地味に仕事を続ける人間の中からヒーローが生まれる

作家   谷 甲州   さん

谷 甲州 さん:作家

PROFILE
本名、谷本秀喜(たにもと・ひでき)。1973年大阪工業大学土木工学科卒。建設会社で4年半の勤務を経て、青年海外協力隊員としてネパールで3年間、国際協力事業団のプロジェクト調整員としてフィリピンで3年間勤務。1996年『白き嶺の男』で第15回新田次郎文学賞、2014年『加賀開港始末』で第8回舟橋聖一文学賞、2016年『コロンビア・ゼロ:新・航空宇宙軍史』で第36回日本SF大賞を受賞(ハヤカワ文庫で『航空宇宙軍史・完全版』全5巻を刊行中)。2005~2007年日本SF作家クラブ会長。兵庫県出身。

「コロンビア・ゼロ:新・航空宇宙軍史」(早川書房)で昨年、第36回日本SF大賞を受賞した谷甲州さんは日本のSF界を支えてきた代表的な作家の一人です。大阪工大土木工学科を卒業した元技術者ならではの作品も特色で、SFを中心に冒険小説、山岳小説など200冊近くの著書には、多くの熱烈なファンがいます。現在は病と闘いながらも執筆意欲は衰えず、新たな分野にも挑み続けています。

日本SF大賞の「コロンビア・ゼロ:新・航空宇宙軍史」など日本SF大賞の「コロンビア・ゼロ:新・航空宇宙軍史」など

星新一らの影響を受けて高校生のころからSFのショートショートを書き始めていた谷さんですが、大学で文学部に行くことは考えませんでした。「小説は一人でも書けると思ったのです。それより後世に残る土木構造物を造る技術者志望でもあったので工学部で学びたかったのです」と話します。大学時代も作品を雑誌に投稿し続けましたが、落選続き。ワンダーフォーゲル部に入って登山に明け暮れました。社会人になってからも続けた登山が、小説のテーマにもなりました。

卒業後は一部上場の土木建設会社に入って4年半、宅地造成や下水工事の現場管理に立ち続けましたが、次第に工事への苦情処理のような仕事が嫌になりました。「もっと技術者の自分が必要とされる所へ行きたい」と退職。「逃げ出したんです」と苦笑交じりに振り返ります。すぐに高校時代から興味があった青年海外協力隊員に測量士の資格で応募し合格。派遣先は山好きには願ってもない国・ネパールでした。そこで3年間、灌漑工事や農業土木工事の指導に当たりました。小説の執筆はネパールでも続け、初めての書き下ろし本が出版されるなどようやく作家として注目されるように。「ヒマラヤの壮大な氷河やのんびりしたネパール人の気質が、自分でも気付かないうちに作品に影響しています」と話します。

その後、国際協力事業団(現国際協力機構=JICA)の仕事でフィリピンでも3年間勤務し帰国。東京で本格的な作家活動に専念し始めました。「若いころは夜通し書き続けて一晩で原稿用紙100枚なんてこともありました」。SF小説がまだまだ売れない“冬の時代”で、編集者に勧められるままに山岳小説や冒険小説も書き始め、それが評判を呼んで執筆量はどんどん増えていきました。

谷さんの作品群の中心をなすSFものは、超人的なスーパーヒーローが大活躍するというより、どの時代にもいそうな身近な人間が淡々とやるべき仕事をこなし、それでも大きな歴史の流れや自然や宇宙の力にはあらがいきれない、という透徹した視点で貫かれています。「人間はしょせん、自然の力には勝てません。クールにならざるを得ないのです」。そんな作品にしばしば未来の技術者が登場し、さまざまな困難に立ち向かいます。<前例を作るのは我々であり、責任を負うのも我々なのです。技術者という職種は、そのために存在するといってもいい>。宇宙で土木工事に奮闘する技術者たちを描いた『星を創る者たち』の一節です。「技術者からいつの間にか小説家になった後ろめたさではないが、何か引っ掛かりがいつもあります。地味に毎日の仕事を続けている人が一番偉く、そこからヒーローが生まれるということを書きたいのです」。これは大学の後輩たちに伝えたいことでもあります。

最近の著書を前に最近の著書を前に

今は10年前に発症したパーキンソン病のリハビリを続ける日々で、キーボードも片手でしか打てなくなりました。「書くスピードが遅くなったのですが、その分文章がうまくなったと言われます」と笑います。近年は初めて時代小説に挑み、『加賀開港始末』でいきなり舟橋聖一文学賞を受賞。「次は江戸から幕末にかけての時代の技術者の話を書こうと思っています」。体が不自由になろうとも作家魂の火が消えることはありません。

pagetop