常翔学園FLOW93号
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02May, 2021 | No.93 | FLOW4 /7Wed.常翔啓光学園中学校・高等学校常翔啓光学園中高体育館 昨年度はオンラインでの入学式を実施した同校ですが、今年度は対面での入学式を実施。その様子を学内でライブ配信しました。中学・高校それぞれの新入生代表がそろって登壇し、「これからの学校生活で、迷うことや苦しいことがあるかもしれませんが、仲間と助け合いながら勉強や部活動に励みたいと思います」と宣誓しました。540人 中学校76人 高校464人4 /7Wed.常翔学園中学校・高等学校大宮キャンパス総合体育館 中学・高校と合同で実施している入学式を、今年度は午前(高校生)の部と午後(中学生)の部の2つに分けるとともに、参列する保護者や教職員の人数を制限して挙行しました。いつも新入生の入場を音楽で彩る吹奏楽部は、会場の外でミニコンサートを実施。晴天の下、新入生へ歓迎の意を込めて、部員らが演奏を行いました。909人 中学校141人 高校768人4 /7Wed.摂南大学大阪城ホール 検温や消毒など感染症対策を徹底し、大阪城ホールで入学宣誓式を挙行しました。新入生歓迎行事では収録映像と会場のダンスを融合させたパフォーマンスの他、在学生代表が「全ては行動次第です。さまざまなことに挑戦してほしい」とメッセージを送りました。当日の様子は保護者や昨年度の新入生らにもライブ配信で届けられました。2254人 学部2191人 大学院63人直撃インタビュー 硬派な記事や論説も多い中で、ルポルタージュやインタビュー記事などが戦後の解放感をより強く感じさせます。キャンパス内にあったいくつかの売店のことを「商店街」と呼んでいたようですが、学生の不満の声をもとに店主に直撃インタビューをしています。 店主側の言い分もきちんと掲載しています。禁男の女子大探訪 戦後長らく大阪工大は実態として男子校のような状況でした。戦前なら決してあり得なかったような“女子大(神戸女学院)探訪記”も登場します。  女子学生に道を尋ねますが、じゃんけんでどちらが声を掛けるか決めます。学生記者2人の興奮具合がほほえましい。就職戦線を解剖する 就職への関心の高さは今も昔も変わりません。 1950年の朝鮮戦争と冷戦の始まり、GHQによるレッド・パージという時代背景をうかがわせる記述もあります。 思想・信条の調査は就職差別につながり、憲法違反ですが、当時これほど公然と行われていたのは改めて驚きです。止められなかった読者離れ 現在、学生新聞はごく一部の大学に残るだけです。メディアの多様化や若者の活字離れ、政治離れなどさまざまな理由が重なっています。大阪工大新聞創刊100号(1962年11月1日)に当時の関西大学新聞学科の金戸嘉七教授が「学生新聞論」を寄稿し、その中で大阪工大新聞について<だいたいにおいて高い調子で物をいっている>と指摘しています。今で言う「上から目線」ということです。それは他の学生新聞にも言えることで、論説や主張を重視するあまり<一般的なニュースが比較的軽視され…往年の政論新聞を思わせる…><書きたいことを書けばよいといった態度では、新聞の持つ大衆伝達の機能を果たしたことにはならぬ>と批判。<人間臭さが満ち…学生生活の哀歓が奏でられる>説得力のあるニュース報道を重視しないと、読者離れを止められないと警告しています。残念なことに、その後の多くの学生新聞はこの警告通りの運命をたどることになりました。大阪工大新聞は1977年まで発行されました。 <常に社内の問題となったのは「学生新聞のあり方」についてである。目的と範囲はどこに置くか、客観的、つまりどの程度の第三者的立場に立つべきか、政治記事は如何にあつかうか、等の問題が、総会を行なう毎に出てくるのが常だった。…学生新聞関係者は、ともすると左翼がかった誤解を受けると云う不安で、一つの記事の取り上げ方に非常に慎重をきたしたことがある。特に気をつかって論議したのが、沖縄関係の記事だった。…我々としては人道主義的立場よりこれくらいのところまではと云う線を出して編集したつもりだったところが、出来上がって見ると穏健そのもので骨のない記事となり心ある人に対しては多少不満を持たせたかも知れないと思っている>=同 <大学を卒業すれば何とかして大企業へ就職しようとするのがほとんどの学生の持つ考えであろう。