大橋導雄は1878(明11)年9月、京都府に生まれた。旧姓「龍村」。師範学校卒業後、京都府、大阪府の小学校に訓導として勤務し、大阪市桃園第一尋常小学校の訓導を最後に退職した。その後、養家の家業である薬種商「大橋屋」を経営する傍ら、合資会社リストピアノ製作所を兼業するなどした。1924(大13)年1月から1930(昭5)年7月まで、大阪市北区会議員を務めた。
関西工学専修学校創設当時は、薬種商「大橋屋」を経営していた。
関西工学専修学校創設後は、同校の理事を創設当初から1926(大15)年4月まで、財団法人関西工学の協議員を1926(大15)年4月から1928(昭3)年12月まで、それぞれ務めた。
1945(昭20)年6月死去。享年66。