常翔学園100年史
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急成長する大阪市の近代化を担う技術者養成という使命を受けて1922年に誕生した関西工学専修学校。大正デモクラシーの自由な世相が広まる一方、ファシズムや戦争の足音も迫っていた時代が学園の草創期だった。学園の出来事 大阪市外の旧豊崎第五尋常高等小学校を仮校舎に開校開校式の記事 開校式の模様を伝える大阪毎日新聞の記事=1922(大11)年10月3日付。再建された樋之口校舎 1923(大12)年7月、豊崎町から大阪市北区樋之口町に移転。翌年1月の火災で類焼したが、直ちに再建された。大正13年の修業証書 関西工学専修学校予科の修業証書。学校長は片岡安。関西工学専修学校生徒募集の新聞広告 開校を前に在阪各紙に生徒募集の広告を掲載した=1922(大11)年9月1日の大阪毎日新聞。関西工学専修学校土木科の卒業写真 1925(大14)年の卒業生。背景は教室を借用していた鶴満寺(かくまんじ)。前列中央に片岡安校長。1922関西工学専修学校を創設   1923北区樋之口町にキャンパス移転1924隣家火災で樋之口校舎3棟中2棟が類焼1926財団法人関西工学を創設1927関西高等工学校を開校1928関西工学専修学校を関西工学校に改称1932関西高等電機学校開校、学園創立10周年1933関西工業学校開校(現在の常翔学園高校)関西工学専修学校仮校舎 学園の始まりである関西工学専修学校は、1922(大11)年9月7日に大阪府知事の設置認可を受けた。大阪市外の豊崎第五尋常高等小学校を仮校舎に授業が始まった。1922(大11)~1934(昭9)草創期写真でつづる学園のあゆみ

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