直木倫太郎は1876(明9)年12月、兵庫県に生まれた。旧姓「眞島」、1893(明26)年直木政之助の養子となる。1899(明32)年7月東京帝国大学工科大土木工学科を卒業し、東京市に奉職した。1901(明34)年欧米各国へ出張し、引き続き1902(明35)年から2年間留学した。帰国後、東京市の湟池整理係長および土木課長などを歴任。
1906(明39)年大蔵省に転任し、臨時建築部技師、同横浜支部土木係長を務め、1911(明44)年7月東京市河港課長となった。1914(大3)年下水道計画に関する論文により工学博士の学位を受けた。1917(大6)年大阪市港湾部長に就任し、翌年からは市区改正部長を兼務した。1923(大12)年10月帝都復興院技監、土木局長に就任、翌年内務省復興局長官・技監に就任した。
1925(大14)年に退官した後、(株)大林組取締役・技師長となり、1934(昭9)年1月満州国道路局長に転じ、翌年大陸科学院長を兼任、その後、交通部技監兼水力電気建設局長を経て1939(昭14)年3月満州国参議に就任した。
関西工学専修学校創設当時は、大阪市港湾部長兼都市計画部長、都市計画大阪地方委員会委員、日本建築協会名誉賛助員、都市研究会評議員であった。
関西工学専修学校創設後は、同校理事を創設当初から1924(大13)年3月まで、同校の顧問を1924(大13)年3月から1926(大15)年4月まで、財団法人関西工学の顧問を1926(大15)年4月から1940(昭15)年3月まで、それぞれ務めた。
1943(昭18)年2月死去。享年66。