島 重治は1872(明5)年5月、長崎県に生まれた。1897(明30)年7月東京帝国大学工科大土木工学科を卒業し大阪市に奉職。技師として築港事務所に勤務し、韓国政府灯台局長、同航路標識管理所長、朝鮮総督府逓信技師などを歴任した。1911(明44)年内務技師となり内務省新潟土木出張所に勤務し、1922(大11)年5月大阪府内務部土木課長に就任した。
1924(大13)年12月内務省土木局第一技術課長に転任し、1927(昭2)年復興局技師を兼任した。翌年、大阪市理事・土木部長に就任し、1934(昭9)年6月同市を退職した。その後、(株)飛島埋立工業所副社長に就任。その他、土木学会関西支部長などを歴任した。
関西工学専修学校創設当時は、大阪府内務部土木課長、都市計画大阪地方委員会幹事であった。
島は、関西工学専修学校創設後、同校の理事を創設当初から1924(大13)年7月まで、財団法人関西工学の協議員を1928(昭3)年7月から1934(昭9)年9月まで、それぞれ務めた。
1959(昭34)年4月死去。享年86。