常翔学園FLOW100号
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1922関西工学専修学校を創設1926(財)関西工学を設立03FLOW|No.100|October, 2022学園は、設立者・校主本庄京三郎、初代校長・工学博士 片岡安と12人の創設理事などが大阪の近代化に対応できる技術者養成を目的に、1922(大正11)年9月7日、大阪府知事の設置認可を受け創設した関西工学専修学校がそもそもの始まりです。 同校には、「経済的理由などで勉学を断念せざるを得ない若者らに夜学での学問機会を提供し、短期間で専門技術者を養成する」という現在のSDGsの基本理念・目標「誰一人取り残さない」「質の高い教育をみんなに」に通じる崇高な理念があり、これらは学園の建学の精神に脈々と受け継がれています。 時代と地域の要請に応え開校した同校は着実にその役目を果たし、多数の卒業生が地域で活躍。それを受け技術者教育を看板としたさまざまな学校を併設する技術系総合学園として展開し、やがて高等教育をも担うまでに発展しました。現在では、3大学2高校2中学校を設置する総合学園へと成長を遂げています。■再建された■之口校舎の 正門と校舎1923(大正12)年7月、豊崎町から大阪市北区■之口町(現:大阪市北区国分寺)に移転。翌年1月の火災で類焼しましたが、直ちに再建されました。関西工学専修学校の中等部と高等部を分割。高等部を関西高等工学校とする。わが国初の夜間授業実業専門学校と新聞広告私立の甲種工業学校として西日本初■関西工学専修学校の仮校舎大阪市外の豊崎第五尋常高等小学校を仮校舎に授業が始まりました。1922社会の動き専門学校令に基づく私立高等工業学校として西日本初昼間部機械科を分離独立航空機械科を増設国家総動員法により、第二関西工学校を実業学校令に基づく甲種工業学校に改組1947年4月新教育制度の施行に伴い、摂南工業年次が新制中学校に相当するため、編成1948年3月両校の3年生を新制中学校の3年生実業学校1932関西高等電機学校を開校1927関西高等工学校を開校1928関西工学校に改称1933関西工業学校を開校(甲種工業学校)19311934 併合ほんじょう きょうざぶろう設立者・校主1868年岡山県生まれ。1891年東京法学院(現:中央大学)卒業。日本有数の高級住宅地として知られる西宮市甲陽園の開発をはじめ多くの企業経営に携わるなど、新しい街づくりを進めた実業家でした。かたおか やすし初代校長・理事長1876年石川県生まれ。1897年東京帝国大学工科大学(現:東京大学)卒業。大阪市中央公会堂をはじめ、数多くの建築設計にかかわる。日本建築協会、大阪工業会理事長、京都帝国大学(現:京都大学)講師などを務めた都市計画のパイオニアでした。ワシントン会議で海軍軍縮条約調印、ソ連邦成立東京飛行場(羽田空港)開港満州事変Since192219221930草創期1922(大正11)年〜1934(昭和9)年急成長する大阪市の近代化を担う技術者養成という使命を受けて1922(大正11)年に関西工学専修学校が誕生。大正デモクラシーの自由な世相が広まる一方、ファシズムや戦争の足音も迫っていた時代が学園の草創期でした。次代を見据え、時代に挑み続けたこの軌跡を、次の奇跡につなげて。本庄京三郎片岡 安学園のあゆみ

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