年“モノ”語り」常翔学園高と台湾の高校とのオンライン交流1975(昭50)年10月1日の工大通信「おゝよど」12号で報じられた学園初の「海外総合合宿」21FLOW|No.98|May, 2022きはく学園70周年の1992年に初の海外大学との交流協定 戦後、日本が国際舞台に本格的に復帰したのは1964(昭39)年の1回目の東京オリンピックでした。1970(昭45)年の大阪万博を経て、「国際交流」という言葉が盛んに使われるようになっていきました。戒厳令下のフィリピンで合宿 1975(昭50)年、大阪工大の体育会武道系7クラブが初の海外総合合宿を行いました。恒例の総合強化合宿の第20回記念の企画で、149人の学生を含む総勢176人が8月20日から27日までフィリピンで、フィリピン大との学生交歓会や演武祭などのさまざまな親善行事も行い帰国しました。強権政治のマルコス政権による戒厳令下のフィリピン訪問でした。現在の常識からすると戒厳令下の国に多くの学生を派遣するという大胆さに驚きますが、工大通信「おゝよど」12号(1975年10月1日発行)の記事からは緊迫した空気は感じられません。ベトナム戦争中のベトナムからも こうして徐々に始まった学生の海外渡航ですが、逆に海外からの留学生などの受け入れはいつから始まったのでしょうか。大阪工大に外国人留学生の入学制度ができたのは1985(昭60)年ですが、それ以前にも留学生はいたのです。「おゝよど」10号(1975年7月1日発行)に「工大に留学して」という文章を寄稿したタイ人留学生がいます。当時の経営工学科2年のチワポン・シントウさんです。 大阪工大や校友会に残る記録では更にそれ以前の1969(昭44)年に3人のアジア人学生が入学しています。カンボジア人(短期大学部電気科を1971年に卒業)とベトナム人2人(応用化学科を1973年に卒業)です。1970年にカンボジアではクーデターによりロン・ノル政権が誕生し、その後内戦状態に。ベトナムに至ってはベトナム戦争(1955〜75年)真っ最中です。戦争や内戦、戒厳令などが珍しくなかった当時のアジアの途上国からの留学生たちが、どんな思いや覚悟で日本での勉強に取り組んでいたのか、想像を超えています。 大阪工大短期大学部では1982(昭57)年から隔年で、3人の中国人建設技術実務研修生を受け入れ、1993(平5)年までに計18人が学びました。1975(昭50)年に開学した摂南大への初の外国人留学生は1986(昭61)年に工学部電気工学科に入学したインドネシア男子学生で、その後も学園への留学生は中国を中心にアジア各国からが大部分でした。学園の国際交流が本格化したのは1990年代です。1992(平4)年の創立70周年事業として当時の藤田進総長・理事長が海外の大学との交流・連携を推進したのです。初の交流協定は同年、中国・上海市の同済大と結ばれました。続いて中国の清華大、黒龍江大、韓国のテジョン大田大学校、米国のサンノゼ州立大と次々に交流協定が結ばれ、米国のワシントン大、ハワイ大、メキシコのグアナフアト大、中国の北ものづくりからサービスまであらゆる分野で国境を越えたボーダレスの競争が進む時代です。ヒト、モノ、カネ、情報が世界を自由に、かつ大規模に行き来するグローバリゼーションの進展に対応し、地球のどこに行っても活躍できる人材の育成が教育に求められています。常翔学園で1970年代に始まった「国際交流」は、90年代になって一気に本格化していきました。今では学園設置3大学は海外の多くの大学と協定を結ぶなど連携・交流が年々盛んになり、各キャンパスには外国人留学生の姿も珍しくありません。また毎年多くの学生が留学や語学研修、プロジェクト活動などで海を渡っています。最近のコロナ禍で一時的に中断したものも多いですが、オンラインで海外との交流が継続できていることもグローバリゼーションの一面です。今後、世界へ開かれた教育・研究への更なる脱皮が学園の生存戦略の要になっています。今年10月30日の学園創立100周年に向けた連載企画の第12回のテーマは「学園の国際化の変遷」です。 <……いつどんなトラブルでもと、気になっていたが、意外なほどの親日感と、思慮ある学生の言動とによって、期待以上の親善、交流を果たし得たものと思う。とくに、合宿最後の日、マニラ市内のイースト大学体育館で、1,000名をこえる観客を前に行った演武祭は全く盛観であった。……演技する者も気魄が入るし、その気魄が観客を興奮させるという状況になり、全く盛大な拍手と声援の渦を巻き起こしていた>=亀山享団長 <……入学式で見知らない人々の中に入って他の新入生と同様に私も最も不安でした。……どんな事も自分自身で切り開いて行かねばならない様になった。特に日本語の力はまだ不十分であったから、勉強の面において最も心配でした。また一般人なら当然知っている常識を私は知らない事があまりにもたくさんあります。徳川家康、勝海舟、伊藤博文などを知らない人は私ぐらいでしょう。幸いに人に対して親切に接するのは日本人の一つの美徳で国民性でありますから、入学して以来、先生方・先輩方や身の回りの友達が勉強の面も私生活の面も助けて下さいました。講義後、先生が遅くまで特別な指導をして下さった事はたびたびでした>学園センテニアル企画centennial12「常翔止まらないグローバル化の波70年代に始まった国際交流が90年代に本格化アジア各国からの留学生がキャンパスに
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