境田賢吉は1877(明10)年4月、大阪府に生まれた。第五高等学校卒業後、1902(明35)年7月京都帝国大学理工科大土木工学科を卒業した。同年琵琶湖水力電気(株)に勤務後、一年志願兵として陸軍に入隊、日露戦争に従軍した。陸軍工兵少尉に任官した。除隊後、京都市第一部工務課長を務め、白山水力電気(株)を経て、1920(大9)年日本電力(株)に入社した。同社では土木部長に就任、1925(大14)年4月取締役を兼任し、1928(昭3)年6月に土木部長を退任した。その他、黒部鉄道(株)、因幡水力電気(株)、飛騨索道運輸(株)、日電証券(株)の各取締役などを歴任した。
関西工学専修学校創設当時は、日本電力(株)土木部長であった。同校の理事には、創設当初から1925(大14)年まで在任した。
1950(昭25)年4月死去。享年72。