何となく引き付けられていたのは間違いありません。今では好きと言うより愛着のある童話です。『「星の王子さま」を哲学する』は私の著書の中でも読者の反響が大きかったもので、大学や中学の入試問題で何度か使われたり、2008年に東京の紀尾井ホールで上演されたオペラ「星の王子さま」(台本・作曲:アルベルト・カルーソ)のパンフレットへの解説を演出家の栗山昌良さんから依頼されたりしました。今でもこのテーマで講演を頼まれることがあります。

「こんなにも弱い人間」というテーマ

著書の一部。一般向けのものも多い

著書の一部。一般向けのものも多い

初の啓蒙書「スリリングな哲学」を出した時に、「ねえ、とても悲しいとき、人は夕日が見たくなるんだよ」という王子さまの台詞が本の表紙の折り返しに入れる言葉としてぴったりだったのです。この時この童話に多くの哲学的叡智が隠されていることに気付き、新たな本が書けるのではと思い付きました。あくまで哲学入門書として書きましたから、パスカルやハイデガー、ヘーゲル、カント、マルクス、ウィトゲンシュタインなど歴史上の哲学者の人物・用語解説も盛り込んでいます。そんな哲学書でも読者から「物語の深みがよりよく分かった」という感想が多く寄せられました。自分が「星の王子さま」の何に引き付けられているのか分からないと思っている読者が多いようです。

「星の王子さま」からは、<人は一人では生きていけない><人はやっぱり一人なのだ>という矛盾したメッセージが示す「人間の孤独と死」、便利で管理しやすい数字に引きずられる「人間の愚かさ」、<人間が作ったものが逆に人間に歯向かってくる>という「人間疎外」、<意味>にとらわれ、<美>や<善悪>を感じる「人間存在の不思議」など、多くの哲学的モチーフが読み取れます。

その多様なモチーフを束ねるのが<人間はこんなにも弱い存在だ>というテーマだと気付いたときに、この本を書ける手応えをつかみました。この統一テーマを見付けるまでが一番苦労したところです。書き始めたら1カ月もかからずに書き上げました。

『「星の王子さま」を哲学する』を書いてから10年も経ちましたから、その後気付いたこともあります。キツネが王子さまに語った「大切なことは目に見えない」という誰もが心打たれる知恵があります。キツネはこれを「忘れちゃいけないんだ」と王子さまに言います。読者によっては「忘れてはいけない」と強迫観念のように感じるかもしれません。でも今では私は「忘れてもいいんだ」と思うようになりました。もちろん忘れてはいけないのですが、人間は忘れるようにできているのです。「星の王子さま」で書かれている「大切なこと」の多くは死に直面した時に見えてくるものです。でも日常生活は死から逃げることが基本です。忘れないと日常生活は送れないからです。「忘れちゃいけない」は、忘れてもいいけれど時々思い出せればいい、と解釈するようになりました。

哲学の敷居を低くする使命

私が哲学を志したのは高校2年のころでした。それ以前は湯川秀樹にあこがれて物理学者を目指していたのですが、多感な時期に思い悩む問いに応えてくれそうなのが哲学だったのです。岩波文庫のデカルトやショーペンハウアー、ヘーゲルの本を読みあさりました。

今はヘーゲルやカントなどドイツ観念論が私の研究の中心ですが、抽象的で一般の人に敷居が高い哲学を社会に分かりやすく還元することも哲学者としての使命だと思っています。そのために、このような文芸批評スタイルの本や中高生向けの啓蒙書を書いています。これまで10冊の著書がありますが、書店の哲学書コーナーに置かれてしまうと一般の人の目につかないという悩みがあります。だから新聞のオピニオン面で時事問題を論じたり、書評欄への執筆、「死」や「美」をテーマにした市民向け公開講座の開催など、積極的に社会に発信する場を持つようにしています。直接何かの役に立つことがなくても、内実のある哲学であれば生活や体験とかかわらないはずはないのです。

『「星の王子さま」を哲学する』でも書きましたが、体験を伴わない言葉や知識は空虚です。私の論じる哲学にも、絵、書道、クラシックギター、空手(三段)などのさまざまな体験が反映しています。ギターは世界的ギタリストの岩永善信先生に長年師事し、コンクールにも出たり、リサイタルも開いています。また空手は新聞記者だった父が剛柔流の師範(八段)で、40歳を過ぎてから本格的に師事しました。父が一度、大病に倒れた際に「高い境地にある父の空手を自分が受け継がなくていいのか」と思ったからです。まさに「父の死」に直面して「大切なこと」に気付きました。その後回復した父から数年間マンツーマンで指導を受けました。「一撃必殺」の空手における真剣な稽古では、人は死を意識せざるを得なくなります。空手に魅かれるのは、この「死のやり取りをする」武道と死が大きなテーマでもある哲学に相通じるものがあるからだと思います。

〝種明かし"ではない

研究室には自ら描いた絵画作品も

研究室には自ら描いた絵画作品も

「星の王子さま」に登場するバオバブの3本の木を「当時の日・独・伊三国同盟のファシズムの脅威を表している」などと解釈する本もあります。説得力がありますが、私の本はこのような〝種明かし"の本ではありません。読者の想像力を殺してしまう〝種明かし"ではなく、想像力をかき立てていろいろな読み方や物語の深さに読者が気付いてくれるガイド役になればと思っています。

哀しくも美しい「星の王子さま」ですが、「大切なこと」の答えが分かりやすく書かれている本ではありません。それは読者一人ひとりが感じ取るしかないのです。「大切なこと」は美を感じる心だったり、友達や愛情であるかもしれませんが、そのために必要なことが書かれているからこそ世界中で愛される名作だと考えています。

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