…大学の価値評価の一つとして就職状況がそのバロメーターをなしているといっても過言ではあるまい。…新学期が始(ま)ると同時に就職戦線が火ぶたを切るのであるが、学生は縁故から縁故へ又就職関係の教授は学生のウリ込みに大童(おおわらわ)となるのである。之と同時に経営者側でも優秀な学生獲得の為に求人も年々早められつつある。早期求人されると落着いて勉強ができないし又、学業がおろそかになるという点より昨年より文部省と大学側と会社側の協定ができ十月以降より始められることになった。…採用方針として一応「採用試験による」といっているがこの裏には…縁故関係、学閥、スポーツによるもののいはゆる〝コネ〟といったものが相当に巾をきかしている>=創刊5年特集号 <記者“商店街が高いという投書が来てますが”店主「問屋回りをして安価な物を仕入れて売る様にしています。中には高いものもあるかもしれませんが、特に本等は定価より引いていますよ…」…記者“四、五月頃は大分利益があるんじゃないですか”店主「四、五月頃に稼がしてもらわないと、後は赤字ですので食べていけないのです」…>=1951年12月(第3号) <…思想問題は…一応は重要視されている。学校の推薦状には思想の項があり、大抵は思想穏健と記されるのである。面接に及んで〞何党を支持するか〞の問(い)に保守党と相場が決(ま)っていた様だが、最近では無理に曲げて答えるとかえって怪しまれるという傾向があり、率直に自分の意見を述(べ)た方がかえっていいようである。…>=同 <駅に下り立つと急に景色がよくなる。…女学生が三々五々岡田山から下校して来るのが分かって、思わずH君「ううん」と唸ることなかなか久しい…>=同 日本・大阪の近代化が進むなか、専門技術の修得を志す多くの若者たちに分け隔てなく「学び」の門戸を開いたことから、学校法人常翔学園の歴史は始まりました。これからも、「時代」のニーズに応え、「次代」を創る人材を社会へ。 2022年10月30日、学校法人常翔学園は創立100周年を迎えます。世相を映す大阪工大新聞の広告1917年:1925年:1937年:1941年:1944年:1945年:1946年:1949年:1960年:1970年:1991年:2020年:2021年:日本初の大学新聞「三田新聞」(慶應義塾大)創刊。以後、東京帝国大(現:東京大)、日本大、早稲田大、明治大、大谷大、東京商科大(現:一橋大)、京都帝国大(現:京都大)と大正年間(1912~26年)に7紙の大学新聞発刊が相次ぐ。大正リベラリズムの自由な雰囲気を反映した紙面が多かった。治安維持法公布。言論の自由が制限され大学新聞が発禁処分を受けることも。日中戦争勃発。大学新聞の紙面も軍事色が濃厚になっていった。日米開戦、太平洋戦争に。新聞用紙難で大学新聞は全て休刊に。文部省が主導で全国共通の「大学新聞」を発行。発行母体は帝国大学新聞社(東京帝国大)で京都大学新聞が関西支社に。終戦。各大学で新聞再刊の動きが出てきたが、新聞用紙難は続いたため、全国学生新聞協議会が結成され、新聞用紙の公平な配分などを国に要求。京都大学新聞が関西地方の大学向けに「学園新聞」発行。東京帝国大が「帝国大学新聞」を復刊。以後、各大学で新聞発刊が相次ぐ。全国学生新聞協議会が全日本学生新聞連盟(全学新)に改称し、全日本学生自治会総連合(全学連)の下部組織に。安保闘争(60年安保)で学生運動が激化し大学新聞がその拠点にも。1970年の70年安保を経て、大学新聞の紙面が一部セクトの宣伝に使われるなどしたため一般学生の支持を失っていった。購読費徴収が困難になり、多くの大学新聞が発行できなくなっていった。全学新が活動停止。UNN(University News Network)関西学生報道連盟創設。神戸、同志社、立命館、関西学院、大阪、関西、奈良女子、神戸女学院の各大学の新聞団体を組織し、インターネットでリンクし毎日情報を更新するサービスを行う。編集部員不足などでUNN関西学生報道連盟が活動停止。東京大学新聞が週刊から月刊に。大学学生新聞史18May, 2021 | No.93 | FLOW創刊当初の紙面に多かった映画館の広告。学生にとっても大きな娯楽だった大企業や全国紙、英字新聞の広告。書籍広告も多く、学生の活字離れの現代とは隔世の感無線やラジオ、テレビなど理系大学ならではの広告も多い

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