常翔学園FLOW94号
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学園は2022年10月30日に創立100周年を迎えますFLOW | No.94 | August, 202101本学園では、2022年10月30日の学園創立100周年にかかる記念事業を次の通り計画しています。イベント、行事の詳細は決まり次第、「学園創立100周年記念サイト」(以下、記念サイト)でお知らせします。Information※新型コロナウイルス感染症の拡大状況などにより、開催内容の変更や開催延期または中止となる場合がございます。ご寄付をいただいた方に優先枠があるイベントです。開催日(予定)イベントタイトル(仮称)11月14日(日)1月29日(土)3月5日(土)5月22日(日)7月23日(土)9月10日(土)11月13日(日)常翔学園内中高大学吹奏楽演奏会「おかあさんの被爆ピアノ」上映と被爆ピアノとふれあう会ゴスペルコンサート親子で楽しむ常翔コンサートジャズコンサート常翔学園創立100周年&ロビーコンサート5周年記念常翔学園内中高大学吹奏楽演奏会2022年■設置各学校でのイベント各大学の「知」を社会に還元する講演会やシンポジウム、中学校・高校の文化祭で100年をテーマにした催しを開催予定■常翔歴史館での企画展(入館無料)本誌「常翔100年“モノ”語り」と連動した「ミニ企画展」を常翔歴史館常設展示室で開催■常翔ホールでの音楽イベント(無料)募金事業学園創立100周年記念募金、JOSHO古本募金を実施100年史編纂事業100年史の他、2022年10月にFLOW100号を「100周年特別号」として発行予定100周年イベント、行事■100周年記念式典2022年10月30日(日)に大阪工大梅田キャンパス「常翔ホール」で開催予定西村 泰志学校法人常翔学園にしむら・やすし理事長荻田 喜代一摂南大学おぎた・きよかず学長北尾 元一常翔学園中学校・高等学校きたお・もとかず校長1953年、初の女子学生が大阪工大に摂南大1期生にも1人の“リケジョ”「常翔年“モノ”語り」学園センテニアル企画centennial9女子学生誕生 多くの壁に囲まれて大阪工業大学学生便覧の学寮規定(上)学生便覧の表紙(左)1957年3月の卒業式の日に建築文化研究部のメンバーらと牧さん(中央)=牧さん提供盆栽に情熱を注ぐ現在の牧さん 常翔歴史館に大阪工大の1956(昭和31)年度の学生便覧が残っています。古ぼけたページをめくると、「学寮規定」の「風紀」の項目に目が留まります。<女子を居室に入れることは之れを禁ずる>。こうした環境の中に女性1人で飛び込んでいった苦労はどれほどのものだったのか。今は故郷の愛知県西尾市に暮らす牧さんに、手紙で当時の学生生活などの多くの質問に答えてもらいました。学園の女子学生第1号の貴重な証言です。悠々と男子トイレに入り 女子の後輩入学にうれし涙 愛知県西尾市で育った牧さんは、女の子ばかりの姉妹の中でも一番やんちゃで、のどかな田舎で男の子たちと木登りや魚獲りなどして遊ぶ子供だったそうです。男女共学となった新制中学の1年生で、公立高校普通科に進学。50人のクラスでもまだ女子は10人以下で、男子ばかりの中にも平気で入っていけるようになっていきました。また建築好きの父親の影響で建築設計に興味を持つようになり、中学2年の自由研究で「私の理想の家」と題して描いた設計図が入賞するまでに。大学進学で大阪工大建築学科を選んだのも<今思えば自然の成り行きだった気がします>と振り返ります。大阪に住む親戚が「面倒を見るから」と両親を説得してくれたことも後押しになりました。 こうして晴れて大阪工大初の女子学生となった牧さん。今なら誰もが真っ先に困難を想像するトイレ問題への答えにはちょっと驚きます。 <この時代にはまだ女子のトイレや更衣室がないのが当たり前で、それが普通だと思っていましたから、悠々と男子トイレを使っていました。職員用もあったように思いますが、トイレで困った記憶はありません。個人差はあるでしょうが、当時それは悩むことではありませんでした> 学びたいという大きな意欲の前では、苦労もそれほどの苦労と認識されなかったようです。 入学後に同級生や先輩との交流も少しずつ増えていき、「校内に自分の場ができるから」と建築文化研究部というクラブに誘われ入部。こうして徐々に男子社会に溶け込んでいったようです。<建文研の部室で建築雑誌を読んだり、先輩や後輩と語らったりする時間が最も楽しい時間でした><卒業前には4年生が製図室に毛布1枚を持ち込んで1週間くらいこもり、設計製図を制作するのが恒例で、下級生として手伝ったことも楽しい思い出です。ただし自分が4年生なると、苦しみを思い知らされました> その牧さんの卒業研究のテーマは「アパート設計」。平面図と立面図は苦労なくできましたが、詳細図に苦労し、<友達に助けてもらったりして何とか合格できました>と振り返ります。4年生になると男子学生は就職活動に忙しくなりますが、牧さんは4年の後半までほとんど就職活動はしませんでした。今でいう“大卒リケジョ”を受け入れる企業が当時は微々たるものだったことは想像に難くありません。それでも正月前に故郷の愛知県の建設会社から声が掛かり、1回の面接で入社が決まりました。 ところで牧さんの後を追って女子学生が入って来たのは、牧さんが3年になった1956年春でした。<大学と短大に1人ずつ女子学生が入って来ました。学校側が私の2年間の姿勢を認めてくれた証でもあると思い、うれし涙が流れました>。牧さん在学中、女子学生はこの建築学科の3人でしたが、卒業後は次々と女子学生が入学し始め、「マロニエ会」という女子会が結成されて、年に1回の親睦会が開かれるようになりました。盆栽技術をマスター 建設会社入社の3年後に結婚した牧さんは、その後、出産を前に退社。育児に専念しました。子育てに手が掛からなくなるにつれて、趣味の活動を広げ、40歳から盆栽一筋に打ち込むように。その研究熱心さでたちどころに盆栽技術をマスターした牧さんは、自宅の敷地で2000鉢もの盆栽を育て、盆栽専門誌の取材を受けるまでになりました。建築の仕事からは離れてしまった牧さんですが、<工大卒業後も、私はその時その時を真剣に一生懸命に生きてきました。その都度色々と人生の勉強をしました。その思いの一端でも後輩たちに分かってもらいたいです>と書かれています。女子学生 × 学長の座談会 「私達は不幸だ」 牧さんが卒業した2年後、1959(昭和34)年12月18日発行の大阪工大新聞に新聞会主催の女子学生と学長らとの座談会が詳報されてい 学園初の女子学生誕生は大阪工大が開学した1949年から4年後の1953年でした。建築学科に入学した牧(旧姓・吉見)昌子さん(87)です。婦人参政権の実現、男女平等を定めた新憲法制定、「家」制度を廃止した民法改正、教育の機会均等や男女共学を定めた教育基本法制定など、女性の権利拡大や地位向上のための戦後改革が次々に進められていった時代でしたが、それで女性差別が一気になくなったわけではありません。牧さんらの不屈の挑戦が女性を取り巻いていた多くの壁を少しずつ切り崩していったのです。来年10月30日の学園創立100周年に向けた連載企画の第9回は「女子学生誕生」がテーマです。FLOW | No.94 | August, 202129

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