学園を創ってきた人たち

校長 片岡安

校長 片岡安

 片岡 安は1876(明9)年6月、石川県に生まれた。旧姓「細野」。第四高等学校で学んだ後、1897(明30)年7月に東京帝国大学工科大建築学科を卒業した。卒業後、日本銀行営繕課技師となった。片岡直温(後に大蔵大臣)の養子となるが、直温の兄は片岡直輝(関西財界の重鎮)、直輝の長男は片岡直方(大阪瓦斯(株)社長)である。1903(明36)年、(株)三十四銀行技師を経て、明治時代の建築界の重鎮であり、日本銀行本店、東京駅などを代表作とする辰野金吾と共に辰野片岡建築事務所を開設した。1919(大8)年5月、都市計画に関する論文で工学博士の学位を受けた。1922(大11)年1月、辰野から独立して片岡建築事務所を開設した。著書には、「現代都市之研究」「都市計画」がある。

 片岡の建築界における活躍は目覚ましく、その代表的な作品として、「第三十四銀行本店」「奈良ホテル」「大阪中央公会堂(実施設計)」「都ホテル」などがある。

 片岡は建築界だけでなく社会的活躍も顕著で、大阪工業会理事長に加え、1933(昭8)年大阪商工会議所副会頭に就任してからは、工業に関する諸問題だけでなく、米穀配給統制、物価対策、電力不足対策、貿易問題、税制問題、中小企業問題などに取り組んだ。

 さらに、1940(昭15)年大阪商工会議所会頭に就任してからは、大阪財界の首脳として活躍した。

 片岡は教育界でも、官立大阪工業学校講師、京都帝国大工学部講師、大阪工業専修学校理事長などとして活躍した。

 関西工学専修学校創設当時は、片岡建築事務所主、日本エレベーター製造(株)社長、日本生命保険(株)取締役、大阪工業会理事長、大阪工業専修学校理事長、日本建築協会副会頭、都市計画大阪地方委員会委員、社会事業調査会委員、大阪府衛生会理事、京都帝国大工学部講師、大阪商業会議所特別議員、都市研究会理事および工政会理事兼関西支部長であった。

 関西工学専修学校創設後の学園とのかかわりは、次のとおりである。

  • 同校の校長          創設当初~1926(大15)年10月

  • 大阪高等予備校の校長     1924(大13)年4月~1928(昭3)年3月

  • 関西工学専修学校校友会の会長 1924(大13)年7月~1926(大15)年10月

  • 財団法人関西工学の理事長   1926(大15)年4月~1934(昭9)年12月

  • 同理事            1934(昭9)年12月~1935(昭10)年11月

  • 同協議員           1926(大15)年4月~1935(昭10)年11月

  • 同名誉学長          1935(昭10)年11月~1940(昭15)年3月

 工業教育の必要性を唱え続けた片岡は、大阪工業会理事長、大阪商工会議所会頭などの要職を務めながら、大学を卒業した1897(明30)年から死去した1946(昭21)年まで、実に半世紀にわたり工業教育に情熱を燃やした。

 1946(昭21)年5月死去。享年69。

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