常翔学園FLOW100号
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多くの支えを受けて積み重なった歴史 さて、群馬県富岡市にある世界遺産の富岡製糸場の赤レンガ造りの建物は建てられてから今年で150年になりますが、私はかつて建築構造の研究者としてその耐震補強のお手伝いをしたことがあります。大阪工大の構造実験センターで、同製糸場で使われているレンガの強度を調べたり、どうしたら耐震強度を増大できるかなどの実験を繰り返しました。その結果、レンガの目地にある素材を挿入することによって補強効果が期待できることが分かりました。あの美しいレンガ造りも実は見えないところで、科学の力によって支えられているのです。 常翔学園もレンガのように小さな歴史を一つ一つ積み重ね、今や3大学2中高に学生・生徒約2万5千人を擁する一大教育グループに発展しましたが、富岡製糸場のレンガ造りと同じように見えないところで多くの支えを受けてきたのです。振り返ると決して順風満帆な歴史ではありませんでした。 1922(大正11)年に学園の起源である関西工学専修学校が僅か589人の生徒でスタートしました。翌年には関東大震災で日本経済が打撃を受けたあおりを受けて本校舎建設の募金が集まらず、更にその翌年には隣家火災で仮校舎3棟のうち2棟が類焼するという散々なスタートを切ったのでした。それでも不足する工業技術者の養成という理念への評価が高く、生徒募集が順調だったのが救いでした。その後、昭和に入り戦争期に突入すると学園も時代の大きな波に翻弄されました。戦地で犠牲になった教職員・生徒、空襲で大きな被害を受けたキャンパス、など大きな爪痕を残しました。戦後も新制大学として大阪工大が開学するまでに学園関係者は大変な苦労をし、70年安保闘争では、全国に吹き荒れた大学紛争に学園も巻き込まれました。 私が大阪工大にかかわって50年以上経ちましたが、この間に教育も研究も大きな変化がありました。まず豊かになったということです。50年前はやはりまだ貧しくて、十分な実験施設もなく、研究費を捻出するのにも苦労しました。学生も変わりました。大学紛争自体は苦い歴史ですが、そのころの学生は政治問題や社会問題にも関心が高く、にしむら・やすし ●12代理事長。1973年大阪工業大学工学部建築学科卒。鹿島建設勤務を経て1976年同大学院工学研究科建築学専攻修士課程修了。助手、講師、助教授を経て、1999年工学部建築学科教授。八幡工学実験場長、学生部長などを歴任し、2013年工学部長兼工学研究科長。2014年同学科特任教授。2015年11月学長。2020年7月から現職。2018年に鉄筋コンクリート柱と鉄骨梁で構成されるハイブリッド構造の接合部の力の流れを理論化したことで日本建築学会賞(論文)受賞。博士(工学)京都大学。愛媛県出身。何事にも“熱い”気持ちがあったように思います。それに比べて今の学生は“クール”で、さまざまなデバイスを使いこなすことに優れていますが、“いい子”ばかりでちょっと物足りないと感じる時もあります。過去の理事長では藤田進元理事長の印象が強烈です。ある訓話で退学者が増えていることについて「若者を路頭に迷わすな」と教職員を叱咤激励したのをよく覚えています。新しい大学(広島国際大)を作るエネルギーもすごかったんだなと、同じ理事長の立場になって強く感じています。 このように、これまでの100年に学園はさまざまな経験をしてきましたが、先人たちがその時代時代で学園をもっと良くしようと努力を積み重ねてきた結果として、現在があるのです。発展の節目は3大学の開学思い出深い夜間の教育現場 戦後の学園の歴史を振り返って、いくつかのエポックメイキングな出来事を私なりに挙げてみます。 私が育った大阪工大の開学はもちろんですが、その他に構造実験センター(1986年)や現在のナノ材料マイクロデバイス研究センター(1987年)などの各研究施設ができたことがとても大きなことだったのではと思います。日本有数の施設もあり、大阪工大の優れた研究の発信の場となっていきました。 摂南大の開学(1975年)と広島国際大の開学(1998年)も外すわけにはいきません。学園2番目、3番目の大学ができ、現在の大きな発展につながりました。摂南大は総合大学として発展し、学園の教育・ 学校法人常翔学園は10月30日、創立100周年を迎えることができました。これはひとえにこれまで学園にかかわってこられた多くの先人や、今も日々かかわっておられる皆様のご尽力のお陰です。厚く感謝申し上げます。私は1969年に大阪工業大学建築学科に入学以来、学部生、大学院生、助手、講師、助教授、教授、学部長、学長、理事長として創立100年の歴史の半分以上を学園と共に生き、学園はもはや私にとって空気のような存在です。100年という時の長さに改めて身の引き締まる思いで、この日を理事長として迎えられることを光栄に感じるとともに、緊張感と責任感を新たにしています。 大阪の顔である大阪市中央公会堂は2018年に100周年を迎えましたが、その実施設計に携わった学園の初代校長・理事長である片岡安は、大大阪時代の街づくりを先導した一人です。大阪だけでなく広く日本の街づくりやモノづくりを支える人材を送り出してきた学園が創立100周年を越えて、更に持続・発展する新たな世紀がスタートします。 理事長あいさつ学校法人常翔学園01FLOW|No.100|October, 2022創立100周年を迎え 学園の新たな世紀に飛躍を人材のネットワークを生かし 連携をキーワードに理事長西村 泰志

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