常翔学園FLOW101号
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ニューウェーブ始まりは世界大戦の戦争神経症地震、津波、洪水、噴火、地滑り、雪崩etc.原発事故、陸・海・空の交通事故、工場爆発、ビル崩壊、空気・水の汚染etc.戦争、殺人・傷害などの犯罪、ホロコースト、薬害、虐待、レイプ、いじめetc.07FLOW|No.101|January, 2023*学会誌『人間性心理学研究』の「特集:災害と人間 特集を企画するにあたって」(1995、村本詔司)より教育・研究広島国際大学 健康科学部 医療栄養学科自然災害産業技術災害人的災害1.話をせずにひたすらボランティアとして支援に参加する。2.仲良くなってきて「あなたは何の専門職?」と聞かれたら、臨床心理士と答える。3.カウンセリングをするより、まず「足湯」につかりながら「よもやま話」。4.そういう付き合いの中で「実は…」と話される人もいるが、それはほとんど 2年後くらい。5.その後のお付き合いが長い。5年10年となるケースもある。私が災害カウンセリングに関心を持つようになったきっかけは、1995年1月の阪神・淡路大震災と同年3月の地下鉄サリン事件です。阪神・淡路大震災では友人、知人、先輩、後輩、恩師などのたくさんの方が被災しました。また、地下鉄サリン事件の当時は仕事先が東京の事件現場にも近く、もしかしたら自分が被害に遭っていたかもしれないというテロ事件でした。この2つの大きな自然災害と人的災害がきっかけでしたが、じっくり勉強を始めたのは2011年3月の東日本大震災で、「被災者の方たちに自分が何かさせていただけないか」と考えるようになったからです。 災害とは、WHO(世界保健機関)の定義では「生態上および心理社会的側面における重篤な崩壊であり、影響を受けたコミュニティーの対処能力を遥かに超えるもの」です。全米被害者援助機構の訓練マニュアルでは、災害を自然災害、産業技術災害、人的災害の3つに分類しています。 災害カウンセリングの研究の歴史は元来、戦争がきっかけでした。「傾聴」が引き出す自己治癒力 日本における災害カウンセリングの大まかな手順は、次の通りです。つるた・いちろう ■1994年放送大学教養学部(発達と教育専攻)卒。1997年東洋大学大学院文学研究科修士課程修了。2004年名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士後期課程修了。東京都江戸川区教育研究所葛西分室教育相談室教育相談員(心理)などを経て、1998年広島国際大学医療福祉学部医療福祉学科講師。2020年から現職。専門は臨床心理学・災害カウンセリング。公認心理師。臨床心理士。博士(心理学)。東日本大震災後の2012年に「いわて高等教育コンソーシアム」の復興人材育成教育にボランティア教員として参加し「災害カウンセリング」の講義を担当。著書に『災害カウンセリング研究序説』(2012年ふくろう出版)など。福岡県出身。米国で2つの世界大戦での兵士らの「戦争神経症」の研究から始まったのです。第二次大戦後は、1980年代前半から、戦争における「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」の研究が始まりました。米国における災害カウンセリングの歴史は、カリフォルニアの活断層における大規模地震など自然災害でのカウンセリングもありますが、大まかには「戦争」中心です。しかも、カウンセリングの中心テーマ(目標)は兵士を再び戦場に戻す「再適応」なのです。 一方、我が国では1995年の阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件から、災害カウンセリングが始まりました。日本においての中心テーマは被災者の「心のケア」です。戦争ストレスを防ぐ生活リズムロシアによるウクライナ侵攻から10カ月が過ぎ、世界の人々に戦争ストレスが広がっています。ネット上で悲惨なニュースや情報を追い続ける「ドゥーム・スクローリング(破滅の追い掛け)」という言葉も注目され、毎日、気のめいる戦争のニュースを見聞きすることの精神衛生への悪影響が指摘されています。また、日本で暮らすウクライナからの避難民の心のケアも重要になっています。カウンセラーとして災害被災地での活動も行ってきた広島国際大医療栄養学科の鶴田一郎准教授の研究テーマの1つが「災害カウンセリング」です。戦争は人的災害で、自然災害の被災者の心のケアと戦争被害者の心のケアとは多くが共通します。鶴田准教授に、災害カウンセリングの歴史や戦争ストレスに向き合う方法、ウクライナからの避難民など災害に遭った人々の心のケアで大事なことなどを聞きました。戦争や震災のストレスに向き合う災害カウンセリング「心のケア」で大事な傾聴鶴田 一郎准教授

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