10March, 2022|No.97|FLOW■ 音楽療法の主な原理【カタルシス理論】音楽を聴くことで、そこに表現された感情に乗せて、心の中にある自らの喜びや怒り、哀しみや楽しさを発散させる、という理論。余分なものを身体の外に出すことで身体のバランスを保つ。古代ギリシャの哲学者アリストテレスが最初に説いた。【同質の原理】1952年精神科医アルトシューラーは統合失調症の患者の治療で、患者が暗く沈んでいる時には暗い曲を、高揚している時には躍動感のある曲を聴かせると効果があることに気づき、患者の気分とリズムに同質の音楽を使用するべきと提唱した重要な理論。【1/fゆらぎ】吹き付けたり止んだりする風や川のせせらぎ、雲の流れ、木漏れ日など自然のゆらぎのように、規則性と程良い変化がバランス良く調和している状態のこと。元来物理学理論だが、私たちの身体のリズムである心拍や脈拍が1/fゆらぎになっているため、心地よく感じる。【アルファー波】心身がリラックスしている時に発する周波数8〜13Hzの脳波。19世紀後半にドイツの神経生理学者ハンス・ベルガーが発見。禅僧が座禅して瞑想にふけっている時に現れると言われている。【自律神経】ヒトの意志とは関係なく、身体の恒常性を維持するために全ての内臓器官を働かせる神経だが、そのうちの副交感神経は身体を安静にしてエネルギーを蓄積している時に働く。に全日本音楽療法連盟ができ、1997年には連盟認定の音楽療法士100人が誕生しました。私はその2年後に資格を取りました。今では全国に日本音楽療法学会認定音楽療法士が約3000人います。身体・精神・社会性を改善するための音楽「利用法」 日本音楽療法学会の定義では音楽療法とは「音楽の持つ生理的、心理的、社会的働きを用いて、心身の障害の回復、機能の維持改善、生活の質の向上、問題となる行動の変容などに向けて、音楽を意図的、計画的に使用すること」とされています。つまり音楽の身体面、精神面、社会性に及ぼす影響を治療に応用する音楽「利用法」とも言えます。 音楽療法を支える基本的原理を別表にまとめました。このうち私の経験を1つお話しします。ある小学校で、先生たちが「運動会を前に落ち着かない生徒たちに静かな音楽を聴かせたのですが、イライラがおさまりません」と話すのです。これは「同質の原理」に反したことだったのです。あまりにも心身の状態から懸け離れた曲より、寄り添うような曲が心地よく、興奮する小学生たちを落ち着かせようと静かな曲を聴かせるのは逆効果なのです。悩んでいる人には「そんなの気にするな」と言うより、「そうですよね」と共感する方が慰める効果があるのと同じです。計画と評価も重要なチームプレイ音楽療法の対象者は、乳幼児から高齢者まで幅広く、健常者から重度の障害のある人までとさまざまで、その目的も、認知症の症状緩和、病気・事故後のリハビリ、子どもの発達支援や学習支援、心のケア、介護予防などさまざまです。音楽療法士が実際に仕事をする場は、医療機関のリハビリ施設や高齢者施設、障害児・者施設などです。音楽療法の一般的なプロセスは、アセスメント→目標設定→ 体験1 ある病院に職員らが「気難しい人です」と言う高齢男性が入ってきました。「一緒に歌を」と声を掛けて歌詞カードを渡しても、「わしは歌を歌いにここに来たんやない」とけんか腰でした。ところがセッションが始まると1曲目から全部歌ったのです。休憩時に「歌はええのお。肺を患ってから歌うなと医者に言われてたが、何十年ぶりかに歌ったら楽しかった」と声を掛けられました。それ以後、その男性は病院に協力的になってスタッフらを驚かせました。 体験2 ある施設で仲の良くない男性2人がいました。お互いに「いけすかん」と言っていたのですが、好きな歌を一緒に歌うことで「悪い奴じゃない」と思えるようになって、親しくなっていきました。 体験3 これは失敗談でもあるのですが、横浜から広島に転居したばかりの女性が童謡「赤い靴」を歌うと、ボロボロ泣き出したのです。よく聞くと横浜に帰りたくてしょうがなくて歌詞の中の「横浜」に反応したのでした。事前のアセスメント(調査)がいかに大事かを思い知らされました。 体験4 103歳のあるお年寄りの耳元で「もしもし亀よ♪」と歌うと、続けて4番まで1人で歌ったのです。高齢者の長期記憶はしっかりしていることが多く、メロディーのある歌は覚えやすいのです。「すごいですね」とほめると、自己尊厳や自信の回復につながります。プログラム設定→セッション(演奏や歌唱など)→記録・評価→カンファレンスになります。音楽療法士だけで行うことはまれで、作業療法士、言語聴覚士、介護士、看護師などと連携しながらのチームプレイです。 私は20年近く高齢者、認知症患者、言語に障害のある人などに音楽療法を行って来ました。音楽の力を実感する多くの体験をしましたが、いくつかをご紹介します。このように音楽は、正しく使うことで人と人のつながりや自信を回復する大きなツールになります。コロナ禍の現在、音楽が免疫力を向上させるという研究も注目されています。私にとっても音楽は大きなコミュニケーションツールです。2011年から東日本大震災のチャリティー・リサイタルを計9回開催し、多くの募金にご協力いただきました。演奏する時は、いつも被災者のことを思い浮かべながら演奏しています。音楽を通してそこに集まってくださった方々の思いを届けることができます。音楽は人と人をつなぐことができる大きな力を持っていると実感できるリサイタルで、10回開催が目標です。青春のウィーン時代 ウィーン留学には青春時代の思い出が詰まっています。同じ音楽院の留学生仲間には、現在NHK交響楽団の第1コンサートマスター篠崎史紀さんがいて、チャリティー・リサイタルにサプライズ出演してくれたことウィーン留学の卒業試験リサイタルもあります。今でも「マロ(篠崎さんの愛称)」を終えて恩師のG.ヘヒトゥル先生と「おっちゃん」と呼び合う大切な友人です。また、小説家の宮本輝さんが長編小説『ドナウの旅人』を書く際に、ウィーンに取材旅行に来られた際にウィーンの案内役をし、小説の中の登場人物のモデルにもなりました。
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